51.奇妙な沈黙
「貴国ギレンシュテット王国から、わが国に移り住まれた貴族の方々に、特別な栄典を授けさせていただきたく存じます」
わたしの言葉に、楕円のテーブルをはさんで向き合う、ギレンシュテットの重臣たちの瞳が輝いた。
やはり、アーヴィド陛下より、政変に乗じる形で亡命貴族の領地を領有するギレンシュテット貴族の方が後ろめたい想いを抱えているのだろう。
「主君の主君は主君にあらず。貴族の家臣は、王の家臣にあらず。……王制をとる国の大原則を超えて、国王に忠誠を捧げる栄典を設けます」
「おおっ……」
と、ギレンシュテットの重臣たちから、感嘆の声が漏れた。
「貴国より亡命された方々は、既に在地貴族としてわが国の貴族――爵位を持つ領主貴族に仕えております。いまの主君を超えることは、わが国の気風に照らせば、むしろ、暮らしにくくさせてしまいましょう」
腕組みをされたアーヴィド陛下が、深くうなずかれる。
「……なるほど。あり得る話です」
「ええ……。彼らを再び異国へ亡命させることにもなりかねません」
「せっかく落ち着いたのに、それは可哀想か……」
「そこで、現在の主君、わが国の領主貴族の推挙をもって、王に忠誠を誓う場を華々しく設けさせていただきます」
「推挙をもって……、ということは、他の在地貴族にもチャンスがあるということですね?」
「はい。特別扱いが過ぎれば、アクの強い在地貴族たちからやっかまれましょう」
「うまい! うまいなぁ~っ!」
と、突然、アーヴィド陛下が砕けた物言いで、天真爛漫に笑われた。
「王に忠誠を誓うといっても形式的なもので、在地貴族が領主貴族の家臣であることに変わりはない。しかも、領主貴族には国王への推挙権を握らせることで、在地貴族を競わせられる。むしろ、在地貴族から領主貴族への忠誠を高める道具になる」
「ご慧眼の通りにございますわ、アーヴィド陛下」
「在地貴族のすべてを対象にするから、亡命貴族を特別扱いすることにもならず、わが国の貴族に向けては〈事実上、国王の直臣扱い〉と説明できる……。いやぁ~! うまい! とても、うまいっ!!」
「お褒めに預かり光栄ですわ」
「わが国でも導入しようかな? 在地貴族の慰撫に手を焼く家は多いよね?」
と、テーブルに身を乗り出されたまま、重臣たちに顔を向けられるアーヴィド陛下。
重臣たちも、感心したようにうなずきを返している。
体面と名誉、儀式と典礼を重んじる貴族の習性を逆手にとる一手は、エスメラルダ様からのご示唆で発案したものだ。
貴族に仕えつつ、国王に忠誠を誓う。
その先例は、わがヴィラーグ王国には既にあったのだ。
逆の形で。
「イロナ様のようにされては?」
「……イロナ?」
「イロナ様の元のご出自、カピターニュ男爵家は、ホルヴァース侯爵家にもご出仕されているでしょう?」
「ええ……、カピターニュ男爵家は領地に乏しく、イロナの父はわが家で家宰を務めて生計を立てております」
「男爵家としては国王陛下の直臣。けれど、分家として家門の首長に仕える」
「あっ……」
「直臣と陪臣のはざ間が、すでにわが国にはございますわ。叙爵までせずとも、国王陛下の直臣扱いにする方法は考えられませんか?」
と、得意げな表情のエスメラルダ様が、乳をぷるんと揺らす。
「たしかに、それならば……」
と、レオノーラ様も乗り気になられ、急いでみなで制度設計したのだ。
細かな点は帰国後に、典礼を担う内廷女官のジェシカ様に詰めてもらうとしても、
充分、実用に耐える仕組みを案出できた。
これなら、わが国で積み上げられてきた身分秩序に立ち向かうでもなく、急ぎ足にアーヴィド陛下からの要望に応えられる。
