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モンスターペイシェント(3)

 ホープ製薬の石黒勇樹は、空木という男からの電話以来、頭から離れない気になる事が出来た。それは、誰かに恨まれて嫌がらせをされたのだろうかという思いだった。空木と言う男には、恨まれるとしたら競合する製薬会社だろうと言った。競合会社はいくつもあるが、競合相手から恨みを持たれるような仕事はしていないし、石黒勇樹には覚えはなかった。

 傷つけられた車を修理工場に預け、代車で北多摩総合病院に着いた石黒は、駐車場の最も奥に駐車した。

 病院の玄関に貼られた、目撃者を捜す貼り紙を横目で見た石黒は、薬剤部へ向かった。今月採用になったばかりの、ホープ製薬社製の抗リウマチ薬のバイオシミラーが初めて患者に処方され、使われたという連絡を受け、副作用などが出ていないか、という情報収集に来院したのだった。

 薬剤部の担当薬剤師からは、ホープ製薬社製のバイオシミラーの投与で問題は無かった

ことを知らされた石黒は、ホッとしたが、その後の話を聞いて考えさせられた。それは、先発品の抗リウマチ薬バイオ製剤の会社の担当MRは、ひどく落ち込み大きなショックを受けているという話だった。毎月、二百万円を超える売り上げがあった薬の売上が、いきなり『ゼロ』になるのだから、担当MRの落胆は石黒にも容易に想像できる。(東亜製薬の担当MRの国松さんは大変なショックだろうな)と無言の呟きをした石黒は、今一番自分を恨んでいるのは東亜製薬の国松さんだろうと想像した。


 翌週の月曜日、JR立川駅の北口にあるビルの4階に入っている、ホープ製薬の立川営業所に出社した石黒は、営業所の会議に出席していた。

 北多摩総合病院へのバイオシミラー採用は、ホープ製薬の東京支店の第一号だった。採用プロセスを聞かれた石黒は、説明会とデータを提出しただけで、病院が積極的だったことが採用の要因だったと答えた。石黒には、達成感も嬉しさもなかった。

 石黒のポケットのスマホが震え、着信を知らせた。表示されたのは、以前一度架かって来て登録しておいた『うつぎ』と表示されていた。

 会議の休憩時間に石黒はその『うつぎ』に折返しの電話を入れ、会議中で電話に出られなかったことを詫びて、改めて用件を訊いた。

 空木も忙しい中での電話を詫び、改めて自分の職業を含めた身元を説明し、車を傷つけた

犯人を、調べられるだけ調べてみたいと話した。

「ついては、石黒さんにはとても不愉快な話になりますが、あの病院で競合関係にある会社を教えていただけないか思って電話させていただきましたが、いかがですか。お話しいただけませんか」

「……私も誰がやったのか気になっていますから、探偵?の空木さんに調べてもらえるのは歓迎ですが……」

石黒は、東亜製薬の国松の名前が浮かんだが、探偵という職業の人間に、それも電話口で同業のMRを疑って名前を出すことを躊躇(ためら)った。

 石黒の躊躇(ためら)いは、電話を通して空木にも伝わった。

「私の前職は、あなた方と同じで、製薬会社のMRでした。(まん)(えい)製薬をご存知だと思いますが、そこのMRでしたから、ホープ製薬の薬と競合することもありました。私は、仕事上で他社のMRを恨むようなことはありませんでしたが、MRの社内評価上では、程度の違いはあっても、売り上げはポイントの筈ですから、競合会社の影響で売り上げ減になると、恨みを抱くかも知れません。同じ仲間でもあるMRを疑うことに抵抗もあると思いますが……」

「万永製薬のMRだったんですか」

「ええ……もしかしたら競合会社は万永ですか?」

「いえ、違います。……もしかしたら、東亜製薬には恨まれているかも知れません」

「東亜製薬のMRさんに恨まれているかも知れない、ということですか?それはどうして……」

「東亜製薬の主力品は抗リウマチ薬のバイオ製剤なんですが、うちのバイオシミラーの採用によって大打撃を受けることになりそうなんです。担当の国松さんの実績は大幅に減ると思います。私が何かをした訳ではないのですが、結果として国松さんにとっては最悪の結果になってしまったと思います」

 石黒の話を聞いた空木は、それであの日、静川陽子の抗リウマチ薬のバイオ製剤がバイオシミラーに変更になったのだ、と合点がいった。

「なるほど、そうですか。その国松という方が犯人かどうかは分かりませんが、あの日その方は病院にいたんでしょうか?」

「はい、病院で見かけましたからいた筈です」

「当たってみたいですね」

「当たるというのは……直接訊くということですか?」

「それも含めて考えてみます」

「私の名前を出すのですか?」

「いえ、石黒さんの名前を出すつもりはありませんから、心配しないでください。もしその国松さんと云う方が、全く関わりなかったら、石黒さんとの関係が気まずい事になってしまうでしょうから、名前は出しません」

 空木の言葉を聞いた石黒は、電話を切ると大きく一息吐いた。


 石黒からの電話が架かってくるまでの時間に、空木は北多摩中央署の地域課に電話を入れ、捜査の進み具合を確認していた。

 確かに被害者の一人の高倉明は、調書を取った地域課に、土田嘉英の情報を伝えていた。

 警察は、土田の住所を調べ、聞き取りにも行ったとのことだった。結果は、(土田さんは、あの日病院へは車で行っておらず、駐車場にも入っていない)とのことだった。警察の聞き取りに、簡単に「やりました」という筈はないが、車で行っていないという事は空木も想像していなかった。警察も、それ以上は土田を追及出来ないという反応だった。

