56.花冠外交
邸宅の裏庭で、ピエカル宗家ご当主ヴィクトリア殿下をみなで囲む。
「私は生来ガサツなタチでな。ロクな礼容も執れない。けれど、遠慮することはない。みな、それぞれ気持ちの良いよう好きに挨拶してくれ」
と、快活に笑われて、みながひとりずつ拝礼を捧げてご挨拶する。
けれど、ヴィクトリア殿下は、
「おおっ。貴女がエルジェーベト公か。なるほど、これはお美しい」
とか、
「レオノーラ夫人! トルダイ公爵とのラブロマンスは帝国乙女にうっとりと夢見させておりますぞ!? 」
などと、鷹揚にして大度であられながら、むしろ礼容には一分の隙もなく、流麗でさえあられた。
――なるほど世界は広い。こんな礼容のあり方がこの世に存在したとは……。
重臣のご令嬢方の目も釘付けだ。
美しい所作に出会えば、見て学び、自らに活かしたい。貴族令嬢の習性だ。
ご年少のヘレナ様が輝かせる瞳など、かつてエルジェーベト様に憧れ仰ぎ見ていた頃のわたしであるかのようだ。
さらに、ヴィクトリア殿下は、見事な花壇をつくった庭師にも会いたいと仰られ、あの赤毛と栗毛の女の子ふたりに、急きょ謁見が許された。
ガチゴチに緊張するふたりに、
「はっは~ん!? さては、そなたらであろう? アルパード殿下の捕囚と、取り戻すために女王陛下となった賢く強く美しい婚約者が帝都に乗り込んで来ると、民衆に噂をバラまいたのは?」
「あ、あの……、その」
「あ、すまんすまん。直言を許す。好きに喋っていいぞ?」
「はっ、はは――っ! ……帝都の奥様方を相手に、花の育て方や、押し花、プリザードフラワー、花菓子の作り方などを教えておりまして」
「はははははっ! それは、いい。突然、広まった噂に狼狽える宮中官僚どもの間抜け面が目に浮かぶな! さすがはカタリン殿下のご慧眼というところか!? あらかじめ庭師たちを市井に溶け込ませておいたのだろう?」
と、悪戯っぽく目をほそめるヴィクトリア殿下に、
カタリン様は、優美な微笑みを返された。
「あら、ヴィクトリア殿下の手の者、無頼の者どもにも、彼女らの生徒がおるようですわ。花に無頼。素敵なことですわね?」
「はははっ! これは一本とられたな」
つまり、ヴィクトリア殿下は無頼を潜ませ、彼女たちの身に危険が及ばないようにとお見守りくださっていたのだ。
ピエカル家の勢力は帝国内外におよび、帝国内の宗家領だけでもわが国に倍する。
帝国内外すべての領土を合わせれば、わが国の4倍以上。その勢威を俗に〈ピエカル帝国〉と呼ぶ向きもある。
さらに無頼を通じて裏社会をも押さえる。
その比類なき一大勢力を頂点で束ね君臨する、いわば女帝。帝国内外、全ピエカルの総帥。ピエカル宗家ご当主、
女大公ヴィクトリア・ピエカル殿下が、
わが国の庭師と気さくにご歓談くださっていた。
しかも、庭師たちの緊張もすぐに解かせてしまう懐の広さ。
――これは……、無頼令嬢云々以前に、ヴィクトリア殿下が、そもそも大人物。
「まずは、ガブリエラ陛下に礼を述べたい」
と、ひと通りの挨拶を終え、庭師たちも下がらせた後、ヴィクトリア殿下が頭をさげてくださった。
「貴国の花々、輸出開始の折にはわがピエカル家にも通商窓口をと、そちらのリリ閣下よりお話を頂戴した」
「リリ……閣下……?」
と、思わず、聞き返した。
「ん? リリ閣下は顧問の役にあるのだろう? 顧問伝奏と言ったか。王の顧問なら〈閣下〉ではないのか?」
「……恐れ入りましてございます。なにせ、急ごしらえの統治体制。与えるべき礼遇の検討を怠っておりました。ご教示いただき、誠にありがとうございます」
わが国では、王権が授けるところの役職を重んじてこなかった。顧問はあくまでも三大公爵家や侯爵家として尊重される。
先例重視のわが国らしい、思わぬ盲点を突かれた思いだった。
