表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/26

挨拶状(2)

 三連休が終わった月曜日、石黒勇樹は悩みを抱えて営業所に出社した。<ご挨拶>の葉書き、昨晩のピザ配達の件を、新任の所長に相談すべきかどうか昨夜から悩んでいた。

 所長の大和(やまと)は、十一月一日に着任したばかりの上に、今年の四月に所長の職制定年の五十五歳を迎えて所長を外れ、特約店を担当する業務に移っていたところだった。それが、立川営業所の所長の、突然の降格処分で不在となった後を受け、ピンチヒッター的に所長に任命された。石黒たちと同じ太陽薬品の出身とは言え、相談すべきか石黒は躊躇(ためら)った。

 フリーデスクのいつもの場所に座った石黒は、所長のデスクに目をやった。大和の姿はなかった。

「所長は?」石黒は向かい側に座っている福永弥生に訊いた。

「浜崎さんとミーティングルームに入っています。……石黒さん、今朝はコンビニのコーヒーを買わなかったんですか」

 石黒は、営業所に出社する時は、必ずと言っていいほどコンビニのコーヒーを買って来ていた。福永弥生はそのことを指して言っていた。今朝の石黒は、考え事をしていてコーヒーを買うことは、頭から消えていた。

 給湯場からコーヒーを淹れてきた弥生は、一つを石黒に渡した。石黒は礼を言ってコーヒーを口に運んだ。

「福永さん、澤木さんはまだ来ていないんですか?」

「さっき奥さんから電話があって、通院で病院に行くので今日はお休みだそうです。……ところで石黒さん、こんな葉書きが届いたんですけど……」

福永弥生は、一枚の葉書きをバッグから取り出して、石黒に渡した。

「……これ、福永さんにも送られていたのか」

「え、じゃあ石黒さんにも来ていたんですか」

 石黒は頷いた。そして、弥生の後ろのデスクに座っている青木と山田の二人に目をやった。

 旧ホープ製薬出身の青木と山田の二人には、この葉書きは送られてはいなかった。

「浜崎さんには……」石黒は弥生に顔を向けた。

「分からないです。でももしかしたら……」弥生はミーティングルームに目を向けた。

 石黒は、福永弥生は自分と同じことを想像していると感じた。浜崎恵奈は、この葉書きのことで所長の大和と話していると。


 石黒は、浜崎恵奈とともにミーティングルームから出て来た大和に、<御挨拶>と印刷された葉書き二枚を、自分と福永弥生を宛名とした二枚を見せた。

「……二人にも来ていたのか」葉書きを見た大和の反応に、石黒は、浜崎恵奈はやはりこの葉書きを受け取って、所長の大和に相談していたのだと確信した。

「ミーティングが終わったら相談しよう」そう言うと、大和は口を真一文字に結んだ。それは、何かを覚悟したかのように石黒には思えた。


 営業所のミーティングが終わった午前十時過ぎ、ミーティングルームに、石黒、福永弥生そして浜崎恵奈が、大和とテーブルを挟んで向き合う形で座った。

「朝、浜崎さんに送られて来た意味不明な葉書きと、その後、無言電話が何回も架かってきたということで、相談を受けましたが、二人にも同じ葉書きが送られて来た、ということですね」丁寧に話す大和は、石黒と福永弥生に顔を向け、話を促した。

 石黒は、ピザ十人分の宅配の嫌がらせを受けたが、支払いを拒否したことを、福永弥生は、誹謗中傷を印刷されたビラ数枚を、マンションの入口に貼られる嫌がらせを受け、警察に被害の届け出を出したことを話した。

「二人とも随分と酷いことをされましたね。浜崎さんの無言電話を含めて、同じ人間がやったんでしょうか。誰がやったのか、見当はつきませんか」

 二人は分からないと言った上で、石黒が、ピザ店が偽計業務妨害で被害届を出していれば、警察が、自分の携帯電話の番号を知っている人間の中から、犯人を洗い出すのではないか、と話した。そして、自分の勝手な憶測だと断った上で、前所長の北山の仕業のような気がすると話した。

 静かに石黒の話を聞いていた福永弥生は、大きく頷き、

「私も北山さんのような気がします。マンションの防犯カメラでは、夜の六時半過ぎに、マンションの住人ではなさそうな男性が、紙らしき物をエントランスに貼って出て行ったんです。その男の犯行だと思いましたが、ハーフコートを羽織って、黒っぽいバケットハットとマスクで顔が分かりませんでした。でも私は、北山さんは、私を内部通報した人間だと思って、嫌がらせをしてきたんだと思うんです。降格処分になったことを恨んでいるんだと思います」と続いた。

