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4.いくらでも抱き締めてください

ずぶ濡れのイロナが、額の汗をぬぐった。



「……私のつたない仕事で、ご不快ではありませんか?」


「ううん。とっても気持ちいいわよ?」



貴族令嬢のたしなみとして、わたしも入浴はメイドにまかせる。


花乙女宮に入ってからは、髪も身体も隅々までイロナが洗い上げてくれ、浸かるバスタブには色とりどりの花弁が浮かぶ。


ちゃぷっと、お湯を指先で弾いた。


なにもかもが優雅で、洗練された華やかさに満ちあふれる花乙女宮。


浮かぶ花弁は、表の花壇から摘んだもの。


伯爵家以上の高位貴族が丹精込めて育てた花々を、惜しげもなく湯船に散らせるのは王太子妃候補だけに許された高貴な特権だ。



「いやぁ~~~っ! ガブリエラ様、ほんとにお美しいですぅ~~! われらが花の女神、ヴィラーグ様の化身のようです!」


「もう、ほんと大げさね。イロナは」



外界と隔絶された緊張を強いられるわたしにとって、イロナとふたりきりになれる入浴時間は貴重なリラックスタイムだ。


ただ、男爵家の出自で侍女のイロナは、本来メイドではない。


慣れない仕事にずぶ濡れになりながらも、嬉々として取り組んでくれて、あたまの下がる思いだ。


粛々と王太子妃教育がつづいている。


花乙女宮から出られないわたしは、王国の一大イベント〈春の園遊会〉も欠席した。


令嬢たちをはじめ、王国の貴族たちがわたしにどんな噂話をしてるのか分かったものじゃない。


きっと、お父様も冷や汗をかきっぱなしだったのではないか。


気持ちは焦れるのだけど、なかなか穏便な婚約破棄にむけた道筋が見えてこない。


ふわふわ王太子は一度すがたを見せたきり、ちっとも寄りつかないし、わたしのドキドキを返してほしい。


ふと、イロナが珍しく暗い顔をした。



「……それにしても、私の家にあんな歴史があったとは、思いもしませんでした」



侍女であるイロナは、わたしの王太子妃教育に陪席を許されている。


王太子妃教育は、王国の貴族各家の成り立ちや歴史、王家との関わりを、眼鏡のメイド長を筆頭に7人の教育役から入れ替わり立ち代り教授されてゆく。


もちろん膨大な量になる。イロナの陪席はあとで一緒に復習できるようにという配慮だろうし、わたしが王太子妃になってしまったら、イロナは最側近の侍女長ということになる。


