45.自分でも忘れるくらいに
ジュゼフィーナ様が嫁がれたシュルテン公国は、領土こそわがホルヴァース侯爵家の5分の1ほどしかないけれど、
皇帝を輩出したこともある、名門フルスタール家の宗家だ。
傍流にあたるメネチ大公国なども従える、反ピエカル家側で主要な家柄のひとつ。
ただ、高い家格と領地が見合わない。
そこが、前カールマーン公爵ガーボルの目の付け所だった。
多額の資金を持たせ妹君ジュゼフィーナ様を輿入れさせる。その後も折に触れて資金援助していたはずだ。
そして、シュルテン公国の狭い領地は、現皇帝の出身国、シャウナス大公国に隣接している。
その目と鼻の先にあるシャウナス大公国の古城のひとつに貴人が囚われたと、ジュゼフィーナ様のお耳に入った。
人をやって、衛兵に金を握らせて聞き出した名前が、
――アルパード・エステル。
怒りを抑えつつ、淡々とご説明いただくジュゼフィーナ様の瞳には涙が浮かんでいた。
「……フランツィスカ陛下のご心痛たるや、いかほどのものか」
かつて王太子妃の座を競った〈戦友〉を思って流される悔し涙の清らかさが、わたしの胸を激しく打った。
スッと、ヴェーラ陛下の手が、わたしの手元を押さえた。
「……斬ってはなりません」
わたしが剣を抜く前に手を押さえられたのは初めてのことだったので、
――やっぱ、伝説の女王は〈ただもの〉じゃねーな……。
と、軽い驚きがあった。
ヴェーラ陛下が、ワルデン公に向き直られた。
「……ただ今、シュルテン公妃が申されたこと。相違ございませんね?」
「だ、だったら何だと言うのだ!? 保護、保護していただいたのだ、皇帝陛下に! なにか文句があるか!?」
「と、いうことですが。いかがなさいますか? ガブリエラ陛下」
ヴェーラ陛下が、穏やかな口調でわたしに話しかけてくださった。
「……ご退位、召されよ」
「なっ……、なにを慮外な……」
「お断りになられても結果はおなじ」
「なんだと!?」
「ワルデン公国では、生前退位と死後退位で儀礼に違いはあるのかしら?」
「かっ……」
と、ワルデン公は大きく口を開けたまま、動かなくなった。
「退位後は、ヴィラーグ王国が責任をもって、御身を〈保護〉させていただく」
わたしはバルバーラから騎槍を受け取り、床にぶっ刺した。
いまさら脅しではない。
バルバーラの手をあけたかったのだ。
「バルバーラ、シャルロタ。前ワルデン公を、我が軍船にご案内せよ。いちばん上等な船倉に蹴り込んでさし上げろ。いいか? ふたりで呼吸を合わせてシンメトリーに、尻を蹴り上げるのだぞ?」
ワルデン公に歩み寄るふたりを、剣も持たない近侍の騎士たちは茫然と見守るしかなかった。
両脇を抱きかかえられたワルデン公は、なにやら喚いていたけれど、いまさら興味もない。
赤毛と桔梗色の髪が映える美人ふたりに護送されて、喜べ。バーカ。
わたしは、ブリギッタ様に向き直る。
「兄君を、ワルデン公の座から追い払いました」
「……この顛末では、ガブリエラ陛下とアルパード殿下に申し訳なさすぎて、あまり嬉しくありませんわ」
「ブリギッタ様。気落ちされている場合ではありません。次のワルデン公に、わたしはラヨシュ様をご推挙申し上げます」
「え……」
「ワルデン公女たる、ブリギッタ様のご子息。かつ、わが国流に言えばカールマーン家門にワルデン公の座が移ります。両国友好の礎となりましょう」
表情を険しく引き締められたブリギッタ様が、堅くうなずかれ、ラヨシュ様を抱き寄せられた。
居合わせた縁と仰っていただき、レトキ女王ヴェーラ陛下と、シュルテン公妃ヨゼフィーネ様からのご賛同もいただき、
ただちにラヨシュ様を、帝国の領邦君主たるワルデン公に即位させる。
ワルデン公国の在地貴族を招集し、慰撫掌握に務めた。
わたしは、とても怒っていた。
なので、サクサク仕事が進んだ。
3日ほどで、ワルデン公国の在地貴族はみなラヨシュ新公への忠誠を誓い、
わたしは二千名ほどの兵をラヨシュ様の当座の近衛として貸し出し、ヴィラーグ王国への帰路に就く。
ブリギッタ様はそのままワルデン公国に残られ、ラヨシュ様を後見される。
ヴェーラ陛下とは再会を堅く約束し、抱き締めていただいた。胸のなかで、すこし涙がこぼれた。
よい報せを持ち帰るはずだった海路の潮風が、口に辛い。
――皇帝と交渉……。
ジュゼフィーナ様の話によると、アルパード殿下は、囚われた城でひどい扱いを受けている様子ではないという。
