挨拶状(4)
十一月二十六日日曜日に登山者が発見通報した、桂川に架かる梁川大橋の下で死んでいた男性は、持っていた運転免許証から大阪府寝屋川市に住所を持つ、北山伸夫五十歳とされ、大阪から駆け付けた家族により、本人と確認された。
警察は、橋の欄干近くに置かれた靴から、自殺の可能性が考えられることを家族に話し、心当たりを聞いた。家族は、ホープ製薬に勤めている北山は、五年前に大阪から東京支店に転勤し、単身赴任していて、年に三、四回しか帰って来ないこともあって、自殺するような心当たりは全く分からないと話した。
そして、梁川大橋に置かれていた大阪ナンバーの車は、その車検証から、所有者は北山伸夫ではなく、大阪府豊中市に住所を置く、横谷仁志の所有する車であることも判明した。北山の妻は、横谷さんは、勤める会社の先輩だと思う、と語った。
車の所有者の横谷は、昨日の土曜日から今日まで、北山に車を貸していたと言い、北山が死んだことを聞き、驚いたのだった。
車の後部席には、寝袋と黒い書類カバンが残されていた。寝袋の中には、黒のハーフコートと黒のバケットハットが、書類カバンの中には、スマホの他、数枚のA4サイズのビラが入っていた。
検視結果は、橋から落ちた衝撃による、脳挫傷、臓器損傷が死因で、即死とされた。その死亡推定時刻は、十一月二十五日土曜日の夜十時から十二時の間とされ、状況から、自殺ではないかと推定されたが、刑事課は、検死解剖の結果が出るまでは「自殺と思われる」としてマスコミに発表した。
北山の行動を追った日の翌日、空木は国分寺署の石山田に、北山を尾行したことを話した。そして、北山が大阪ナンバーの車で立川に行き、ある一人にカッターナイフの刃をポストに入れるという嫌がらせをした後、別のマンションに行ったが、未遂で終わって帰って行った。カッターナイフの刃の嫌がらせを受けた家の防犯カメラに写っていた男は、既に国分寺署に、嫌がらせの被害届けを出している福永弥生のマンションの防犯カメラに写っていた男と一緒で、黒い帽子とマスク、黒いハーフコートを着ていた。北山に間違いないと思うが、家宅捜索出来ないか訊いた。
石山田は、二つの防犯カメラの男が、同一人物だとしても、その男が北山という男である、ということにはならない。ガサ入れは難しい。北山本人の写真と照合すれば、身長や顔の輪郭から同一性の判定が出来るかも知れないが……、という答えが返ってきた。
それは、空木の予想通りの反応だった。空木は昨日、北山の姿をカメラに収めていたが、その姿は、黒いハーフコートを着た後ろ姿の写真だけだった。
「黒いハーフコートを着た後ろ姿の写真しかないが……」
「難しいと思うけど、一応俺のスマホに送っておいてくれ、生安課と相談する」
空木は石山田に礼を言って電話を終えた。
午後、空木は昨日に続いて丸ノ内線中野坂上駅に降り、北山のマンションに向かった。北山の顔写真を撮りたかった空木は、北山の在室の確認をするために、また新聞販売店の販売員を装ってドアフォンを押した。二度、三度と押したが、今日は何の反応も無かった。時刻は四時を回って日の入りが近付いていた。部屋の明かりが点く筈だと、空木は外から北山の部屋が確認出来るところへ回った。しかし、陽が沈んでも、五時になっても点灯することはなかった。
「……居ないのか」呟いた空木は、国立駅への帰路についた。
午後六時少し前、国立駅を降りた空木が北口を出た時、携帯電話に着信があった。石黒勇樹と表示された。
「空木さん、ニュースを見ましたか」
「いいえ、何かあったんですか」
「大変なことが起こりましたよ。北山さんが自殺したそうです。今、テレビのニュースで……」
「北山さんが自殺、本当ですか。私は外出しているのでテレビは見ていないのですが……」
石黒は、「場所は山梨県の桂川に架かる橋の下と言っていたと思いますが、はっきりとは分かりません。ただ、北山伸夫五十歳は間違いありません」と話した。
