5.鍵と夢
何か、ある。
入口(があった場所)の丁度向かい側の壁の真ん中、下。そこに、ネズミ穴のようなものが開いていることに気付いた。
これって最初からあったのかな……いや、あったなら一番最初に見た時に気付いただろう。いつからあったのか。
近付いて、しゃがみ込む。
穴は「穴」と言うには妙にきちんとしたものだった。高さ10センチくらいのそれは、縦長の長方形で、きちんと木枠が嵌めてあり、ちゃんとした出入口になっている。
「いや、確かにミニマム化するにしても中途半端じゃ意味ないって言ったけどね、確かに俺言ったけどね?」
これ、意味ないでしょう。……思わず口走る。
それともこれは装飾なのか。だとしたら設計者は、壁に穴を開けるなんて相当頭と趣味が悪かったに違いない。
…とりあえず、覗いてみよーかな?
もしかしたら覗き穴かもしれないし。……絨毯に耳をつけなきゃ覗けないなんて非効率にもほどがあるけどね。
よっこらしょっと腰を下ろし、体を傾けた。間近で見ると、繊細な細工が為されていて、感嘆の声をあげそうになる。こんな小さなモノにまで技巧を凝らすとは。
「でもなぁ……なんなんだろ、コレ」
そう言って覗き込んだ時だった。
「あーーーッ!!!!」
穴の向こうにあったのは、
「エレベーターじゃん!」
そう、小さな小さな出入口の向こうには、(無論普通サイズの)エレベータホールがあったのだ。設計者が凝りに凝って造ったことが伺われる廊下や部屋と違い、最初の部屋のように簡素な薄灰色のエレベータホール。刻まれたプレートの文字は読めないが、恐らく「B1」とか「2」とか書いてあるのだろう。一番左が光っているから、ボタンさえ押せば開くに違いない。
――脱出経路だ!
アンティークな空間に対し、無駄を削ぎ落としたホールは正しく「お伽の国」に対する「現実世界」といった風だ。これが脱出経路でなかったらなんなんだ。
「なーんだ、結構アッサリじゃん」
貴方次第って、これ見つけられるかってことかよーと笑ったのも束の間。
…………、
「いや………だから、どーやって通んの………」
床に手をついてがっくり落ち込む。
そうじゃん、通れる大きさならこんな苦労して探し出したりしてねーよ……。
ハァー、と溜め息。自分の馬鹿さ加減が嫌になる。思って、額に手を遣りかけた時。
「あ」
そういえば、小壜なんか握っちゃってたっけ。
ふと、その小壜が元は鍵だったことを思う。――きらりと光る硝子壜。タグ。『DRINK ME』。薄紫の液体。硝子の栓。金色の鍵。
通れない扉には鍵を使う。これは元々鍵だったのだから、もしかして、この壜が『通れない場所を通る道具』なのだろうか。
「………。」
立ち上がり、ぐるりと部屋を見渡した。二回、三回としつこく見たが、何一つ変わっていないように見える。変化を繰り返してきた部屋が黙り込んでしまった以上、俺には隠された(と思われる)入口すら見つけられない。
決めて、十数えてみる。
一、二、三……
「九、十!」
そして再び(何度目になるだろう)全体を、何か捜すように見回す。が、変化は何も見つからなかった。
「よっし!」
これは、あれだ。
「……この液体…薬?飲むしかねぇよな」
これだけお膳立てされてるんだ。加えて、死んでんのか死んでないのか分からないような状況なんだ。これが縮み薬とか壁擦り抜け薬とかの可能性だって充分に………充分、に、あるはずなんだってば!