ふだんは〈ぽわん〉とされていても、さすが侯爵令嬢、さすが王女殿下のご息女。
エスメラルダ様に、ふかく感謝した。
翌日、ギレンシュテット王宮に場を移し、華々しく合意文書の調印式を執り行った。
文書を交換したアーヴィド陛下が微笑まれた。
「ガブリエラ陛下の煌びやかにして、強かなおふる舞い。見事なる王族外交にございました」
「いえいえ……。こう見えましても心の内は、綱渡りにございましたのよ?」
「ふふっ。……顔には出されず優雅に微笑む。それでこそ、権謀渦巻く国際関係を生き残れるというもの。見事なご手腕に感服いたしました」
「恐れ入りますわ」
「……既にわが国においても、レヴェンハプト、オクスティエルナ、テュレンの3家が国内貴族への説明に駆け回っております。揚げ足をとる者も出てきますまい」
「どうぞ、よろしくお伝えくださいませ」
「いつもはうるさい兄ニクラスに心を寄せる者どもが静かだ。ガブリエラ陛下は、いったいどんな魔法を使われたのやら」
「魔法など……。ただアルパード殿下のご受難に心を傷めてくださる、お優しき方々なのでしょう」
「ふふっ。……そういうことにしておきましょう」
そして、最後の晩餐会に臨み、両国の友好と発展を盛大に祝った。
翌朝、わたしの退城に、儀仗の兵たちが厳かな栄誉礼を捧げてくれ、
ふたたび煌びやかに馬車を連ねた隊列を組んで、帰路に就く。
ほんとうは馬に飛び乗って、風より疾く駆け戻りたいのだけど、せっかくやり遂げた王族外交の威厳を、最後の最後に損なわせる訳にもいかない。
随行の庭師が滞在中に〈温室馬車〉で咲かせた花々を、道中の平民たちに下げ渡し、とびきりの笑顔を見せてもらいながから港を目指した。
偶然、平民が結婚式を挙げているのが目に入ったので、隊列を止め、花嫁の髪に花をさしてあげたら、とても喜んでもらえた。
「お幸せに」
と、わたしやエルジェーベト様たちの祝福の微笑みは、きっとこの地で長く語り継がれることだろう。
そして、わたしは海を渡り〈花乙女宮〉へと戻った。
なかば強引ではあったけれど、他国にまで出かけたわたし。もはや〈花乙女宮〉は、わたしの牢獄ではない。
ただ、世界で一ヶ所だけ、今のわたしがどうしても行けないところがある。
アルパード殿下にお迎えに来ていただかなくてはならない〈柘榴宮殿〉だ。
おなじ王宮敷地内にある、至近の宮殿だけは、わたしひとりで行くことは出来ない。
――アルパード殿下を救出し、わたしを迎えに〈花乙女宮〉に来てくださるその日まで……、わたしは絶対に負けない。
と、心に誓って、花の離宮に入った。
Ψ
アーヴィド陛下との合意により、共同書簡を発出する具体的な調整に、内廷女官のみな様に着手してもらう。
ハーヴェッツ王国には、アーヴィド陛下とヴェーラ陛下から働きかけていただく。
わが国とソルフエゴ王国を含む南西女神諸国9ヶ国、そして、北西女神諸国3ヶ国の間を急使が飛び交い、
共同書簡に記載する文言を、慎重に調整してゆく。
同時に、亡命貴族を含む在地貴族に栄典を授ける儀礼の検討に入り、まずは〈春の園遊会〉で一回目の実施を決めた。
――春の園遊会。
花を尊ぶわが国の一大祭典。
昨年、わたしは花乙女宮入りしていたので欠席した。
それが、よもや。今年は王権代行者として祭祀を担って臨席することになろうとは。
そんな日が来るとは誰も想定していなかったので、式部を担われるテレーズ様から、祭祀王として花の女神ヴィラーグに捧げる儀礼を入念にご教授いただく。
やがて、帝都から急使が届く。
