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8.まっ暗な花壇を歩いた

ようやく、お母様の手配してくれたメイド3名が花乙女宮に到着した。


イロナとのお風呂タイムもこれで終了だ。


すこし残念だけど、イロナを侍女の仕事に専念させてあげられる。


もちろん国や家風にもよるのだけど、わがホルヴァース侯爵家で侍女の仕事といえば主君の側近役だ。


いまのわたしの場合、イロナの主な仕事は王太子妃教育のサポートや相談役で、あとはメイドに指図してわたしのプライベートを維持するのもイロナの仕事。


主君を実際に風呂にいれるのは、本来、侍女であるイロナの仕事じゃなかった。


仕事は丁寧だし、不満はなかったけれど、毎回ずぶ濡れになる不慣れな感じは、見ていてどうにも気の毒な気持ちになる。


わが家の家規であるダークブラウンのメイド服を着込んだメイド3名を居室で引見し、正式に任命した。



「……って、なにしてるのよ? リリ」


「ガブのメイドにしてもらおうと思って」



わたしの親友、ジュハース侯爵家のリリがすまし顔で座っていた。


キャラメルブラウンの髪にメイド服がよく似合っていて、ツンとした美形の顔立ちはいかにも仕事ができそうだ。



「ちょ……、いくらなんでも、友だちで侯爵令嬢のリリがメイドじゃ、……わたしが使いにくいわよ」


「エディト様のお許しは得ているぞ?」


「……お母様の?」



あとのふたりを見ると、ひとりはエレノール・コルマーニュ=ホルヴァース。


わが家の分家、コルマーニュ伯爵家の令嬢。


もうひとりは、モニカ・キコート=ホルヴァース。


おなじく分家、キコート子爵家の令嬢。



――家門で固めたのか……。



リリのジュハース侯爵家は、もちろんホルヴァース家門ではないけれど、お母様のご出身で血縁にある。


わたしと気性の似たお母様の書簡には、用件だけが簡潔に記されていて、その意図するところはこちらで読み解くしかない。


スッキリ、サッパリしててお母様らしいのだけど、すこしくらい説明してもらいたいところだ。



けれど――、



エレノールは、わたしのふたつ歳上19歳。すこし面長の顔立ちに、たれ目でほんわかした雰囲気のご令嬢。口調も穏やかで、おっとりと気立てがいい。


モニカは、わたしのひとつ歳下16歳。ちいさな鼻が印象的で、たれ眉にまるい瞳。いつまでもお喋りしてられる社交的な性格。


わたしに能力的な補佐は必要なく、どちらかといえばせっかちで気忙しいわたしに、ゆったりとした時間を持つようにと、


お母様からのメッセージが見て取れる人選だ。



――わたしが同行侍女にイロナを選んだのと、ほぼ同じ理由ね。



リリが、ニヤッと笑った。


わたしとリリの仲はお母様もご存知。リリの希望を容れたのは、そのためだろう。



「もう……、わかったわよ」


「へへっ。よろしくお願いいたします! ご主君!」


「ほんと、くすぐったいわね……」



どうにもリリを相手に〈主従ごっこ〉をしているようで居心地がわるい。


だけど、伝奏役も引き続き務めてくれるそうで、常に外界との連絡手段が確保できるのはありがたい。


なにより、リリとは気が合うし、なんでも相談できる。


つねにそばにいてくれたら、これ以上に心強いことはない。


ただ……、



「私が無理ですよぉ~~~っ!」



と、イロナから物言いがついた。



「侯爵家に伯爵家に子爵家のご令嬢。私、弱小男爵家の生まれですよ!? 侍女としてメイドで使ったりなんかできませんよぉ~~~~~っ!! 侍女とメイド、替わってください~~~っ!!」