の、だけど……、



「……まさか、わが家が謀反を企んでお取りつぶしになりかかったところを、ホルヴァース家に助けていただいていたとは」



と、イロナは自分の生家の秘史を、思わぬ形で知ってしまったのだ。



「むかしのことじゃない。イロナが気にすることないわよ」


「いえ! ホルヴァース家、ひいてはガブリエラ様への忠誠を新たにできました!」


「ふふっ。じゃあ、これからもよろしくね」


「はいっ!!」



イロナのフルネームは、イロナ・カピターニュ=ホルヴァース。


つまり、イロナの出自カピターニュ男爵家は、わがホルヴァース侯爵家の分家だ。


それが、ふるくから続く男爵家の取りつぶしを惜しんだわたしのご先祖様が養子を入れ存続させていたことを、王太子妃教育でわたしも初めて知った。


とはいえ、カピターニュ男爵家の領地は、わがホルヴァース侯爵家の0.1%にも満たない。わずか200人強の寒村を治めるだけで、男爵家としても下位クラスだ。


そのためイロナをはじめ、父親のカピターニュ男爵も王家に仕えながら、ホルヴァース侯爵家の王都屋敷にも出仕することを家職としている。


ただ、この調子で各家の伏せられた秘史を学ぶたび、穏便な婚約破棄から遠ざかるようでもどかしい。


教育役が7人もいるのは、各家の機密が集中しないよう分散して担っているからだ。


その彼女たちにしても、伯爵家の令嬢。



――花衣伯爵家。



という、王太子妃教育を家職とする特別な家格をもった7つの伯爵家から、花乙女宮に派遣されている。


社交の場でもほとんど姿を見かけなかった彼女たちの眼鏡率が高いのは、幼いころから王太子妃教育の教育役として研鑽を積んできたからだろう。


家職ともなれば、はやければ10歳では花乙女宮に出仕されたはず。


そして、勅命が下った以上、彼女たちはわたしに王太子妃教育をほどこすしかない。


けれど、未婚の彼女たちが青春のすべてを費やして夢みていたのは、エルジェーベト様かカタリン様との典雅な時間だろう。



誠に申し訳ない限りだ。



にこりともしない彼女たちはいつも早口だし、わたしの前に積む書物も日に日に高くなる。


学ぶこと自体は楽しいし、せめて誠実に取り組ませてもらおうとは思うものの、それは王太子妃につながる一本道で、わたしにとってはお家断絶への道だ。


かといって、わたしが手を抜いて〈王太子妃失格〉の烙印を押された日には、今度はホルヴァース侯爵家の名誉に関わる。



別の意味でお家断絶につながりかねない。



わたしが目指すべきは、あくまでも〈穏便な婚約破棄〉だ。



「……イロナ」



思考がグルグルしはじめたことに気が付いて、わたしは顔をあげた。



「イロナも入って」


「え?」


「一緒に入りましょ、お風呂」


「え、ええぇ~~~~~~~~~っ!?」


「バカ。……声がおおきいわよ」



わたしが苦笑いして口のまえに人差し指を立てると、イロナも声を潜めた。



「で、ですが……、そんな……」


「もうずぶ濡れなんだから一緒でしょ? それに誰も入って来ないんだからバレやしないわよ」


「と、とはいえですね……」


「花乙女宮のお風呂に浸かれるなんて、最高の思い出になるわよ?」


「……い、いいんですかね?」


「なに? わたしに脱がせてほしいの?」


「いえ、そんな! 脱ぎます、脱ぎます。自分で脱ぎます」



躊躇いがちに服を脱いでいくイロナ。


すこし意地悪だけど、いつも能天気なイロナがあわあわしてるのを見るのは楽しい。


濡れた服を脱ぐのは大変そうだ。



「おおぉ~~~っ! きれいな身体してるじゃない!?」


「か、からかわないでくださいよぉ~」



と、ほほを紅くしたイロナを、わたしの前で湯に浸からせ後ろから抱き締める。



「ガ……、ガブリエラ様?」


「イロナのちょうどいいサイズ、落ち着くわぁ~」


「こ、こんなことでお役に立てるのなら……、いくらでも抱き締めてくださいませ」



まあ……、最悪、イロナと不貞の関係になるか。イロナ、可愛いし。



――実は女の方が好きなんです!



……っていうのは〈穏便な婚約破棄〉につながらないかな?


それでイロナとふたり他国に亡命でもして、お母様の仕送りでほそぼそ暮らすか。


無理か? ……無理だな。



「……ガブリエラ様?」


「なに、イロナ?」


「王太子妃殿下になられたあとも、しっかりお支えさせていただきますから」


「……え?」


「私を選んでくださって……、ホルヴァース家門の分家筋とはいえ、しがない弱小男爵家の生まれ。身に余る誉れとはこのことです……。日々、幸せを噛みしめております」



ふだん聞いたこともない、しっとりとした囁き声。照れているのか耳まで真っ赤。


お……、おいおい。


女子同士とはいえ、おたがい素っ裸で抱き締めてるときに、そんな雰囲気出してこないでくれる?


ほんとに嫁にするぞ?



「優秀なガブリエラ様についていけるよう、精一杯、お仕えさせていただきます」


「あ……、うん。……ありがと」



くわぁ~~~~っ! 可愛いな、イロナ!


だけど……、わたしが目指しているのは〈穏便な婚約破棄〉だ。イロナの期待を裏切ることを考えている。


心が重くなるな。



「……わたしを見捨てないでね? イロナ」



と、可愛いイロナのちいさな背中をキュッと抱き締め、スベスベの肌にほおずりした。



   Ψ



親友のリリはたまに遊びに来てくれたけど、外の様子がまったく分からない日々が過ぎていく。


外界との連絡役――伝奏を本来つとめるはずのお母様は、まだ領地におられる。


ホルヴァース侯爵家はじまって以来のピンチに、はやくお母様と相談したいのだけど、いまだ花乙女宮に姿を見せてくださらない。


お母様は領地経営を一手に担われ、わたしの5歳年下の弟イグナーツの世話もある。


なかなか領地を離れられないのも解るのだけど、書簡のひとつも寄越してくださらず、さすがに心細くなってきた。



――結婚の申し出を受けたわたしの判断に、お母様は怒っているのだろうか……。



わたしはお母様を信頼しているし、お母様もわたしを信頼してくださっている。


それを疑ったことは一度もない。


だけど、領地から王都まで馬車で4日、早馬を飛ばせは1日の距離だ。なんの音沙汰もないと不安の方が大きくなる。



――お母様なら、あのときどうしただろう……。



と、つい考えてしまう。


イロナを一緒に湯船に入らせ、後ろから抱き締めるのがクセになりつつある。


とても、よくない。


そして、わたしが花乙女宮に入って、ちょうどひと月になった日の朝。


わたしの教育役、花衣伯爵家の7人の令嬢が、険しい表情でわたしのまえに並んだ。


7人が勢揃いするのは初めてのこと。



――キ、キタ~~~~~~~~~ッ!!



眉間にふかいしわを刻む眼鏡のメイド長。


トゥリパン伯爵家のご令嬢、テレーズ・トゥリパン様。


ながく伸ばした鈍い色の金髪は毛先がカールしていて、おでこが広い。


小柄な体格でイロナよりすこし身長がたかい。黒衣に眼鏡がよくお似合いの学究肌で、こんな形でなく出会っていたら、いいお友だちになれたかもしれない。


7人を代表するように、わたしのまえで深々とあたまを下げられた。


みな様7人が7人ともに、これからわたしに〈言いにくいこと〉を言い渡すのだという緊張感を身にまとっている。


待っていた!!!!


これを、待っていた!!!!


きっと、わたしは花乙女宮をさがり、ホルヴァース侯爵家の王都屋敷に戻される。


そして、わたしが花乙女宮に入ったこと自体、歴史から抹消される。


教育役令嬢7人の雰囲気にあわせて、内心のワクワクを隠しながら、神妙な表情をつくり、テレーズ様の言葉を待つ。


しばらくは居心地わるいか、領地に戻らされるかもしれないけれど、気楽な侯爵令嬢にわたしは戻れるのだ!!!!


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