「それは浜崎さんと同じ推測ですね」大和は、今度は浜崎恵奈に顔を向けた。

「嫌がらせをされたのは、私たち三人だけなんでしょうか。旧の会社で言うと太陽薬品の三人だけですが……。これは考え過ぎなんでしょうか」

「青木と山田には、この葉書きは送られてはいない。澤木さんは分からない」浜崎の問いに、石黒が答える形になった。

「合併して四年も経って、まだ出身会社で差別のようなことがあるとは考えたくない、情けないことですからね。澤木さんへの確認は私がしますが、結論として、君たち三人は、どうなることを望みますか?北山さんがやったことなのかどうかを、知りたいということですか」

大和の落ち着いた口調での問いに、三人は同じように頷いた。

「しかし、君たちの推測通りだったとしても、君たちにしたことは犯罪です。北山さんにあなたがやったんだろう、と問い質して、自分がやったと認めるとは思えないが……」

「僕としては、二度とこんなことをしないための抑止力になれば、それでも良いと思うのですが……」

「私は謝ってもらいたいです。何故、こんな酷いことをしたのか、その訳も知りたいです。私たち夫婦は、あのマンションに住めなくなるかも知れないんです」

福永弥生の顔が紅潮した。

「石黒さんは、何の被害もなかったからそれで良いかも知れませんが、私はそうではないんです。主人にも申し訳ないんです」と、弥生の目に涙が滲んだ。

「……確かにそうだね。勝手な言い方で申し訳なかった」石黒はそう言うしかなかった。

「まだ、北山さんがやったことと決まった訳ではないからね、冷静になろう」

大和は、福永弥生に優しい目で語り掛けるように言った。

 大和の口調、態度を見て石黒は、前任の所長の北山と、大和の人間としての違いを思うしかなかった。生まれ持っての性格の違いからなのか、社会人として育ってきた、所謂(いわゆる)社風によるものなのか。いずれにしても、合併したホープ製薬は社員を大事にする会社、部下を人間として大事にする会社であってほしいと。

「このまま何もしなかったら嫌がらせは続くと思うんです。だとしたら、北山さんがやったかどうかは分からないまでも、何らかの形で、僕らが疑っていることを北山さんに伝えてみたらどうでしょう。それでも続くようなら……」

 石黒は、それで嫌がらせが止まれば、北山のやったことだという証になると言いたかったが、それは口にしなかった。

「それで嫌がらせが止まれば、北山さんがやった可能性が高い、ということですか」

大和が、石黒の言いたかったことを代弁するかのように口にした。

「それをどうやって伝えるかだね……」

「大和所長にお任せします。こんな厄介なことを、着任したばかりの所長にお願いして本当に申し訳なく思いますが、どうか宜しくお願いします」

 石黒の言葉に、福永弥生も浜崎恵奈も頭を下げた。


 澤木圭一から聞くことになった話は、大和を暗澹(あんたん)たる思いにさせた。

 澤木から聞いた話は、午前中に三人から訊いたどの嫌がらせよりも悪質で、家族をも不安にさせる嫌がらせだった。それは、器物損壊という刑事事件の扱いとなるものだった。

 急遽の所長として着任したとたん、部下たちが、何者かに卑劣な嫌がらせを受けた。しかもそれが、前任の所長の仕業かも知れないという。

 もしも犯人が北山だとしたら、事件は解決して、部下たちは安心するだろう。しかし、合併会社の代償、ダメージは大きい。旧ホープ製薬、旧太陽薬品それぞれの出身者は、どんな思いになるだろう。特に旧ホープ製薬出身者にとっては恥ずかしく、辛い思いをするのではないだろうか。だからと言って、犯罪を野放しにすることは出来ない。嫌がらせを受けた四人は、二度と会社を、上司を信用することはないだろう。どう対応すべきか、大和には悩ましかった。

 大和の悩ましさを増したことは、上司である東京支店長の横谷(よこたに)の存在だった。普通であれば、組織上営業所で起きた出来事、特に不祥事は即座に上長に報告すべきだが、横谷には大和が懸念することがあった。それは、横谷と北山は、旧ホープ製薬の大阪支店からの上司と部下の関係で、東京支店に異動してきてからも親しくしていて、噂では、横谷はただ親しいだけでは無く、北山に何か弱みを握られて、北山を所長に昇進させたと、陰で囁かれていたことだった。それを耳にしていた大和は、横谷にこの嫌がらせのことを報告すれば、必ず北山に伝わる。それを利用する方法もあるが、本社の内部統制部や人事部に話が上がることなく、もみ消される可能性が高いのではないかと。

 であれば、内部統制部に直接状況を話し、人事部長付課長に降格した北山の、形式上の上司である人事部長に話を伝えるのが良いのではないか。幸いなことに、内部統制部の部長を務める杉沢は、大和と決して親しい訳ではないが、太陽薬品の入社同期の男だった。


「北山課長がやったことだとしたら大変なことだな」杉沢は声を(ひそ)めた。

「北山課長は、うちの部でも、『自分のことをチクった奴は誰なのか教えろ』と言って来ているらしくて、うちの部員の間でも『ブラックな人だ』と言われているんだ。とにかく、大和の部下の名前は出さずに、四人への嫌がらせの内容と、四人が北山課長を疑っている、という話を人事部長に伝えることにする。ただ、言っておくが、人事部長の小野田部長は旧ホープ製薬出身だぞ。大和が懸念している東京支店長に、伝わる可能性もあることは承知しておいてくれよ」

