55.わたし、いま女王だし。
帝都の邸宅に人が集まったのには、やはり花壇が果たした役割が大きかった。
けれど、花壇が出来るまでの間、カタリン様みずから宮中官僚の元に招待状を届けられたり、他家が開く社交の場に顔を出してくださったりと、様々なご努力を重ねてくださっていた。
ヴィラーグ王国におられる限り、三大公爵家のご令嬢であるカタリン様のもとに、人は勝手に集まる。
そして、ナーダシュディ公爵家は元来、反帝国。危急の時に要らぬ妥協をする恐れを国内に抱かせないけれど、人脈もない。
しかも、特使の肩書きをお持ちいただいたのにも関わらず、皇帝からの謁見は許されず、宮中官僚からは軽くあしらわれる。
わたしが身代金の交渉にも応じず、一切拒否すると決めたので、宮中官僚でも皇帝側近は交渉の席にすら着いてくれない。
それでも、わたしには軽妙なご書簡を送られるだけで弱音のひとつも吐かれず、
自分に無関心な帝都でわずかなツテを頼りにご自分から足を運ばれ、汗をかき、軽んじられても微笑みを振りまき、交渉の糸口を探そうと人脈を広げてくださっていた。
ヴィラーグ王国、三大公爵家のご令嬢、
あの、カタリン・ナーダシュディ様が!!
その血の滲むようなご努力が、花壇の造営をキッカケに、一気に花開いたのだ。
頭が下がるとはこのことだ。
そして、壮麗な花壇をご案内くださる優美な公女殿下は、実際に〈モテモテ〉でいらしたらしい。
領邦君主はふだん、領地で暮らす。
ただ、その子である公子・公女クラスは遊学のため帝都に出たり、家督を継ぐ前に人脈を広げようと帝都で暮らす方がいる。
まさに同世代。
恋の花咲かせる貴公子たちから、カタリン様は次々に言い寄られた。
なかなかのご身分の方もいらしたらしい。
けれど、三大公爵家のご令嬢としてお生まれになられ、王太子妃の座を目指すことを宿命づけられたこれまでの人生に、
カタリン様も思われるところがあったのだろう。
身分や血筋より、ご自分との相性が良くて、なによりカタリン様を本当に愛そうという方でないと相手にされなかった。
もちろん――、
「もし、俺の愛人になってくれたら、アルパード殿下のことも……」
などという、ふざけた男は門前払いだ。
そんな中、誠実でまっすぐに愛を伝えてくれる、とある子爵がいた。
帝国で子爵といえば、多くは領邦君主に仕える者で、立場は陪臣だ。
けれど、カタリン様のお優しい本性を見抜き、熱烈に求婚してきた。
初めてご自分に向けられた、純粋で混じり気のない愛情。誠実な瞳の輝き。本当の私を見てくれているという、くすぐったい安心感。
カタリン様のお心は揺さぶられた。
やがて、
――このお方となら……。
と、カタリン様は「どちらにしても、今すぐという訳にはいかない。だけど、真剣に考えたい……」とお伝えになられた。
子爵は喜び、本当の身分を明かす。
自分は皇帝の孫、シャウナス大公国の公子であると。シャウナス大公国の伝統で世継ぎの立場――世子は子爵を名乗るのだと。
「バカじゃないの!!!!!!!」
カタリン、ブチ切れた。
「アレね!? 特使の私をたぶらかして、アルパード殿下の身代金を払わせろって、皇帝に言われて来たのね!?」
子爵。いや、皇帝の孫ゲオルグ・オステンホフさん。そんなふうに受け取られるとは、思ってもみなかった。
ボンボンは怖い。
そんなつもりはなかったと、オロオロするゲオルグさん。
「じゃあ、どんなつもりだったのよ?」
わたしのカタリン様。
尋常じゃなく、面倒見がいい。
聞けば、「それはそれ」という感覚だったらしい。
「バカじゃないの!? 帰りを待つ婚約者のガブリエラ陛下、母王妃陛下、ううん、王国民の全員が、どんな気持ちで日々を過ごしてるか考えたことないの!?」
なかった。