電話を切った空木は、北口の桜の木の植え込みのベンチに座り、スマホのニュースを閲覧した。
<山梨県の桂川の河原に男性死体>の見出しが目に入った。
死亡したのは、北山伸夫五十歳、会社員。発見された場所は、山梨県大月市梁川の桂川に架かる梁川大橋の下、と書かれ、土曜日の夜間に橋から飛び降りて自殺した可能性があるとされていた。
「北山が自殺するとは……」空木は思わず声が出た。周りを見廻した。空木に顔を向ける人はいなかった。
『平寿司』へ向かおうと空木が立ち上がった時、空木の携帯にまた着信があった。
今度は浜崎恵奈と表示された。
恵奈は、友人の東村から連絡があったと言って、
「北山さんが自殺して亡くなったというのは本当ですか」と訊いた。
「私も、石黒さんからの連絡を聞いて驚きましたが、本当のようです」
「何故、自殺を……」
「それは、私には分かりません」
「……実は、昨日空木さんからメールをいただいた後、甲賀さんからも連絡があったんです」
「……甲賀さんですか……」
「はい、私の亡くなった父の勤めていた会社の後輩の方で、お世話になっている方です。以前、空木さんにもそんなお話をしたのですが……」
空木は以前、恵奈から甲賀という男の話を聞いたことを思い出した。雲取山へ恵奈が山行するきっかけとなった、佐原という男の山行計画を教えたのが甲賀だったと。
「その甲賀さんから、北山さんはもう二度と嫌がらせはしないと約束したから、安心して良いって、連絡をもらったんです。だから、その北山さんが自殺するというのはビックリなんです」
「それはどういうことですか。甲賀さんは、何故そんなことを浜崎さんに伝えたんですか。甲賀さんは嫌がらせのことを知っていたということですか」
空木の問いに、浜崎恵奈は、伊豆の天城山に出かける前日、友人の東村とともに甲賀と食事をした時のことを話した。北山の仕業だと思われる嫌がらせを受けていること、今週の土曜日の夜に、皆で協力してその証拠を掴もうとしているが、自分は留守にするので協力できないし、誹謗中傷のビラを貼られる嫌がらせを受けるかも知れない、という話を甲賀にしたことを空木に伝えた。すると甲賀は、許せないことだと言って、京都への引っ越しの予定を遅らせて恵奈のマンションを監視すると言ったが、空木さんの話を伝えて、そこまでしてもらわなくて良い、と伝えたことも空木に話した。
「それで甲賀さんは、浜崎さんのマンションで北山さんと出くわしたんですか」
「そう言っていました。甲賀さんは北山さんと面識があったので、帽子とマスクをしていても北山さんだと分かったと言っていました。スマホで写真を撮って、貼っていたビラも取り上げたとも言っていました。『北山さんですね』と声を掛けたら、逃げて行ったのでその場では話は出来なかったと言っていました」
あの時、あの細い道から、北山の後に出て来た男が、甲賀だったのかと、空木は合点した。その甲賀は、北山らしき男の姿をスマホに収め、ビラまで取り上げたという。北山の嫌がらせの証拠を現場で押えてくれていたのだ。ただ、北山が死んでしまった今、それがどれほどの意味があるのかは分からない。
ただ空木には、浜崎恵奈の話を聞いて疑問が浮かんだ。
「甲賀さんは、現場では北山さんとは話せなかったと言いましたよね。なのに、何故もう二度と嫌がらせはしないという約束が出来たんですか?」
「その後、北山さんの携帯電話に電話をかけたそうです。嫌がらせをしないと約束すれば警察には通報しないという条件で約束したと、言っていました」
「………」
北山は、甲賀と約束をした後、自殺をした。その約束が北山を追い詰めたのだろうか。空木は首を捻った。
空木が『平寿司』の暖簾をくぐり引き戸を開けると、女将と女性店員の坂井良子の「いらっしゃいませ」の二重唱の後に、「遅かったな」の野太い声が迎えた。声の主は、石山田巌だった。