そろそろ色々と麻痺してきたのかもしれないと、頭の隅で冷静な声が言う。だがそんなの仕方ないだろう?縮み薬なんて、消える扉に現るテーブル、果てには手の中で壜に成長(或いは退化)する鍵に較べればいっそ常識的、もしくは空気読めてるじゃないか。それに俺、早く帰りたいし。だから、
「飲むしかないって」
未だ尻込みしている自分に言い聞かせるように、否実際俺しかいないのだから自分しか聞かせる相手なんかいないけど、声を大きめに呟いて栓を抜いた。ピキンと密着した硝子が外れるおとがして、栓は胴と別れを告げた。
体の前に捧げ持つと、ちょっとした緊張感に包まれる。音も無く藤色は揺らめく。誘うようなその動きに励まされ、自分の背を押すように呟いた。
「飲むぞ」
後は何も考えずに、一気に煽った。
舌に触れる刺激が味の名前に変換される前に、ごくんと喉を鳴らして飲み干した。脳がショートしているのか本当にそうなのか、無味だった。水の味すらしなくて、どうにも恐ろしくなる。飲み物じゃないモノを飲んでしまった気がして。
「まぁ全部今更だけど」
声に出してみたが、声が震えていたり、まして声が出なかったりはしなかった。思ってすぐに、そんなことを心配していたらしい自分に呆れる。
さて、と。くるんと部屋を見回すが、特に変わった様子もない。期待したような、出入口の向こうに行けるような変化は言わずもがな、である。
……やっぱり、縮み薬なんてファンタジック過ぎたか。無茶苦茶すぎる。
そう結論付けた時だった。
壁紙の模様がぐわんと歪んで――
――歪んだと理解する前に、俺の思考はブラックアウトした。
****
俺の前に広がる白い世界。あの部屋と違って、眩しいくらいの白だ。光の中ってこんな感じなのかな。
その中に、一人の少女がいた。床があるのか浮かんでいるのかも分からない。
少女は、いつか見たような気がした。腰まである金髪に黒いリボン、空色のエプロンドレスに白いハイソックス、焦げ茶のローファ。
それはまるでお伽話の主人公。
彼女は、一歩、踏み出した。
そしてにこりと――いや、どちらかと言えばにやにやと笑った。
「君は誘う女。」
姿に似合った鶯みたいな良い声だったが、まるで少年のような口調だった。
「死と戦争を司る者。影。地底に囚われた者。」
にやにや笑いを浮かべたまま、ゆっくりと近付いてくる。
でも、俺、俺の身体は何処に?
「咽び塞がった声。腐った躯には、蛆が沸いている。八雷神を纏う、羞恥と激昂の女神」
不意に、彼女はくるりと身体を一回転させた。にやにや笑いは消えていないけれど、所作がまるで違う。
「貴方は少女。」
唄うような口振りは、それこそ少女らしいものだった。さっきと同じ声だが、出し方が全く異なっていた。
「目も眩む様な光。冥王に奪われた哀れな花嫁。破壊者。」
どこか切なく悲哀の篭った声は、にやにや笑いに酷く似合わなかった。まるで悲歌を唄うよう。
「柘榴を口にした者。光を壊す者。水仙に惹かれた、豊饒と春の女神」
くるんと可愛らしく回り、にやにやと笑ったまま歩き出した。
「君は」「貴方は」
同時に声がする。
「戻れない」「帰れない」
「囚われた」「捕まった」
嫌だ、と思った。
俺は帰るんだ、元いたあの世界に。
「何故?」「如何して?」
なんでって、こんなおかしなイカレた世界に誰がいたいと願うんだ。狐は死して丘に首すと言う、それで良いじゃないか。正しいじゃないか。それが普通、当たり前なんだから。
「フツウ」「アタリマエ」
「何処にあるのさ?」「誰が決めたの?」
にやにや笑ったまま少女は訊く。
煩い、煩い煩い煩い!
帰りたい、帰ってさっさと寝たい。もう疲れた……。
「面白いのに」「楽しいのに」
クスクス笑い出すかと思ったが、少女はにやにや笑っているだけだった。
「遊ぼうよ」「遊んでよ」
『ねぇ、遊ぼう?』
そう言って差し出された手の平は、白く美しいかった。
払い退けるべきか取るべきか……悩んでいたら、手の平は引いてしまった。
「残念、時間だわ」
「つまんないや」
二つの声が、今度は交互に聞こえた。
かと思うと、
――視界がホワイトアウトした。
これで第一章は終了です。
最後だからか、いつもよりは少し長くなったよ!(←だからなんだ
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