「いや……、こちらこそ不躾であった。危急の急場。その凄味に比せば、礼遇など些事であられたことだろう。いらぬことを申した。許されよ」
「いえ、この際、顧問伝奏には〈閣下〉の敬称を許します」
「迅きことは、佳きこと。先例を大切にされる貴国といえども、変えるべきは変え、設けるべきは設けねば、帝国の宮中官僚のごとくに成り果てぬとも限らん」
「……帝国における宮中官僚、とは?」
「ふふっ。アレらは、ゴミ虫よ」
「ゴミ虫……」
「我ら有力な領邦君主は先例で押さえ込もうとし、自分たちよりも弱いと見れば、領邦君主であっても虐待する。侍従旗長に侍従膳部などと肩書きだけは大層だが、ゴミ虫のような輩よ。……皇帝とて、大事は本領。筋の良い家臣は領地に残すからな」
ヴィクトリア殿下が、手でこめかみの辺りをかかれる。
銀の幅広のブレスレッドが、鈍く光った。
「……それでも皇帝を置かねば帝国はたちまち解体する。千余の領邦国家はすべて主権国家となり中央大陸は大戦乱だ。異民族への反攻どころではない。……皇帝にアルパード殿下の捕囚を吹き込んだのも、おおかたいずれかの宮中官僚の仕業であろう」
「左様ですか……」
「それでも、心ある宮中官僚はカタリン殿下の茶会に足を運び、私に密書を届ける」
ビクトリア殿下は眉を寄せ、愛嬌を感じさせる苦笑いを浮かべられた。
「それでも、それでも、それでも……。それでもばかりの複雑怪奇なる帝国を、われらピエカル家が開祖、マウゴジャータに遺されてしまった」
「マウゴジャータ様が……」
「……マウゴジャータは〈パン窯戦争〉で、心を折ったのだ。巻き添えになる民の血が流れることにな」
民から富を搾り取る〈パン窯税〉の廃絶を唱えて始まった内戦が、民の血を流し、命を奪ってゆく。
ながく続いた内戦で、むしろ苦悩を深められたことは想像に難くない。
「地母神教会を排し、ピエカル家は帝位を獲らぬとの密約を結んで和約に及んだ。しかし、教会権威の失墜で領邦君主はやりたい放題。虐げられた民は無頼が匿い逃がしてやる。戦はなくとも、魑魅魍魎どもが跋扈する大帝国となった」
帝国は領邦国家からなる連合国家。
カタリン様が皇帝の住まう帝都で、いわば反皇帝の運動をされても明確には止めることも出来ない。
もちろん、ピエカル宗家からご提供いただいた邸宅がカタリン様を護ってくださっていたのも確かだろうけれど、帝国の歪な権力構造をかいま見た思いだ。
「それを、ガブリエラ陛下の見事なるご手腕にて、心を合わせることなど微塵も考えない領邦君主どもをひとつにまとめあげられてしまった」
「えっ……?」
「リリ閣下をはじめ麗しき女官方から、帝国では廃れんとする優雅な礼容と微笑みをもって贈られる、見たこともない美しき花々。いま、帝国はヴィラーグの花を求める声で満ち溢れておる」
ヴィクトリア殿下が、グイッと胸を反らされ、パカッと大口をあけ快活に笑われた。
「まさに〈花冠外交〉とでも呼ぶべき、華麗なるご手腕。これほど優雅で華麗に皇帝を追い詰めた者など、歴史に類を見ない。このヴィクトリア、心の底からガブリエラ陛下に敬服しておる」
「過分のお言葉……、恐れ入ります」
「ヴィラーグの王権代行者に、無頼令嬢の威風あり」
「えっ?」
「レトキの女王ヴェーラ陛下よりも、ギレンシュテットのアーヴィド陛下よりも、そうご書簡を賜った」
「な、なんと……」
「わが手の無頼、翡翠からもだ。アレはああ見えて万の無頼を従える大親分のひとりだ」
「お、恐れ多いことで……」
「私も実際にお会いして納得も得心もいった。民の流血を避け、華麗なる外交戦で囚われた婚約者を取り戻す。剣を振るえば一迅にて皇帝の首など落せるであろうに、見事なるお覚悟。かの無頼令嬢マウゴジャータもかくあらんや」
く、くわぁ~~~~~~~~~~っ!!
たまらん。
ほ、褒め過ぎですって、姐さん!