赤紫色の髪をふるふる震わせて、さかんに顔を左右に振っている。


まるでパニックになった小動物だ。



「気にされることないのにぃ」


「そうそう。ちゃんとお指図には従いますよ?」



と、エレノールとモニカがなだめるのだけど、イロナはいっこうに落ち着かない。


コルマーニュ伯爵家とキコート子爵家。


ともに人口1万人程度と領地はちいさいけれど、イロナのカピターニュ男爵家と比べたら50倍の規模だ。


おなじホルヴァース家門とはいえ、爵位以上に家格の差がある。


わたしとリリが、そろってため息を吐いた。


リリがチラッとわたしを見てから腰をまげ、イロナの顔をのぞき込む。



「……な、なんでしょうか? リリ様」


「私、メイドなんだからリリでいいわよ」


「そ、そういうわけには……」


「イロナはこれからもずっと、ずうっとガブに仕えるんでしょ? 侍女として」


「そ、そのつもりです……」


「私たちは一時雇い。分かる?」


「……え?」


「ガブが花乙女宮を出たら、私たちはメイドじゃなくなるの。……まあ、タイミングはすこしズレるかもしれないけど、いつまでもガブに仕えるわけじゃないの」


「あ……、なるほど」


「だから忠誠心あふれるイロナ様こそ、ガブの侍女にふさわしいのでございますわ。お分かりになられましたでしょうか? 侍女のイロナ様?」


「や、やめてくださいよぉ~~~」



結局――、


いずれわたしが王太子妃になれば、イロナは侍女長。高位貴族の令嬢や夫人で形成される内廷を取り仕切ることになる。


その練習だということで、ようやくイロナも覚悟を固めた。


リリはもちろんだけど、エレノールもモニカも、女の花園で足を引っ張り合うようなタイプでないのが助かる。


男爵家生まれのイロナのことも、ちゃんと侍女として立て、なごやかにふる舞ってくれている。



――まあ、お母様のご慧眼といったところね……。



落ち着いたところで、リリがわたしにふり返った。



「さあ、ガブ……。いや、ガブ様。お風呂にいたしましょう。その美しいお身体を、腕によりをかけて磨き上げさせていただきますわ」


「……リリ。手付きがやらしいわ」



だいたい、ガブ様は変だろう。


エレノールとモニカもケタケタ笑って、ようやくイロナも笑った。


教育役の花衣伯爵家7令嬢とも、少しずつ心を通わせられるようになってる。


護衛に幼馴染のバルバーラも来てくれた。


ようやくわたしにも、張り詰めた心をゆるめられる、プライベートな時間を確保できた思いだ。



   Ψ



深夜。


夜空にひっかき傷のような欠けてゆく三日月が浮かぶなか、


まっ暗な花壇をリリと歩いた。


とても、悩んだ。


悩んだのだけど、やっぱりリリにだけはわたしの本心を打ち明けておこうと決めた。



「……婚約破棄」


「穏便な、……よ?」



花乙女宮につどう令嬢たち。そのなかで、わたしとおなじ侯爵家の生まれなのはリリだけだ。



――かつて、王太子妃を出したバーリント侯爵家が三大公爵家にいじめ潰された。



この故事を、わが事として捉えられるのは、きっとリリだけだ。


いやむしろ、そんな160年も前の故事、知らないという令嬢がいてもおかしくない。


誰にも聞かせられない話。


ランプも持たずに、広大な夜の花壇にそっと抜け出した。


うすい月明かりだけが、凛々しいリリの整った顔立ちを照らしている。



「たしかに、三大公爵家に本気を出されたらひとたまりもないだろうけど……」


「ええ……。わたし、お母様が大切に守ってこられたホルヴァース侯爵家を、絶対に潰したくないの」


「エディト様のご苦労はなぁ……」



リリから見たら、母エディトは叔母にあたる。ホルヴァース侯爵家の領地経営を一手に担ってきた、お母様のことはよく知っている。



「……だけど、ホルヴァース侯爵家だって、侯爵家としては筆頭だ。しかも、王家の外戚ともなれば、三大公爵家だっておいそれとは手出しできないだろう?」


「侯爵家筆頭って言ったって、三大公爵家に比べたら芥子粒みたいなものよ」



王家であるエステル家、それに三大公爵家を加えた4家門で、ヴィラーグ王国全土の約8割を領有している。


4家門がそれぞれ約2割ずつを領地にしているのに対して、わがホルヴァース侯爵家の領地は王国全体の1.26%。