 車で行っていないというのは本当なのだろうか、本当だとしても、駐車場に入っていないという証拠がある訳ではないだろう。逆に、車で行っていたとしたら、供述は嘘であり、犯人の可能性が高まることになる。空木は、スマホに収めた土田の自宅の駐車場に停まっていた車の写真を改めて見ていた。

 そこに石黒から折返しの電話が入った。


 石黒との電話を終えた空木は、国松という東亜製薬のMRにどうアプローチすべきか、どうコンタクトを取ったらいいのか考えた。

 東亜製薬のホームページから、立川営業所が北多摩総合病院の営業管轄であることを調べた空木は、電話で国松というMRの反応を(うかが)ってみる事にした。面会するかしないかはそれ次第で考えようと。

 昼過ぎの時間だったが、国松は外勤業務に出て不在だった。空木は電話口の女性に、自分は「万永製薬の空木」と少しだけ嘘を言い、北多摩総合病院のことで聞きたい事があるので、国松の携帯電話の番号を教えて欲しい、ついては、貴女から国松に、私から連絡が入ることを伝えて欲しい、と依頼した。電話口の女性は、国松の方から連絡させるので待っていて欲しい、と空木の電話番号を確認して電話を切った。女性事務員だと思うが、社員の情報を簡単に教える事はしないという社員教育がよく出来ている対応に、空木は「さすがだな」と呟いて電話を切った。

 昼食のカップ麺が出来上がるのを待つ間に、携帯が鳴った。画面に表示された番号は、初めての携帯番号だった。

「東亜製薬の国松ですが、万永製薬の方ですか?」

 やはり国松からの電話だったが、空木の名前は伝えられていないのか、憶えていないのか、それとも警戒しているのか言わなかった。

「はい、……正確には万永製薬を退職して調査の仕事をしている空木と申します」

空木は、今度は、嘘は言わなかったが、探偵という言葉は使わなかった。

「調査の仕事……、私に何の用件でしょうか?」

「突然ですが、国松さんは、北多摩総合病院の駐車場で、昼の一時から一時半の間に車が何台か故意に傷つけられた事件をご存知だと思いますが、いかがですか?」

「ええ……」

「私は、その被害に遭われた方のある人から、犯人を見つけて欲しいと依頼されました」

「それで何故私に連絡を……」

 と、ここまでは空木の想定通りのやり取りだ。ここでどう答えるのか、を考えていた。

「私の前職がMRだったこともあって、MRは定期的に、ほぼ決まった時間に病院を訪問するのが基本だということを承知しています。それで、目撃者が出てこない中で、あの日病院に来ていた会社のMRさんに訊いておくべきだと考えたんです。ですから、東亜製薬の国松さんにだけに訊くという訳ではないんです。分かっていただけますか」

 開業医院も、病院も、大体はMRが訪問して構わない曜日、時間を指定している。それは、決してMRを邪魔者扱いしている訳ではなく、逆に、忙しい中、より価値ある情報提供、情報収集をお互いにするためにしている事だったが、数多くの医療施設を担当するMRは、スケジュールを組むのに苦労していた。空木はその事をよく理解していた。

「そういう事ですか。分かりました」

「直接お会いしてお聞きするのが筋なのですが……」

「いえいえ、私としては電話で済むものならそうしていただいた方が都合は良いので、どうぞ」

「そうですか、では、お聞きしますが、国松さんは、車が傷つけられた時間には、病院に行っていたんでしょうか?」

 空木は、石黒が言っていた、(あの時間帯に国松が病院にいた)という情報は口にしなかった。もし、国松が(行っていない)と言えば、それは……。

「ちょうどその時間帯に病院に入ったと思います」

 国松の答えは、空木の期待に反した答えだった。

 空木は、探偵業についてから四年、年々嫌な性格になってきたと思う事が多くなった。方便とは言え、嘘を吐いたり、人を試すような言い方をしたり、果ては人を疑ってみたりする。その度にこの仕事に就いて良かったのかと思う。MRの仕事を続けていれば、社会性も仕事のやり甲斐もあり、何よりも収入が安定していたと。しかし、それを自分で選んで辞めたのだ、決めたのだと。

「そうですか。それで、何か見ませんでしたか。例えば、車の横とか、周りを歩いていたとか、不審な動きをしていた人間とかですが」

「………」

 二秒間の沈黙に空木は、今度は違う期待をした。

「何か見たんですか?」

「傷をつけた犯人かどうかは分かりませんが、傷を付けられた車の方向から病院の玄関に向かって歩いて行った男がいました」

 期待通りの答えだった。

「それは何時頃だったのか分かりますか?」

「一時十五分頃だったと思います。私が駐車場に車を停めた時の時間ですから、ほぼ間違いないと思います」

「どんな男だったか憶えていますか?」

「黒っぽい半袖シャツを着た年配の男性だったように思いますが……」

「顔は見ましたか?」

「いえ、はっきりとは見ていません。横顔と言うか、斜め後ろからしか見えませんでしたから、顔は見えませんでした。でも眼鏡をかけていたように見えました」

「その事は、病院には伝えましたか」

「いえ、現場を見た訳ではないので、目撃したという事にはならないと思って言ってはいません。今からでも言った方が良いでしょうか……」

「まあ、確かにその年配の男が犯人という訳ではないですからね」

 空木は、国松に礼を言って電話を終えた。

 カップ麵は、麵が伸び切って、カップのふたが持ち上がっていた。




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