わたしはただ、民の心に寄り添わんとされる愛しい〈ふわふわ王太子〉の笑顔を曇らせたくなかっただけだ。
ただ、それだけなのだ。
「ドルフイム辺境伯にしてソルフエゴ国王たるカミル小父も、ずいぶんガブリエラ陛下に会いたがったが、私が遠慮させた」
「え?」
「カミル小父は女癖が悪い。まして、これから息子の嫁、イルマ妃殿下の弟君に輿入れされようとしているガブリエラ陛下に色目など使われては台無しだからな」
「ははっ……」
「それに、これは花婿を囚われた〈乙女の戦〉。無粋な男どもの出る幕などない。そうではないかな、女王陛下?」
「ふふっ。ヴィクトリア殿下の御意のままに」
「はははははっ! 乙女の戦らしく、優雅に茶会を楽しもうではないか! 差し出がましきことながら、私から招待状を出しておいた!」
「と……、仰られますと?」
「恋人の女をさらわれた男が、仲間の男たちからの助けを得て、女を取り返す。そんな物語は世にありふれておるというのに、逆はとんと見かけぬ。われらで見せつけてやろうではないか、乙女の戦を!」
と、ヴィクトリア殿下は快活に笑われて、今年初めて目にする入道雲を気持ちよさそうに見上げられた。
Ψ
それから、通りからもよく見える邸宅2階のテラスで艶やかに茶会をひらく日々が始まった。
優雅なるかなエルジェーベト、艶麗なるかなレオノーラ。清楚はメリンダ、可憐はエスメラルダ。清らかなるヘレナに、閑雅なるリリ。優美極限こそはカタリンぞ。
天女従え君臨するは銀髪の女神がふたり。
豪放磊落パン屋の末裔ヴィクトリアに、容貌神秘、花神の化身かガブリエラ。
わたしたちの茶会をひと目見ようと帝都の民衆が押し寄せ、吟遊詩人が歌にする。
ときには、楚々としたドレスに身を包んだ侍女長イロナとメイド長エレノールが、集まった民衆に花菓子をふる舞い、なおいっそうに沸き立つ。
話を聞きつけ、我こそはと勇んで訪れる貴公子たちも分け入る気概を挫かれ、贈物を置いてすごすご退散する。
最初にご到着されたのは、フルスタール家シュルテン公妃ヨゼフィーネこと、ジュゼフィーナ様。
エルジェーベト様と生き写しのようなお姿の叔母君だけど、さすがに並ばれるとジュゼフィーナ様の方に落ち着きが見られる。
「戦友フランツィスカ王妃陛下のご危難に、取る物も取り敢えず駆け付けられた気高きご矜持。このヴィクトリア、ふかい感銘を受けましてございます」
「恐れ入りますわ、ヴィクトリア殿下。諸歴ありますフルスタールの私にまでお声掛けを賜り光栄なことにございます」
「なに。むさくるしい男どもが権勢欲に目を晦ませて積み重ねた諸歴など、われら清純なる乙女には関わりなきこと。ご一緒にヴィラーグの女神たちと茶会を楽しませていただこうではありませんか。あ、いや。そもそもはカールマーン家のジュゼフィーナ殿もヴィラーグの女神であられたな!」
と、ヴィクトリア殿下がジュゼフィーナ様を迎え入れられ、通りの民衆たちがさらに沸き立つ。
翌日には、ワルデン公国の国母にしてエルジェーベト様のお母君、ブリギッタ様がご到着された。
繊細で神経質にも見えた、切れ長できれいな菱形の瞳には、国母たる自信と風格が満ちて、穏やかに輝いていた。
「非道をなす皇帝を輩出したオステンホフ家の末席の身にありながらのお招き、誠に痛み入ります」
「兄である前ワルデン公はガブリエラ陛下の〈保護〉を受け、殊勝に贖罪の日々を送られているそうではありませんか!? ここはひとつ、皇帝にも〈吠え面〉をかいてもらいませんとな!」
両腕をひろげ、満面の笑みを浮かべられるヴィクトリア殿下。
わたしも再会を喜び合って、娘であるエルジェーベト様も嬉しそうに微笑まれた。
さらに翌日、レトキから生ける伝説、女王ヴェーラ陛下がご到着になられる。
「ふふっ。ガブリエラ陛下とブリギッタ様にジュゼフィーナ様。ワルデン公国の主城以来でございますわね」
と、可憐に微笑まれた。
「あのとき、ガブリエラ陛下が騎士の剣を次々に叩き斬られた。ミアが興奮してみなに語り聞かせるものですから、レトキでも語り草になっておりますのよ?」
「ははっ。お恥ずかしい」
