3.うさぎの穴に落ちて
少年を追い掛けて暗い廊下を駆けていくと、曲がり角にぶちあたった。
右手に折れた廊下の先から、ぱたぱたと軽い足音。
近い、と思って走りのスピードを落とさずに曲がった。
が。
「はれ、いねぇ」
折れた先の廊下は、五、六メートル延びたところで突き当たりになっていた。突き当たりの壁に蛍光灯が備え付けてあり、はっきりと見える、が、少年の姿はない。きょろきょろと見渡すも、狭い廊下で隠れられるわけもなく、しかし彼の姿は何処にも見当たらない。
「さっきも何処から来たのかわかんなかったけどさぁ……」
零しつつとりあえず歩いて行くと、突き当たりの一メートル四方分、床が無いことに気付いた。
……穴?
駆けていって見下ろすと、金属製の梯子が掛かっている角柱形の穴が空いていた。
どうやら少年は此処を降りたらしい。
だが、一つ腑に落ちない点が。
「……見失って時間経ってないのに穴覗いてもいないってのは早過ぎないか?」
梯子なんてそう早く降りれるものじゃない。蛍光灯が弱くあまり光が届かないせいでよく分からないが、梯子を降りる音すら聞こえないのはおかしい。かと言って此処以外に脱出経路があるとも思えないし……
「よし」
導き出された結論。
これでも、決断は早い方なんだ。折角見つけた脱出の糸口を簡単に逃したくは無い。
ひとつ深呼吸をして。
「――えぃやっ!」
俺は穴に飛び降りた。
****
ごうごうと風の音が恐ろしく俺の耳を掠めていく。
十数秒くらい、だろうか。もしかしたら十秒もなかったかもしれない。
固いような柔らかいようなものに、
ドスン!
と派手に着地した。着地とか言って、尻からだけど。ケツいてぇ。
「いったたたた……」
だが、怪我はなさそうだ。これ、なんだか学校の体育のハードル跳びン時のマットみたいだ。相当落ちたろうに、ケツ痛いくらいで済むとは中々だ。
はたと気付いて顔を上げると、すぐ目の前に、ぽかんとした少年がいた。
がしっ
「うわぁっ!は、離せ!」
「嫌だね、お前が俺の質問に答えなきゃ、腕は離してやんねぇ」
そう言ってがっしり掴んだ右手首を見せ付けるように持ち上げた。
「離せ!アリスのくせに穴を飛び降りるなんて……!」
そう、観察より導き出された推測は、『少年は梯子を使わず飛び降りた』ということ。なら俺だって飛び降りても安全だろうし、きっと梯子で来ると思って油断しているに違いないと踏んだのだ。それはどうやら見事に当たったようなのだが。
「アリス……?」
少年はハッとして、軽く青ざめる。口が滑ったようだ。
「………離せ」
「おい少年、アリスって?」
「離せ」
「……此処は何処だ?」
「離せ!」
「………。」
埒が開かない。はぁ、とため息を吐いた。
少年は銀髪に淡紅梅の瞳をしていた。アルビノとかでは無いんだろうけれど、なんて言うか、夢に見たうさぎみたいだ。
「少年、質問に答えたら離してやる」
眼を見て言うと、流石に諦めたのか不承不承頷いた。騒いだ所為か、少し頬が上気している。
「一つ目、此処は何処だ」
「それは僕の役割ではない」
………。このガキ、嘗めてんのか。
「ええいもう良い、二つ目!俺は死んだのか?」
「それは僕の役割ではない」
…………。
キレそうになったが、何かしら感じ取ったのか、少々慌てて少年は言った。
「だが、今此処に居る貴方自身は死人ではない。」
それって死んでないってことじゃねーのかよ。
突っ込んでたらキリが無いので進むことにする。
「三つ目。お前はさっき何処から来た?」
「………。」
黙って目を逸らす。どうやらこれは『役割』的に大丈夫そうだ。ついニヤリと悪役面で笑ってしまう。
「……さっきの部屋は」
お、喋り出したぞ?
「境目が見えないだけで、ちゃんと入口も出口もある。僕は入口からドアを開けて入っただけだ。」
「ドアぁ?」
あんなに調べたのに見落としたって?まさか。
……腑に落ちないが、仕方ない。脱出出来たから構わないし。
「じゃあ四つ目」
そう口を開くと、少年はひどく嫌そうな顔をして「五つまでだ」と低く凄んだ。おお怖い。でも五つまでは良いのな。
「俺は藍川壱縷、高校一年。おまえは?」
まさか高校の名前なんて言わなくて良いよな。
そう考えた俺の顔を、少年は、穴が空くほど丸々見開いた眼で見ていた。
「な、なに」
「いや……先に名乗る奴など見なかったから……。貴方は不思議な人だな」
「はぁ?」
不思議って。不思議って。そんな、不思議の国の住人みたいなアンタに言われても!
「日本では人に名前を訊く時は先に名乗るのが礼儀なんだよ」
てーか明らかに日本人じゃないのに随分流暢に日本語話すよね、君。今更だけど。
「こんな状況で律義に礼儀を尽くす謂れも無い気がするが。」
「うっせぇな、ほら答えろ」
答える気が無いわけではないようなので、掴んだ腕を軽く揺らして急かした。こくりと子供らしく頷いたかと思うと、喉の奥で咳払いをして、俺を真っ直ぐ見据えた。
「僕は、【白ウサギ】。」
「うさぎぃ?何それ、名前かぁ?」
「僕の役割だ」
また役割か。なんなんだろう、役割って。それはどうあっても答えてくれないだろうから訊かないけれど、さ。
「まぁいいや。じゃあ白ウサギ、最後の質問だ」
白ウサギはこっくりと頷く。
「――俺は此処から出られるのか?」
淡紅梅の瞳を覗き込むようにして尋ねた。否定も覚悟して。
彼の眼が、何故か、悲しそうに陰った――気がした。
それを打ち消すように冷淡な眼差しを俺に向けて、実に大人びた口調で言った。
「貴方次第です、アリス」
言うが早いか、細身の傘をぐいと押し当ててきた。
喉へ。
「さぁ離してください。僕はもう行かなくては」
針のように鋭い傘の先は今にも喉の皮を突き破りそうで、急に変わった冷淡な口調は人ではないようで、俺は怯えながらそっと腕を離した。白ウサギは簡単に服装を整えると、
「では」
と一礼し、行ってしまった。
廊下は先程のものと比べかなり広く、明るい。
茶色とベージュの壁紙は洒落ていて、中世欧州を思わせる。だが、どこか可愛らしく、お伽話の舞台になりそうだ。…だが、俺はそんな廊下を見てもとても明るい気分やメルヘンな気分にはなれそうもなかった。
「あいつ、本気殺す気……だった、よな?」
唯一の手掛かりが、見た目に反し随分物騒な人物らしいという事実に軽く打ちのめされつつ、そう呟いた。
――追う気にもなれないっての!
ようやく二人目の名前が出てきました。
今回もいつも通り(?)短いです……だったらもっと更新早くしろよって感じですね!!orz