プロローグ
土田嘉英は、自宅の庭の隅に、奥多摩の山から持ち帰った山野草の数株を植え付けた。その野草は、青紫色の小さな花を付けていた。
東京都下の町、小平市御幸町に二十五年前に購入した一戸建ての家の庭は、小さいながらも花壇もあった。しかし、その花壇に今は一輪の花も咲いてはおらず、花の一株も植え付けられてはいなかった。というより全て枯れてしまっていた。
三年前までは、花好きな妻が、季節ごとに花を植え付け、花にさほどの興味を持たない嘉英も、それなりに季節感を感じたものだったが、その妻が家を去った後は、庭の手入れはされることはなく、一年草の花は勿論の事、多年草の花々も全て枯れてしまっていた。
三年前の出来事は、嘉英にとって青天の霹靂だった。四十年勤めた化学会社を、定年延長制度を受けることを断り、部長職の定年の六十三歳で退職した嘉英に、二歳年下の妻は、離婚届けを用意していた。
白地に緑色の線と文字が印刷された、A3サイズの薄い紙に、妻の名前が書かれ、印鑑が押されていた。嘉英は無論、離婚届という物を見るのは初めてだった。
妻は本気だった。「三十六年間あなたにはお世話になりました」と礼を言い、これからは私の人生、自由にさせてほしい、と嘉英の目を見て言ったのだった。
嘉英は思いもしなかった妻の言葉に動転し、焦り、そして怒った。
妻はさらに、嘉英の身の回りの世話全て、食事の世話も、もうするつもりはないと、はっきり意思を示し、この決意は変わらないと言った。
家族の為だと、仕事一筋に打ち込み、上場会社の部長にまで昇り上げた男の、どこに不満があるのか。専業主婦として何不自由なく暮らせたのは、俺の努力があったからだろうという嘉英の想いも、苛立ちも消える事はなかった。それが男の身勝手な、そして傲慢な独りよがりだと気付く事もなかった。
財産分与も済み、妻が居なくなった家は、次第にゴミが溜まり、汚れ、ゴミ屋敷寸前の状態になるのにさほど月日はかからなかった。分別ゴミの出し方も、収集日も分からない、いや知ろうともしない嘉英には、近所の目などは気にならなくなっていた。月に一度のペースで父の一人暮らしを気に掛けて来ていた娘も、何度言っても聞く耳を持たない父に、次第に足が遠のいていった。
雇用保険の支給期間が切れた後、嘉英は職探しをした。しかし、上場会社の部長だったというプライドが捨てきれない、嘉英の希望に叶う職など見つかる筈はなかった。
その嘉英には、日課にしている事があった。それは、歩いて十分程の所にある都立小金井公園内を一時間程歩く事だった。六十歳過ぎから、人に勧められて始めた山登りのためのトレーニングのつもりの歩きでもあった。嘉英はそのウォーキングの途中で良く見かける数匹の野良猫たちに、この猫たちもどうやって生きているのか分からないが、生きているんだな、と自分の姿と重ねていた。




