41.底抜けに明るい
わたしが宮廷をひらいた花乙女宮には、ひっきりなしに人が訪れる。
メイド長のエレノールだけでは手が回り切らず、ハウスメイドを増やした。
突然のテュレン伯爵家からのご使者。
このタイミングだ。単なるご機嫌うかがいとは思えない。
外交儀礼からは外れるけれど、声が外に漏れない最上階の小部屋にお通しするように命じた。
せめて、先に上がってお待ちしていると、
鮮やかな赤髪を揺らすご使者が、
「いや~、どもども~。お忙しいのにすみませ~~~ん!」
と、あまりに砕けた物言いと、底抜けに明るい笑顔で現れ、
わたしは度肝を抜かれた。
つくりが幼く溌剌とした顔立ち。マリーゴールドのドレスは太陽を着込んだよう。
ズケズケした物言いだけど、気品は備えられている。
不思議なご令嬢は、
実はご夫人だった。
「……ミア・アンデレン……夫人……」
「いや~、すみません! 本当は〈元〉テュレン伯爵家の者なんですけど、ウチの女王陛下がどうしてもスグにガブリエラ陛下にお会いしろっていうもんで、ちょっとウソ吐いてしまいました~」
「い、いえ……、ウソだなんて……」
ミア・アンデレン。
〈地裂海〉を挟んだわが国の対岸、ギレンシュテット王国のさらにずっと北の果てにある小国、レトキ王国の宰相夫人。
だけど、ミア夫人の名前が世に知れ渡ったのは、レトキの宰相イサク・アンデレン侯爵に嫁がれる前のこと。約30年前に起きたギレンシュテット内戦でのご活躍だ。
内戦で戦死された御父君から爵位を継承され、ひと月ほどだけテュレン女伯爵であられたミア夫人。
反王政側の軍に包囲された王宮を無血開城に導き、王国全土に及んでいた内戦を最小限の犠牲で終結させた立役者。
間違いなく歴史に名を残す生ける偉人が、わたしの前で快活に笑われていた。
――明るいお人柄だと、お噂には聞いていたけれど……、
「すみませ~んっ! レトキ王国と貴国って正式な国交がまだでしょ? 実家に泣きついたら、エディト様を紹介してくれたんですよね~っ! あははははっ!」
ほどがある。
さすがに苦笑いだ。
別の意味で、メイドたちに会わせなくて良かった。
イロナ、よく真面目な顔してわたしに取り次ぎ出来たわね。侍女長として成長を感じる。あとで、褒めてあげよう。
だけど、本性ガラッパチなわたしには、とても好感の持てるお人柄だ。
お茶と花菓子を勧めると、
「おお~っ! これが有名なヴィラーグ王国の花菓子ですかぁ~っ!!」
と、わたしの説明とうんちくを、目をキラキラさせ興味津々といったご様子で聞いてくださる。
まるで、興奮した小動物みたい。
御歳はたしか今年47歳におなりのはずなのに、子どものように好奇心がむき出し。
――小柄だし、イロナが歳とったら、こんな感じになるのかしら?
と、思わせられる幼い顔立ちは、もとのつくりが童顔でいらっしゃるのだろう。
「ん~! 甘いんですねぇ~!?」
「……さ、砂糖漬けにしてありますから」
と、なにかと苦笑いさせられるのは、わたしの貴族に対する先入観をことごとく破壊していかれるからだ。
しかも、不快を感じない。
ただ苦笑い。
――ガブリエラは、窮屈なわが国に収まる器ではない……。
と、母エディトの言葉が耳に蘇る。
ミア夫人は、宰相夫人にして侯爵夫人。もとは伯爵令嬢で、一時は女伯爵にもなられたお方。
たしかに、世の中いろんな貴族がいるし、いろんな国があるんだろう。
ミア夫人は、
「ほほほ」
と、笑われたことは、きっとない。
経験のない心地よさを感じながら……、
――これって……、初対面の社交辞令なご挨拶を交わしてるってことなのかしら?