「分かった。四人を安心させるためにも尽力してくれ、宜しく頼む」

 電話を終えた大和は、所長としての責務の一端を果たした気分で、肩の荷が少しだけ軽くなったような気がした。


 大和から、本社の内部統制部を通じて、北山の所属する人事部へ話が報告されたこと、東京支店には支店長を始め誰にもこの話はしていないことが、石黒、澤木、福永弥生、浜崎恵奈の四人に伝えられた。四人は、また嫌がらせが起こるのか、起こらないのか、緊張の週末を迎えることになった。

 土曜日もそして日曜日も、四人にもその周辺にも何事も起こらず、静かに月曜日を迎えた。

 石黒は、コンビニのコーヒーを手に出社すると、大和に何事も無かったことを報告した。澤木、福永弥生、浜崎恵奈も既に出社していて、大和に報告していたようだった。

「全員何事も無かった。良かった」大和はホッとした笑みを浮かべた。

「やっぱり、北山さんがやったんですかね……」

 石黒の言葉が聞こえたのか、澤木と福永弥生が、顔を向けた。澤木の隣に座る青木にも聞こえたのか顔を向けた。

 澤木と福永弥生の視線を感じた石黒は、

「警察は動いているんでしょうかね。僕の所には警察は来ていませんが………」と二人の気持ちを察して、警察という言葉を出した。既に警察に被害届けを出している二人の視線は、北山を警察に訴えたいと思っている筈だと、石黒に感じさせる視線だった。その二人に目をやった大和も、自分と同じように感じている筈だとも。


 しかし、その一週間後、再び四人への嫌がらせが起こった。

 福永弥生には、携帯電話への番号非通知の無言電話が、澤木圭一の家には、注文していない十人前の寿司の出前が届き、石黒勇樹の自宅マンション玄関には、『石黒勇樹は、陰で人を裏切る信用できない人間だ。気をつけろ‼』と印刷されたビラが何枚も貼られ、浜崎恵奈には、大量の避妊具が送られて来た。

 月曜日の午前、所長の大和は四人とミーティングルームに入った。

 四人の受けた嫌がらせを一人ずつ順に訊いた大和は、天井を向いて大きく溜息を吐いた。

 福永弥生は、怒りを露わにし、澤木は思い詰めたように一点を見つめ、浜崎恵奈は、女性を侮辱した行為だと悔し涙を滲ませた。石黒は、「北山さんじゃあなかったということなのでしょうか」と首を(かし)げて大和に話しかけた。

「分かりません。そうかも知れないし、再びやったのかも知れない」

「止めたら自分が犯人だと認めたことになると考えて、またやり始めたんじゃないですか。北山さんはそう考えたんだと思います」福永弥生の語気は荒く、怒りは収まりそうもなかった。

「仮に、北山さんのやったことではないとしても、前回の嫌がらせと同じ私たち四人にやったということは、この営業所に関係している人ということは間違いないと思います」大和に訴えるように言う浜崎恵奈の眼は、真っ赤だった。

「青木、山田の二人のうちのどちらか、ということですか?」

「退職した山元さんも、そういう意味では含まれます」

「………やっぱり私は北山さんだと思います。青木君も山田君も、私たち四人を恨むとは考えられないですし、農薬を混入した山元君は警察の監視下でこんなことが出来るとは思えません。それに山元君が恨むとしたら石黒さんだけだと思います」

淡々と話す澤木に、石黒が「そうかも……」と反応した。

「あ、すみません。石黒さんは勝手に(ねた)まれただけでしたから、被害者でした」澤木は小さく頭を下げた。

「警察には……」と大和は四人の顔を見廻した。

「………」四人とも首を振った。

「まだ、届け出てはいませんが、被害届けとして訴えるとしたら、僕が名誉棄損で届け出ることになりますが、前回の時でもそうだったように、警察は巡回の強化ぐらいしか出来ないみたいです」石黒は福永弥生に顔を向け、続けて、

「いっそのこと、北山さんの名前を警察に出して、捜査をしてくれるように頼みますか」と切り出すと、

「このままでは何も変わらないと思います。私はそうすべきだと思います」福永弥生は強い口調で大和を睨みつけて言った。

 ほんの暫く誰も言葉を発しなかったが、浜崎恵奈が、「あっ」と何かを思い出したかのように声を上げ、

「石黒さん、あの探偵さんに協力というか、相談してみたらどうですか」と唐突に言葉を発し、石黒に顔を向けた。

「探偵………」大和が(いぶか)し気に石黒に目を向けると、福永弥生も澤木も同じように石黒に目をやった。

「先月、僕の力になってくれたというか、助けてくれた空木という、元MRの探偵のことです」

「元MRの探偵ですか……」

 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