コンコンとお説教なさる、カタリン様。
面倒見がいい。
「……許せません。……祖父が」
と、ポロポロ涙をこぼす、ゲオルグさん。
根は悪い人ではないらしい。
ただ、この人の心の機微が解らない、というか考えたこともなかったポンコツぶりでは、皇帝との仲介など頼めそうにもない。
かえってこじれるのが目に見えている。
惜しい気もするけど、危ない橋にしか見えない。
「……分かったなら、お帰りください。貴方との結婚なんて、みなに悪くて、とても考えられません」
「はい……」
帰った。
次の日も来た。
「バカじゃないの!?」
「カタリン殿下のこと諦められません!」
次の日も、その次の日も、毎日来た。
面倒見のいいカタリン様。
毎日、人の道を説いた。
相手にも心というものがあるのだから、一方的なふる舞いではダメだと。
「……ガブリエラ陛下は、どんなお気持ちでおられるのでしょうか?」
「そうねぇ……、言葉にするのは難しいんだけど……」
と、社交の場を開いていない時間が、カタリン様のご講義の時間になった。
そして、やはり素直で誠実な人柄に惹かれていった。
なにより、自分を愛してくれている。
自分もカタリン様から愛してもらおうと、必死で変わろうとしてくれている。
落ちた。
恋に。
けれど、ゲオルグさん、いや、ゲオルグ殿下。いまはお忍びだ。
アルパード殿下の捕囚によって、潜在的には敵対関係にあると言ってよいヴィラーグ王国の特使との恋仲など、
露見したら、引き裂かれる。
皇帝が認めるはずもなく、宮中官僚に命じて強引に領地のシャウナス大公国に帰らせられるはずだ。
すっかり、貴公子然とした見かけと中身のつり合いが取れてきたゲオルク殿下、
「私は、カタリン殿下の〈駒〉にしてもらったので良い……」
と、落ち着いた物腰で、覚悟の定まった声をハッキリと響かせてくれる。
「……ヴィラーグ王国に亡命し、農夫として生涯を終えたのでもいい。それでも、カタリン殿下の側にいたい」
「う~ん、う~ん、う~ん、じゃあ……、しましょうか、……結婚」
カタリン様の本性は〈いい女〉だ。
わたしの〈ふわふわ王太子〉が、ちょっと特殊な背景を持たれていたというだけで、
このくらい男を惚れさせても、ちっとも不思議なことはない。
カタリン様は、わたしを呼ぶことにした。
決して、皇帝の周辺に情報が漏れないように、細心の注意を払って。
「ガブリエラから正式な外交ルートを通じて、私とゲオルグの結婚を申し込んでもらったら、……皇帝への謁見の機会をつくれると思うのよ」
「あっ……」
「……ガブリエラの入国まで断ったら、紛争状態にあるって認めるようなものだから、それはさすがの皇帝でも出来ない。だけど……、ガブリエラにも〈会わない〉って可能性は充分に考えられるわ」
帝都の邸宅。
裏庭に、密談に適した庭園が設けてある。
そこで、カタリン様を皆で囲んでいる。
ゲオルグ殿下を別室に待たせたのは、これまでの経緯をご報告いただくのに、
「バカじゃないの!?」
を、連発するためだろう。
もうあまり聞かせたくないほどには、カタリン様もベタ惚れでいらっしゃるのだ。
「まあ……、ゲオルグも〈駒〉にしてくれていいって言ってる訳だし、私は最初からその覚悟だわ」
選帝侯による選挙で皇帝を選ぶ、いわゆる選挙王制をとるエルハーベン帝国では、
皇帝の孫だからといって、そのまま将来皇帝になるという訳ではない。
なので、皇太子という概念もない。
けれど、ゲオルグ殿下はご自分の結婚を材料に、祖父である皇帝をいわば騙し討ちにして、わたしがアルパード殿下の解放を交渉できる、謁見の機会をつくっても良いと言ってくれているのだ。
皇孫であることに帝位継承の意味はないとはいえ、シャウナス大公の継承権は取り上げられるかもしれないというのに。