と、また苦笑いしてしまった。
「……私の主君、レトキの女王ヴェーラ陛下の貴国訪問にご許可を賜りたく、参上いたしました」
ミア夫人は、これまで見たことないほどの自然な流れで、サラリと本題に入られた。
だけど、内容は衝撃的。
「……ヴェ、ヴェーラ陛下が!?」
「はい。至急、ガブリエラ陛下にお会いしたいと、既にこちらに向かっております」
ミア夫人がギレンシュテット内戦終結の立役者なら、レトキ王国の女王ヴェーラ陛下は主人公のおひとりだ。
ギレンシュテット王国の属領だったレトキを、内戦の混乱に乗じて独立させ、即位。
わずかな手勢しか持たれていなかったのに、募兵によって5万もの兵を瞬く間に集め、反王政側の筆頭格として王都を急襲。
当時の王政を打倒した。
さらには、ギレンシュテットに擁立した新王とご自身が結婚され、ギレンシュテットとレトキは、事実上の同君連合にあると言っていい。
そして、女神諸国による異民族への反攻を提唱され帝国を動かした。
ミア夫人が偉人なら、ヴェーラ陛下は一時代を代表する〈英傑〉のおひとりとして、必ずやその名を歴史に深く刻まれる。
生ける伝説。
「……ヴェーラ陛下は、わたしに?」
「はい。詳しくはヴェーラ陛下ご自身からお聞きいただきたいのですが……」
と、ミア夫人は初めて表情に影をつくられた。
「貴国王太子、アルパード殿下のご受難に対し……、ヴェーラ陛下は義憤にかられております」
「……義憤」
「それはもう、すごい勢いで怒ってます。婚約者が帰りを待つ王太子殿下に、なにしてくれとるんじゃ、コラ~ッ!? ってなもんです」
「えっと……」
「あ……、『コラ~ッ!?』は、私の誇張です。できれば、ヴェーラ陛下には内緒にしてください」
「ふふっ。承知しました」
思わぬところから、思わぬ味方が現れる。
――乙女の結婚を蔑ろにするとは、許し難し……。
と、憤ってくださる伝説の女王陛下。
国交もなければ、当然、顔も知らない。つい先日まで一介の侯爵令嬢でしかなかった、わたしの名前すらお耳に入ったことはなかっただろう。
だけど、わたしの置かれた境遇に深い同情を寄せてくださり、
はるか北の彼方から、駆け付けて――、
「あれっ? ……貴国、レトキ王国も今回の異民族への反攻に参加されてましたよね?」
「はいっ! 選帝侯ドルフイム辺境伯カミル閣下を盟主にした北方戦線の、私もヴェーラ陛下もその帰りです!」
絶句した。
レトキ王国から中央大陸を超え、東方女神諸国の救援に向かい、凶暴な異民族の兵たちと戦い、
さらに折り返し、今度は南西に中央大陸を渡ってヴィラーグ王国まで来てくださる。
縦横無尽にもほどがある。
「ただね……、ガブリエラ陛下?」
と、ミア夫人が声を潜められた。
「は、はい……」
「これは、重大な秘密なのですが……」
「はい……」
「……弱いんですよ、ヴェーラ陛下」
「……え?」
「船に」
「……船?」
「山育ちで、船にすぐ酔ってしまわれるのです。川船でもダメなんです。だから、馬車でトコトコこちらに向かってます」
「あ……、はあ」
「あ、馬にも乗れないんですよ。山には馬がいなくて。騾馬ならお乗りになれるんですけど。……だから、移動はいつも馬車なんです」
いや……、馬車で中央大陸を往復できるのも、女性としては充分すごい体力だと思うけど……。
「押しかけるクセにお待たせして申し訳ないと、ヴェーラ陛下からの伝言です」
「……たしかに、承りました」
ほかに、なんと答えたら正解なのか解らん。
「帝都で情報を収集されてから、こちらに向かってますので、もう間もなく、お着きになられるはすです」
「て、帝都で……?」
「はい。私は先に出発したので最終的な情報を知りませんが、確度の高い情報を得られているはずです」
これは、驚いた。
女王陛下みずから、帝国の中枢に乗り込んで調べてくださるとは。
わが国の騎士も潜入させているけれど、触れられる機密情報には、格段以上の差があるはず。
世に名高い英傑、ヴェーラ陛下だ。
帝都社交界にも顔が効かれることだろう。
これは、伝説の女王に会えるとミーハー心を起こしている場合ではない。
アルパード殿下の安否。
その核心情報がもたらされるかもしれない。
Ψ
「うん。思ったより元気そうね。ご飯はちゃんと食べるのよ?」
と、モニカのようなことだけ仰られて、お母様はホルヴァース侯爵家領にお帰りになられた。
アルパード殿下捕囚の報せに、わたしを心配してくださっていたことは間違いない。