「来ていたのか。巌ちゃんに連絡しようと思っていたところだったんだ」
と空木はカウンター席に座り、いつものように鉄火巻きと烏賊刺しを注文し、グラスにビールを注いだ。
そして、空木から、誹謗中傷のビラを貼った犯人の可能性があった北山伸夫が、山梨で自殺したという話を聞いた石山田は、「罪を悔やんで自殺したということかな」と<空木>と書かれた焼酎のボトルで作った水割りを飲んだ。
「悔やんで自殺………」
北山は、四人への嫌がらせを始めて一か月経ったところで、甲賀に現場を押えられ、約束させられ、追い詰められて死を選んだ。自首することはせずに死を選んだ。北山という男は、そういう男だったのか。会社にも家族にも会わす顔は無い、人生は終わったと後悔して死を選ぶ男だったのか。空木は首を捻った。そんな男が、部下にパワハラ、セクハラを繰り返し、執拗に嫌がらせをするだろうか。
「……北山は、本当に自殺なのかな」独り言を呟いた。
空木の独り言が聞こえたのか、
「自殺じゃないとしたら……、殺されたとでも言うのか」石山田は反応したが、その口調は長閑なものだった。
「………」殺すとしたら誰が殺すというのか、空木に答えはなかった。
嫌がらせを受けていた四人のうちの、誰かが殺した可能性があるだろうか。
浜崎恵奈と福永弥生は旅行に行っていた。石黒勇樹と澤木圭一はそれぞれ自宅に居た筈で、時間的には可能性があると言えるだろうが、石黒は北山が立川に入っていたことは知らなかった筈で、あえてこの土曜日に北山を殺すだろうか。殺すつもりなら、別の日にするのではないだろうか。あとは澤木だ。澤木はあの日の六時半頃、自宅のポストにカッターナイフの刃を入れられ、一度ならず二度までも、家族にまで恐怖心を与える嫌がらせをされた。しかも、自宅に取り付けた防犯カメラに写っていた男が、北山だと確信していた。北山を殺す動機としては四人の中では一番強いと言えるかも知れない。あの夜、澤木は北山を携帯電話で呼び出した。来なければ防犯カメラの画像を基に警察に通報する、とでも言ったかも知れない。呼び出した北山をバットかバールのようなものか硬い物で殴って殺し、橋の上から遺棄して自殺に見せかけた。
「殺された可能性を考えているみたいだな」
石山田が作った水割りに手もつけずに、黙って考え込んでいる空木を見れば、石山田でなくても誰でも、その言葉をかけるしかない空木の姿だった。
「…………」
「所轄が、北山という男の死をどう考えているのか、だけでも訊いてみる。うちの署としても、嫌がらせの犯人を挙げるのは仕事だからね」
翌日、石山田から空木の携帯に連絡が入った。
「所轄の大月中央署の刑事課は、検死解剖の結果を待って判断するそうだ」
「ということは、自殺とは断定していない、自殺でない可能性もあるということなのか?」
空木は、自らが想定してみたことでもあったが、所轄の警察が、自殺と断定していないという石山田の話を聞いて、驚きはしなかった。
「所轄は、なぜ解剖結果を待っているんだ。自殺を疑わせる理由でもあるということか」
「うん、一つは橋の欄干の下に、揃えて置かれていた靴に不自然さを感じたことらしい。もう一つは書類カバンに入っていた変なビラに、違和感があったらしい」
「変なビラ……、どんなビラなのか訊いたかい?」
「ああ、訊いたよ。健ちゃんが言っていた誹謗中傷が印刷されたビラだったそうだ。それで俺が、北山はビラを使って何人かに、嫌がらせをしていた可能性あることを伝えたんだ」
石山田たち国分寺署にとっては、北山が嫌がらせの犯人だった確証だが、これであとは、北山のパソコンから原稿ファイルが見つかれば、完璧だ。ただし、被疑者死亡での立件になるが。
「それで……」
「家族がこっちにいる間に、北山の部屋のガサ入れをすることになった。合同でね。それで、大月中央署の関という刑事から、健ちゃんに直接電話が入るかも知れないから、承知しておいてくれよ」