「カタリン様……」
「バカ。……情けない顔しないでよ。それより、皇帝に会えたら言い負かす材料はそろってるんでしょうね?」
「ええ、……なんとか」
いや、むしろ、わたしから申し入れることで、話がこじれ、結婚の話自体が壊れてしまうかもしれない。
それでも、カタリン様が大切にされているものをゲオルグ殿下も大切にしたいと考えられているのだろう。
それほどまでに、深くカタリン様のお心を理解し、そして、愛しておられる。
カタリン様による〈ご教育〉の賜物だとはいえ……、
「いい男を、捕まえられましたわね?」
「でしょ? 私ったら、いい女だから」
その、カタリン様が大切にしてくださっている、わたしとアルパード殿下の結婚。
アルパード殿下の解放。
即時、無条件解放。
ご自身の結婚まで差し出されて、わたしに交渉の機会をつくろうとしてくださっているのだ。
「忠臣カタリンを、未来永劫語り継ぐのよっ!?」
と、つまらなさそうなご表情で、かすかに微笑まれた。
アルパード殿下の解放も、カタリン様のご結婚も、……皇帝から勝ち取りたい。
Ψ
わたしの訪問は、ヴィラーグ女王として正式なもの。
まず外交儀礼として栄誉礼を受けるため、
皇帝の本拠、エルハーベン宮殿に出向く。
案の定、皇帝は出て来ない。
偉そうな宮中官僚が、尊大な態度で案内してくる。
友好的である必要もなく、ツンと威厳ある表情で儀仗兵たちから剣を捧げられた。
「それでは、ガブリエラ陛下、こちらへ」
と、白い侍従法服を身にまとう、腹の出た中年の宮中官僚が、宮殿の裏口を差した。
――かましてきたな……。
と、わたしは冷えた眼差しを、宮中官僚に向けもしない。
「……何用か?」
「お話がございますれば……」
「そなたは誰ぞ?」
「む……、侍従膳部を司ります……」
「知らん」
「なっ……」
「格が違う。我はヴィラーグ女王ぞ。陪臣ごときに呼び止められる謂れはない」
帝国の宮中官僚は、皇帝が出身国から連れてくる。
そのため正式な身分としては、皇帝の直臣たる領邦君主シャウナス大公の家臣であり、
わたしから見たら、陪臣にあたる。
「な……、確かに我らは陪臣ではありますが、シャウナス大公の直臣であり……」
「わたしが会うのは皇帝ではなく、皇帝の直臣たるシャウナス大公か? ならば他国の王を迎えるに相応しい、拝礼を捧げてもらわねばならんな」
「い、いや……、そうではありませんが、我らとて皇帝陛下のお側にお仕え……」
「お話ならば、私がおうかがいいたしましょう」
と、イロナがにこやかに、一歩前に出た。
落ち着いたAラインながら華やかなマリーゴールドのドレスが、小柄なイロナの赤紫の髪色によく似合っている。
「ガブリエラ陛下の侍女長。コルマーニュ伯爵家のイロナ・コルマーニュ=ホルヴァースと申します」
「じ、侍女長ごときでは、話になりませんな。せめて、ご同行の重臣方でなくては」
「あら? 侍従ごときが、わが国の重臣を呼び付けようとは……。礼遇のなんたるかも、帝国では廃れてしまいましたのね」
「なんですと!?」
「陪臣とはいえ皇帝陛下のご側近でいらっしゃるのでしょう? ガブリエラ陛下の直臣にして側近たる私めがお話を聞くと申しておりますのに」
「そ、それは……」
「あら? いつの間にか、エルハーベン帝国では陪臣の侍従が重臣となりましたの? ……お腹は随分、重そうですけど?」
「うぐっ……」
うんうん。イロナもやるときはやる。
しっかり可憐に微笑んで、伯爵令嬢やってる! 女王侍女長の風格が漂ってる!
ずっと、王太子妃侍女長、王妃侍女長めざして頑張ってくれてたもんね。
それに、こういうときは意外と、可愛らしいタイプの方が迫力が出るもんだし!
そして、ヘレナ様。
そのクスクス笑い、イイ!