ただ、わたしが王太子妃を飛び越えて、王権代行者の座に就いてしまった。
見方を変えれば、お母様も外戚を飛び越えて、いまや国母のようなものだ。
より慎ましやかにふる舞われていることが伝わってくる。
わたしが王権を代行するのは一時のこと。
いずれは返上する。
その時になって後ろ指を差されることがないよう、慎重にふる舞われているのだ。
そっけない態度は、深い愛情の裏返しと、すこし寂しいけれど感謝する。
ただ――、
「ヴェーラ陛下は、ミア夫人同様にワルデン公国を避けて、海路、わが領内の港にお着きあそばされるそうなのよ」
「え? ……すごく、船が苦手だって聞いたばかりだけど?」
「そうなのよ。……だから、ホルヴァース侯爵家の主城で数日お休みいただくかもしれなくて。その受け入れ準備もあるのよ」
と、苦笑いしながら、帰っていかれた。
ヴェーラ陛下にご逗留いただくなど、家史にのこる一大栄誉だ。逆に粗相があれば、大きな恥辱にもなりかねない。
お母様が慌てて帰られるのも無理はない。
わたしが、こんな微妙すぎる立場でなければ、一緒に〈里帰り〉して、ヴェーラ陛下を港でお出迎えさせてもらうのに。
とても、残念だ。
王権のすべてをアルパード殿下の奪還に傾けるために、わたしは王権のすべてを掌握した。
宮廷を遷し、内廷を形成し、
顧問会議に替えて、顧問伝奏を置いた。
ただ、アルパード殿下の見果てぬ夢、国法の制定を見据えると、将来的にも王権の強化は重要課題になる。
そこで、顧問伝奏に実質的な枢密院機能を持たせた。行政の執行機関に模したのだ。
結果、日々の政務は三大公爵家のエルジェーベト様とカタリン様とレオノーラ様が、わたしの意向に沿って協議し、進めてくださる。
その実務の執行は、侯爵令嬢たちと内廷女官が担う体制を構築した。
この体制に、三大公爵家をはじめとした、王国の貴族家の、全当主が伏する。
領地や爵位を背景にせず、王権が定めた役職に貴族諸侯を服属させたのだ。
わたしは顧問伝奏たちに権限を委譲することで、歴代国王のどなたよりも王権を肥大化させることに成功した。
もちろん、有事体制として受け入れられているところは大いにある。
だけど、アルパード殿下がお戻りになられて、わたしが王権を返上した後も、なんらかの形でいまの体制をスライドさせられたら、
アルパード殿下の夢に一歩近付けるはず。
きっと……、
アルパード殿下は、
わたしに、
あたまポンポン、
してくださるはずだ。
想像するだけで、たまらん。
くわぁ~~~っ!
アルパード殿下に早くお戻りいただかねばど、決意を新たにする。
そして、わたしは暇になった。
もちろん、帝国に潜入させた騎士たちからの報告は待っているし、気忙しくはある。
ただ、重要事項を除き、実務はすべて顧問伝奏たちが片付けてくれるので、実際のところ、かなり暇だ。
いざというとき、スグに自分で動ける体制を整えたとも言える。だけど、暇だ。
なので、ヴェーラ陛下がご到着されるまでの間、花乙女宮でお待ちになられるミア夫人とずっとお茶して過ごした。
「いやぁ~っ! 暇仲間ですねぇ!?」
ズ、ズケズケっ! と思ったけれど、ほんとうのことなので、ただ苦笑いだ。
それに、いつも太陽のように明るいミア夫人が一緒にいてくださると、なんだか勇気が湧いてくるような気もする。
「いや~! 港に着いて、漁師も荷役人夫もみんな花を育ててるのに、ビックリしましたよ! さすがは花神ヴィラーグを信仰される、花の王国ですねぇ~」
「ふふっ。実はわが国には、花屋がほとんどないんですよ?」
「えっ? こんなに花がお好きなお国柄なのに……。あっ!! みんな、自分で育てちゃうんですね?」
「ご名答です。庭師はたくさんいますけど、花屋はいないんです。平民のふつうのおじさんやおばさんでも、花の品種改良が趣味っていう人が結構いるんですよ?」
「へぇ~! たしかに、見たことなかった綺麗な花を、いっぱい見かけました!」
他愛のない無駄話が、ミア夫人のお人柄もあって、わたしを不安と焦燥の暗い穴底へと引きずり込まない。
ふとした瞬間、
――いまごろ、アルパード殿下は……、
という思いに、脳裏を焼かれる。
けれど、その気持ちを大切に、ときには夜の花壇でリリに一緒に泣いてもらい、
昼間は、暇仲間のミア夫人とお喋りして過ごした。
落ち込んでばかりもいられないし、能天気なばかりでもいられない。
必死で平常心を保とうと努めた。
やがて、ヴェーラ陛下がホルヴァース侯爵家領の港に着かれたと、早馬で報せが届いた。