石山田は、土曜日の自分の行動を、大月中央署に話したのだろう、「分かった」とだけ言って、空木は電話を終えた。
北山のマンションの家宅捜索で押収したパソコンから、四種類の誹謗中傷が書かれた原稿のデータが発見されたことが、石山田から空木に知らされたのは、翌日だった。その原稿は、福永弥生、石黒勇樹、浜崎恵奈、さらには澤木圭一に向けて作成されたものだった。
さらに、石山田からは、空木から送信された北山の後ろ姿の写真と、福永弥生のマンションの防犯カメラに写っていた男の異同識別の結果が、知らされた。推定された身長は同じ、着用していた黒いハーフコートも同一だったと。
今更だが、これで四人への嫌がらせをしていた犯人が、北山伸夫だったことが判明したと思う空木だったが、澤木への嫌がらせのビラまで用意していた北山の執念深さ、偏った性格を知らされた気分にもなった。と同時に、澤木への嫌がらせのビラの準備までしていたことが、空木の北山の自殺への疑問を膨らませた。
空木は、石黒、福永、浜崎、澤木の四人に、嫌がらせは北山の犯行だったことを伝えた。
四人は四人とも異口同音に「自殺するぐらいなら、自首すれば良かったのに」と口を揃えた。
最後に、所長の大和にも連絡をした。大和は、空木に礼を言った後、解決したことが嬉しかったのか、ホッとした気持ちがそうさせたのか分からないが、空木とともに北山のマンションを車の中で見張っていた時、話しかけた続きを話し始めた。
「青木が北山さんを内部通報した理由ですが、今年の七月頃、立川のショッピングモールの駐車場で、たまたま北山さんが他の車に当て逃げしたところを、山田と一緒に見てしまったそうです。それまでも営業所内でのパワハラ、セクハラには嫌気がさしていたそうですが、当て逃げの現場を見た時、同じ旧ホープ製薬の人間として恥ずかしくて、許せないと思ったそうで、このまま所長にしておいてはダメだと二人で相談し、年下の青木が内部通報した、ということでした。彼らなりの正義感と、合併した会社を思う気持ちからの行動だったんですね。立川営業所も、これからは一つになって頑張って行けると思います」
やはり、大和は嬉しかったのだ。それは事件が解決したことよりも、営業所の所員たちの心が一つに纏まると思えたことが嬉しく、誰かにそれを伝えたかったのではないか、それが事件解決に協力した空木だったのだと。
「そうですね。頑張って下さい」とだけ応じた空木だったが、空木の耳に残った言葉が一つあった。『立川のショッピングモールの駐車場』は、どこかで聞いた覚えのある場所だった。
「それと、空木さんですからお話しするのですが、青木の内部通報とは別に、外部の人間から本社の監査役宛に、北山さんのハラスメントを訴える文書が、送られて来ていたそうなのです」
「外部の人間からですか……。大和さんはそれをどうやって知ったんですか」
「本社の内部統制部のトップが、私と旧社の同期でして、青木の話を伝えた時、監査役からの指摘があったことを教えてくれたのです。それで、急遽の調査、処分決定に至ったということだったそうです」
空木は、ホープ製薬の処分が極めて速かった理由に、合点がいった。
「なるほど」
「それでその外部の人間なんですが、立川営業所の所員の家族からだったようです。本人には確認したり出来ませんが、浜崎の身内からの通報文書だそうです」
「浜崎さんのご身内ですか……」
「浜崎達也という方からだったそうです」
「浜崎達也……」空木は言葉を失った。
「空木さんはご存知なんですか?その方を?」
「いえ………」言葉を濁した空木は、
「これで私の仕事も終わりました」と電話を切った。
空木は、慌ててバッグから手帳を取り出すと、以前、浜崎恵奈と雲取山での事件の件で面会した時の、記録をとったページを開いた。<浜崎達也、八年前に北穂高岳からの下山中に滑落死>と書いていた。