こまかいようだけど、この「0.06%」がホルヴァース侯爵家の、なけなしのプライドだ。


というのも伯爵家筆頭であるフェニヴェシュ伯爵家の領地は1.20%。わずかに「0.06%」だけわが家の方がうわ回っている。


王家と三大公爵家に比べたら、巨像と蟻。


その蟻ん子どうしが、わずかな領地と家格の差で張り合っているのは滑稽な話だ。


だけど、それが現実。


軍役のために養う兵員にしても、三大公爵家は横並びにどこも6万人。それに対してわが家では5千人。


10分の1にも満たない。


三大公爵家に歯向かうようなことは、わがホルヴァース侯爵家には無理だ。



「わかった。私はいつでもガブの味方だ」


「リリ……、ありがとう」



やっと、わたしに味方ができた。


〈穏便な婚約破棄〉に向けてまったく道筋の見えないまま、時間だけが過ぎていた。


逆方向――わたしを王太子妃に押し上げようとしてくれる〈味方〉ばかりが増え、本心を打ち明けられない心苦しさに押し潰されそうになっていた。


リリの胸に額をのせると、やさしく抱きしめてくれた。


そして、わたしの背中をポンポンっと軽やかに叩いてくれる。


泣くぞ。


凛々しいリリに、そんな男前でやさしいことされたら……。



「……そんなガブに、いい報せとわるい報せがある」



と、リリが耳元でささやいた。


いい報せは、春の園遊会でナーダシュディ公爵家のカタリン様が、わたしの花乙女宮入りに不満を述べられていたということ。



「よっし! さすが、カタリン様。わたしの見込んだ通りね!」



拳を握るわたしの喜声に、リリが苦笑いをした。薄明りでよく見えないけど、たぶん眉も寄っている。



「ふつうは、こっちの方が〈わるい報せ〉なんだけどな」


「そうだけど、いいの。わたしが目指してるのは〈穏便な婚約破棄〉なんだから」


「だな……」


「で、この場合における〈わるい報せ〉はなんなの?」


「ガブの花乙女宮入りは、顧問会議で了承されてるそうだ」


「え……」



顧問。わがヴィラーグ王国は国王親政で、宰相や大臣、枢密院といった類のものは置かれていない。


すべての貴族が参画する宮廷こそひらかれているけど、国政については国王陛下が一手に担われている。


それは、三大公爵家に序列をつけることが出来ないからだ。宰相職などを設けたら、どうしても序列が生じる。


だけど、もちろん三大公爵家の意向は無視できない。


そのため、国王陛下のおそばに〈顧問〉が置かれ、三大公爵家のご当主3名と、侯爵家から輪番で3名が務め、国政の重要事項について諮問を受けられる……、のだけど。



「今年……、お父様が顧問の任期を終えられたばかり……」


「……そうだな」



本気だ。


お父様の顧問の任期切れを待っていたんだ。


通常、王家であるエステル家の〈家政〉に属する王太子の婚姻を、顧問に諮られることはない。


なのに、わざわざ顧問会議の了承を取りにいく。これ以上の根回しはない。


三大公爵家にしても、表立ってはより反対しづらくなる。


そして、当事者ともいえるお父様がその会議に列席していたら、お父様が娘の花乙女宮入りに了承を与える形になってしまい角が立つ。より三大侯爵家の怨みをかう。



「……ふわふわ王太子め。意外なところで策士ぶりを発揮しやがって……」


「ガブ……。それは、さすがに口が悪すぎるわ」


「そうね……、ありがと」


「それにアルパード殿下の策じゃないわ」


「え?」


「第1王女エミリー殿下の献策だって話よ?」


「エミリー殿下って……、エゲル侯爵家に輿入れされた?」


「そうよ。あのエミリー殿下よ。ガブだってよく知ってるでしょ?」



思わぬところから、次々に〈敵〉が現われてくる。



政略、あるいは陰謀――……、



わたしの花乙女宮入りには、アルパード殿下がわたしにガチ惚れだってこと以外にも、なにかあるんじゃないか?


いや、もともと王太子殿下の妃とりなど、これ以上ない政略だ。


いろんな思惑が渦巻いて当然……、



――王家が、三大公爵家の影響力を弱めるために、ホルヴァース侯爵家を利用しようとしてる……?



怖気がたつほど恐ろしい想像だ。


わたしの咽喉を裂く刃のような三日月の下、思わずリリの手をにぎると、リリはキュッと握り返してくれた。


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