いいよ、いいよ――……。
アルパード殿下のニコニコとした微笑みが思い起こされ、わたしの胸を締め付ける。
両目を片手で覆い、
――わたしは不甲斐ないな……、
と、天に嘆いた。
Ψ
わたしは花乙女宮に戻り、みな様に失意の報告をした。
ジュゼフィーナ様が王妃宮殿にフランツィスカ陛下を見舞われてから、花乙女宮へとお運びくださる。
改めてお話をみなでお聞きするけれど、
――アルパード殿下の身柄が、皇帝アルブレヒト3世陛下の手に渡った。
ということ以外は、よく分からなかった。
「私が行くわ」
と、カタリン様が立ち上がられた。
「どちらにせよ、皇帝との外交交渉になるわ。特使が必要。エミリー殿下はフランツィスカ陛下につきっきりだし、私がいちばん適任でしょ?」
「で、ですが……」
「なによ?」
「……危ないというか」
「バカ。……誰かは行かないといけないでしょ? ナーダシュディ公爵家にはメリンダがいるわ」
カタリン様は、ご自分を大切にされないご気性……、
と、わたしが逡巡していると、カタリン様がつまらなさそうな顔で仰られた。
「帝都にはいい男がいるかもしれないし、私の婿探しも兼ねてるのよ」
「カタリン様……」
「案外、コロッと皇帝を口説き落とすかもしれないわよ? 私ったら、いい女だし」
「こ、皇帝はお爺さんらしいので、カタリン様はもったいないです!」
「……バカ。たとえよ、たとえ」
ただちに、カタリン様を特使に任じ、顧問伝奏の役を解いた。
加えて、カタリン様一代限りという条件で「公女」の名乗りと「殿下」の尊称を許す勅命を発した。
外交上で受ける礼遇としては、ナーダシュディ公国の公女殿下ということになる。
「あら、悪くないわね」
「……皇帝の狙いが読めず、厳しい交渉も予想されます。こんなものしか持たせて差し上げられず、心苦しい限りです。……カタリン殿下」
「ふふっ。これでますます、いい男が近寄ってきそうね。気に入ったわ。ありがとう、……ガブリエラ陛下」
カタリン様と抱き合い、別れを惜しんでいるときイロナが駆け込んだ。
「なによ、イロナ? 貴女の主君とちょっといい感じだったのに」
と、カタリン様の軽口にも、イロナの狼狽した顔色が戻らない。
「ごっ、ごっ、ご書簡が……!」
「書簡? ……誰から?」
わたしが問うと、
イロナはわたしにもハッキリ聞こえる大きな音を立てて、唾をゴクリと呑み込んだ。
「アッ、アルパード殿下にございます!」
Ψ
アルパード殿下からのご書簡。
ご自身の無事を報せてくださり、皇帝に保護してもらっていると書かれていた。
「……本人から先に書簡で知らさせてから、交渉に入るつもりだったのね」
カタリン様が、苦々しげにつぶやかれた。
「やり口が狡猾だわ」
だけど、ワルデン公国の制圧と、ジュゼフィーナ様からの報せで、かろうじてわたしたちの方が先手を打てている。
ワルデン公国は、皇帝の出身オステンホフ家の傍流。
それを奪ったことは、オステンホフ家の本拠たるシャウナス大公位も兼ねる皇帝としては、痛手のハズだ。
新ワルデン公位に就けたラヨシュ様は、今はまだ帝国に臣下の礼を執っていない。
立場は宙に浮いた形だけど、在地貴族からの支持はあり、わが国からの後見もある。
わたしはひとつ、皇帝との交渉材料を手にすることが出来ている。
さすがにワルデン公国を衛星国化するつもりはないけれど、皇帝の出方次第では、それも選択肢にのぼる。
そして、堅い表情をされたカタリン様の出発を、お見送りさせていただいた。
帝都までは、馬車でひと月ほど。
カタリン様を早馬に乗せるなど無理はさせられないし、特使の格式にも関わる。
それまでに皇帝からの急使が届くかもしれないけれど、カタリン様に交渉を始めていただくまでの間だけでも、またひと月、アルパード殿下との再会が遠のいた。
夜の花壇のリリの胸のなかで、ベソベソ泣くわたしを、花乙女宮の中から見守るみんなの視線が温かくて、悲しかった。
イロナも、エレノールも、テレーズ様たち内廷女官のみな様も、そして泊まり込んでくださっているエルジェーベト様も、
ずっと、わたしを見詰め続けてくださった。
負けない。
絶対、負けない。
自分がなんで泣いていたのか忘れるくらいに泣いてから、わたしは前を向く。
花壇の花は、すっかり冬の花に入れ替わっていた。
本日の更新は以上になります。
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