とても、イイ!
扇で口元を隠して、リリにヒソヒソ耳打ちする仕草も、イイ!
リリも嗜めるような苦笑いでアシストしてから、思わず目を背けて笑いをこらえて肩を揺らす、とてもイイ!!
宮中官僚の顔が、真っ赤だ。
「さ、ガブリエラ陛下。こちらへ」
と、レオノーラ様が優雅に微笑み、わたしに帰りを促してくださる。
さすが、百戦錬磨の猛者。
宮中官僚にこれ以上の抗弁を許す隙を与えないタイミングと、語調に所作。
要するに、宮中官僚は身代金の要求がしたかったのだ。
正式な外交儀礼に則った交渉の場も設けずに、裏口に案内して、領邦君主たちに露見しないよう密かに交渉したかった。
うかうか、そんな場所に足を運んだりしたら、ヴィラーグ王国の格を下げる。
こちらを侮らせ、覚悟を軽く見られるだけだ。
「侍従様……、な、なにとぞ、皇帝陛下に、よろしくお取り計らいくださいませ……、よよよよよ」
とでも、言うと思ったのか?
他人の婚約者を拐かしておいて、盗っ人猛々しい。
――女王たるわたしにしてこの扱いでは、カタリン様のご苦労が忍ばれるというもの……。
結局、皇帝はわたしに〈一発、かましてきた〉のだ。
あからさまに値踏みされ、非常に不愉快。
こっちが、どんな覚悟で身代金の支払い拒否を決めたと思ってるんだ。
――斬り込んでやろうかな?
とか、馬車の中で待っていたら、イロナが帰ってきた。
「い、いないそうです……」
「ん?」
「こ、皇帝……」
「……はっ?」
「……避暑で領地に帰ってるそうです」
ほほう。
わたしに入国の許可を出し、栄誉礼の手配もしておきながら、その態度ですか。
会わないどころか、いないとは。
待つ。
こうなったら、待つ。
アルパード殿下、ごめんなさい。
最後の最後。クソ舐めた態度の皇帝に折れて、ヴィラーグ王国の名を貶める訳にはいきません。
アルパード殿下には、傷ひとつないピカピカの玉座にお座りいただきたい。
必ず、救け出しますから、あと少しだけ、お待ちくださいませ。
と、わたしは生涯で最も、
ブチ切れていた。
そして、煌びやかな馬車の隊列を連ね、宮殿から戻ると、
邸宅に、思わぬ賓客をお迎えしていた。
「やっと会えた!! しかし、聞きしに勝る美貌と威厳だな!?」
と、初対面にも関わらず、親しげに肩を抱いてくださる若い女性。
白味がかったストレートの銀髪が広がり、鮮やかなスカイブルーのドレスを粋に着崩す。
わたしより、すこし身長が低いけど、視線の高さに差を感じない、充分にご長身。
スラリとスリムだけど、威風堂々。
両手首には鈍い銀色で、精巧な意匠が透かしで彫り込まれた、刺青を模した幅広のブレスレット。
ほそい眉に、切れ長で大きな水色の瞳を愉快そうに細め、抜けるような鼻筋の先で、
快活に、大口を開けて笑われる、
「ヴィクトリア・ピエカルだ! 翡翠から話は聞いた。これからは、互いに礼を述べあう契りを交わそう! ガブリエラ陛下!」
帝国最大勢力、ピエカル家。
その宗家の若きご当主。
そして、
無頼令嬢〈パン屋のマウゴジャータ〉の末裔に、
わたしは、たちまち魅了された。
これまで、無頼令嬢ゆずりの義侠心で、陰に日向にわたしを援けてきてくださった。
「さあ! ガブリエラ陛下の威名に怯えて領地に逃げ帰り、ぶるぶる震えてるアルブレヒトの爺さんをとっちめる相談を始めようか!?」
と、また快活に笑われて、もとはピエカル宗家保有の勝手知ったる邸宅の中へと、
わたしの肩を抱いたまま、案内してくださる。
――姐さん!
と、呼びたい声は、我慢した。
わたし、いま女王だし。