ワルデン公ラヨシュ様が、正式に皇帝への臣従を認められたという報せだった。
これで前ワルデン公の復位という線はなくなり、皇帝の足を払えた。
そして、皇帝はラヨシュ様の臣従を認めるにあたり、帝国におけるカールマーン家を、皇帝のオステンホフ家の傍流と位置付けることを求めてきた。
ラヨシュ様とエルジェーベト様のお母上、ブリギッタ様はオステンホフ家のご出身。
要求は当然とも言える。
だけど、カールマーン家が正式にオステンホフ家の一員になることには、大きな意味がある。
ラヨシュ様は姉エルジェーベト様と同様、王太后マルギット陛下を通じて、アルパード殿下と〈又従兄弟〉の関係にあられるのだ。
つまり、アルパード殿下は正式に、皇帝の遠戚となられたことになる。
臣従の儀礼の場で、まだ幼いラヨシュ様がたどたどしく……、
「アルパード兄上に会いとうございます」
と、皇帝に言上してくれたそうだ。
皇帝は言葉を濁したそうだけど、これはデカい。とてもデカい。
皇帝は自分が束ねるオステンホフ家の遠戚を、捕囚していることになった。
これを受けて、ヘレナ様のお母上グンヒルト様のご実家、ロプコヴィッツ家がアルパード殿下の無条件解放に立場を転じた。
反ピエカル家側として、皇帝に近い立場のロプコヴィッツ家が味方に付いたのは大きい。
そして、帝都のカタリン様からは、
「私ったら、モテモテなのよ?」
と、相変わらず軽妙なご書簡をいただいている。
帝都の邸宅でカタリン様がひらく社交の場は、活況を呈しているらしく、
わが国の立場、つまりアルパード殿下の即時無条件解放に理解を示す者が増えつつあるという。
反ピエカル家側に立つ主要四家のうち、唯一ツテがなかったメラン家のフィルボ国王まで、王妃を伴われて姿を見せたらしい。
ピエカル宗家から提供された邸宅に、反ピエカル家側の領邦君主フィルボ国王が足を運ぶとは、
カタリン様の卓越した社交術の賜物だとしか考えられない。
ピンクブロンドの髪を揺らされ、小悪魔的美貌をいかんなく発揮されているに違いない。
エルジェーベト様の叔母上、ジュゼフィーナ様の輿入れ先、フルスタール家も態度をグラつかせ始めた。
――ここで共同書簡を発出できたら、決定打にもなり得る……。
と、内廷女官のみな様に発破をかける。
主要3ヶ国の調整が難航しているということはなく、ただ遠いのだ。帝国領内と違って駅伝の整備もまだ。
〈花の騎士〉が急使として、駆け回ってくれている。
わたしの蒔いた外交攻勢の種が、一斉に花開こうとしてしていた。
――こ、これは、アレかな……? アルパード殿下もなさってくださるかな? ……あ、あたまポンポン。
と、わたしが小さいけれど形は良いと自分では思っている胸を膨らませている頃、
エスメラルダ様から内密に面会したいと求められた。
「……母のフローラが、極秘でガブリエラ陛下にお会いしたいと」
「フローラ殿下が?」
フローラ殿下は第2王女。
長姉のエミリー殿下とは異なり、ケベンディ侯爵家に輿入れされた後は王政に口をはさんで来られなかった。
わたしも、花乙女宮入りしてからは直接お会い出来ていない。
――はて? なんの御用か……。
とは思うものの、お相手は第2王女殿下でアルパード殿下の次姉であられる。
しかも、極秘でと仰られるからには、相当なご用件だろうと思われる。
とはいえ、手狭な花乙女宮には宮廷が開かれ、ひっきりなしに人が出入りしている。極秘の面会は難しい。
そこで、王宮の中庭で開かれる〈春の園遊会〉にあわせての王都巡察の際、密かにケベンディ侯爵家をお訪ねすることにした。
春の祭典自体は王宮にとどまらず、王都の全体、いや王国全土で行われている。