「花の騎士、バルバーラ殿とシャルロタ殿のシンメトリーな〈蹴り〉の美しさまで、レトキでは評判になっておりますわ」
ヘレナ様が手を引いて招き入れたのは、ご到着されたばかりの御母君グンヒルト様。
「このたびのお招き、誠に光栄ですわ。それに、ロプコヴィッツ家にもヴィラーグの花の通商窓口にとのお声掛け。父も大層喜んでおります」
「ふふっ。……思わぬ金鉱が、わが国に埋まっておりました」
と、わたしが声を潜めると、グンヒルト様もニヤリと笑われる。
「ほんとうに。他国から嫁いだ私が最初に受けた感動を忘れずにおりましたら、もっと早くに着手できましたものを」
「……ご子息は?」
「アホです」
「アホですかぁ……」
「父の手も焼かせているようで。やはり、ラコチ侯爵家はこのままヘレナに……」
ぷくっとほっぺを膨らませ、可愛らしく鼻の穴をひろげたヘレナ様が胸を張った。
「私にお任せくださいませ! 父ミハーイが地に落したラコチ侯爵の名を、必ずやピカピカに戻してみせますわ!」
「かっ、可愛らしいなぁ~っ!!」
と、ヘレナ様に飛び付いてほおずりされるヴィクトリア殿下の磊落なおふる舞いを、みなの笑いが包む。
わ、わたしが、やりたかったのに……。
そして、メラン家よりフィルボ王妃にしてモラウス女伯、ヨランダ・モラウス=メラン様がご到着になられる。
すべてを母フローラ殿下から聞かされているエスメラルダ様が、ぽわぽわと柔らかな雰囲気で包み込まれるように、ヨランダ様を迎え入れられた。
そこに、ソルフエゴ王国よりイルマ妃殿下がご到着された。
「ヨラーン――……」
と、立ち尽くされるイルマ妃殿下の肩に、エスメラルダ様がそっと手を添えられた。
「イルマ叔母上……。こちらにいらっしゃるのは、フィルボ王妃のヨランダ妃殿下。モラウス女伯でもいらっしゃいますの。私と母フローラの大の仲良しですのよ?」
「そう……、フローラ姉様が」
立ち上がられたヨランダ様が、緊張した面持ちでイルマ妃殿下にカーテシーの礼を捧げた。
「……ヨランダ・モラウス=メランにございます。イルマ妃殿下に、ふたたびのお目通りがかなう日が来ようとは夢にも思っておりませんでした」
「うん、そうね。……いや、そうですわね、ヨランダ妃殿下。これからどうぞ、ご交誼のほどよろしくお願いいたします。きっと……、アルパードも喜びますわ」
さらには、ヴィクトリア殿下の招きに応じられた東方女神諸国の王妃、王女までもが次々に帝都入りされ、
わたしたちの茶会にご参加くださる。
優雅で華麗な乙女たちの茶会は賑わいを増し、帝都の民衆たちがますます押し寄せ、熱狂した。
そして――、
皇帝からの勅使として宮中官僚のひとりが、花の邸宅へと訪れた。
「……こ、皇帝陛下におかれましては、ガブリエラ陛下に謁見の栄誉を許してもよいと仰せにございますれば……」
茶会の場に通された勅使は、乙女たちの優美な微笑みに怯みながら、たどたどしく口上を述べる。
帝都で高まる皇帝非難の声、帝国全土に広がるヴィラーグ王国との友好通商を求める領邦君主たちの声に押され、
ついに、皇帝が折れて来た。
「皇孫ゲオルグ殿下と、貴国ナーダシュディ公女カタリン殿下との婚約に関し、恐れ多くも皇帝陛下御自ら、協議の場を持っても良いとの仰せ……」
「承った」
「な……、皇帝陛下の綸言にございますぞ。恭しく拝受されるのが……」
「臣下の礼を執れと申すのか?」
「うぐっ……」
「それで、皇帝陛下におかれては、この茶会に来られるのか? それとも、エルハーベン宮殿に呼び付けておられるのか?」
「……協議は、エルハーベン宮殿にて執り行わせていただきたく……、伏してお願い申し上げます」
わたしから突っぱねられたら、皇帝に会わせる顔がない宮中官僚が、顔を青白くして頭を下げた。
「承った。宮殿におうかがいする日取りは、改めてこちらより通達する」
「……なにとぞ、よしなに」
わたしは、ついにエルハーベン皇帝アルブレヒト3世と対峙する。
ながく囚われた愛しい愛しい〈ふわふわ王太子〉、わたしのアルパード殿下を、
この手に取り戻すために。




