護り人(3)
浜崎恵奈から送られてきた手袋の写真は、黒地の手袋の甲の面に、登山服メーカーのNFというアルファベットをあしらったロゴマークが入り、見た目には、恵奈の言っていた通りのフリース生地のような手袋だった。そして、それはMサイズの右手用の手袋だった。
空木は、名刺を引っ張り出し、甲州中央署の刑事の飯富に、相談の電話を入れてみることにした。飯富とは、十月末に土田嘉英の家宅捜索で会って以来であり、突然電話をすることに些かの遠慮の想いはあったものの、飯富の手をさほど煩わすことはないだろうと、勝手な理屈をつけての相談だった。
大晦日という暦日も警察にとっては、無関係なのだろう、飯富は署に出ていた。
空木は、突然の電話を詫びた後、佐原浩が発見時にしていた片手の手袋について、その色、サイズ、メーカーのロゴマークの有無、そして左右どちらの手袋だったのかを確認したいと伝えた。
「確認するのは簡単ですが、今更、何故そんなことを確認したいんですか」
飯富の問いの言外には、解決した事件を蒸し返すつもりなのか、という思いがあるように空木には思えた。どう答えるか、守護霊の話はとても出来ない。
「つい最近、また佐原さんが亡くなったあの山に登ったんですが、佐原さんが転落した辺りで黒い手袋の片方を見つけたんです。それがもしかしたら、佐原さんのものなら、ご遺族に返すべきかと思ったんです」
空木は嘘を吐いた。
「……暮れの押し詰まったこの時期に登ったんですか……」
飯富は疑っている。空木は咄嗟に続けた。
「あの事故の時は、三条の湯に泊まることが出来なかったので、改めて行くことにしたんです。今年の登り納めも兼ねて登りに行って、たまたま見つけたんです」
飯富は、空木の答えにそれ以上の質問はすることはなかった。そして、少し待って欲しいと言い、受話器を置き、席を離れたようだった。
暫くして受話器を取った飯富は、何かを机に置き、
「サイズはMで左手用です。メーカーのロゴマークは、これでしょうか、手の甲にNFというアルファベットを変形させた字が縫い込まれていますね」と伝えた。
「生地は分かりますか」
「現物はここには無いので分かりませんが、写真で見る限りでは、毛羽だっているように見えますね」
フリース生地だと空木は確信した。
「分かりました。ありがとうございました」
「どうですか、同じ物のようですか?」
「…いや、違ったようです」
空木はほんの一瞬躊躇し、答えた。
電話を終えた空木は、飯富への答えに自問しなければならなかった。
浜崎恵奈の父の墓前に置かれた手袋は、佐原浩が左手にしていた手袋と同じメーカー、同じサイズ、同じ色の右手用だと分かった。にもかかわらず空木は『違ったようだ』と答えた。
答えた空木自身の心と、その判断に向き合うかのように、空木はベランダへ出た。そして、考える時には、いつもそうするように丹沢の山並みと富士山を眺めた。
墓前に手袋を置いたのが守護霊だとは、空木は勿論信じてはいない。誰かが置いた物だと確信している。その誰かは、佐原浩が死んだことは勿論、浜崎恵奈の父親が滑落死した原因が、佐原が落とした手袋にあることも、更には常寂光寺のお墓の場所も知っていた。もう一つ重要なことは、佐原が着用していた手袋のメーカーも知っていた人物だ。その人物はやはり甲賀ではないだろうか、甲賀しかいないと思う。しかし、甲賀は佐原の手袋をどこで知ったのか。過去に山行を共にする機会に知ったとすれば、浜崎恵奈に、供養のために自分が置いたと何故言わなかったのか。……言えなかったのだとしたら、それはもしかしたら甲賀が置いた手袋は、佐原が死んだあの日、あの時、右手にしていた手袋そのものだったかも知れない。
空木が飯富の問い掛けに『違ったようだ』と答えた理由はこれだった。咄嗟に甲賀を佐原の死に結びつけることを避けたのだ。何故、避けたのか、その訳は空木にもはっきり分からなかった。ただ空木の本能がそうさせたとしか言いようがなかった。
部屋に戻った空木に、もう一つの本能のようなものが騒ぎ始めた。本能というよりも、探偵業を始めてから身に着いたものかも知れない、推理という仮説を立てた上で、それを立証してみたいという思いだ。
空木は手帳を取り出して、以前、浜崎恵奈から、雲取山の山行について話を聞いた時の内容を書き留めたページを開いた。
甲賀が、佐原の右手の手袋を手に入れることが出来たと仮定したら、甲賀は十月二十一日土曜日の朝、佐原が雲取山から飛竜山に向けて縦走路を歩いている時、あの周辺にいなければならない。とは言え、佐原からの雲取山への山行を断った甲賀としては、佐原と顔を会わすことは避けたかった筈だ。佐原の山行計画を知っていた甲賀ならどうするか。空木自身ならどうするか。自分なら、前夜からあの周辺に潜んで待つか、早朝にあの周辺に行って待つかだろう。
空木にはそれを調べる方法はなかったが、一つだけ確認してみたいことが
あった。それは、三条の湯の小屋の、佐原が亡くなる前日の、十月二十日金曜日の宿泊者だった。