喧騒にまぎれて、そっと訪問することも可能だった。
ケベンディ侯爵家の王都屋敷を訪ねるのは〈花冠巡賜〉以来だ。
エスメラルダ様に授けていただいた花冠は20番目。いちばん暑い夏の盛りの、一歩手前という頃。
ケベンディ侯爵家への訪問を終えて花乙女宮に帰ったら、東方出兵中のアルパード殿下からご書簡が届いていた。
「やっほっ~い!!」
と、わたしが声を上げ、テレーズ様を赤面させた。
〈花冠巡賜〉の74日間のことは、つぶさに記憶している。
アルパード殿下のご不在を強く意識させられ、空虚とやるせなさとで胸が埋まってしまいそうだったけれど、
顔を上げ、貴賓室へと案内される。
人を遠ざけてあるのか、静かな廊下を案内してくれるのは、かすかなツヤの黒髪をしたメイド長。
エミリー殿下からヨラーンのことを頼まれていながら、輿入れされるフローラ殿下に従い王宮を離れたメイド長だ。
堅い表情で、押し黙ったままでわたしを案内してゆく。
貴賓室のソファに腰を降ろし、エスメラルダ様とフローラ殿下をお待ちするのだけど、メイド長が入口扉に控えている。
さまざまな想いを去来させられる、表情に乏しいメイド長とふたりきりの空間にいるのが苦痛だった。
やがて、エスメラルダ様に連れられ、フローラ殿下がお部屋に入って来られた。
ご姉妹、そしてアルパード殿下によく似たハニーブロンドのお髪。すこしクセ毛なのかゆるくカールしている。
もの静かなタイプとおうかがいしていたけれど、すみれ色の瞳には緊張が浮かび、ちいさな口をキュッと引き締められていた。
「わざわざのお運び、誠に申し訳ございません……、ガブリエラ陛下」
と、わたしに丁重に頭を下げてくださる。
そしてすぐに、三姉妹の中では最もやわらかなお顔立ちを、背後へと向けられた。
そこには、明るいブラウンの髪をした、上等そうな濃紺のドレスを着た女性が、ひどく青ざめた表情で立っていた。
歳の頃はお母様と同じくらいだろうか。
形の良い丸顔。髪はアップにまとめられていて、本来は快活で威勢が良さそう。
首元で輝く大きな青い宝石とドレスを飾る金の装具が、身分の高さを表している。
だけど、わたしには見覚えがなかった。
王権代行者たるわたしが、この国の高位貴族の令嬢もしくは夫人に見覚えがないということはない。
ならば――、
その時、フローラ殿下が意を決されたように、ちいさな口を開かれた。
「……ガブリエラ陛下。こちらのご婦人はエルハーベン帝国、メラン家のお方です」
「メラン家……」
「極秘に入国させたこと、後でいかようなりとも罰を受けます」
「いえ……」
メラン家は、反ピエカル家側、すなわち皇帝側に立つ主要四家のなかで唯一、ツテらしいツテがなかった。
どういうつもりかまだ分からないけれど、会いに来てくれたというなら、追い返すようなものではない。
ふと、ツヤのない黒髪のメイド長が目を伏せたのが気になった。
「ヨランデ・モラウス=メラン様」
と、フローラ殿下が女性の名を呼ばれる。
そして、貴賓室を奇妙な沈黙が支配した。
フローラ殿下が、話しの続きを躊躇われる理由が解らない。
やがて、女性自身が青ざめた表情のままで堅い口を開いた。
「……母国」
母国?
「……ヴィラーグ王国では、ヨラーンという名で生まれ育ちました」
処刑されてしまったはずの漁師の娘。
アルパード殿下のナーサリーメイドだったヨラーンが、帝国の権門メラン家の貴婦人となった姿で、
わたしの前に立っていた。
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