39.わたしの推し令嬢
機微で繊細な告白をなされる気配を察し、
ブリギッタ様を、花乙女宮最上階の小部屋にお誘いした。
「……異国生まれの私を、このような晴れのお部屋にお招きくださるとは」
「花乙女宮は手狭で、話し声が完璧に漏れないお部屋が、ほかにないのです」
わたしが穏やかに微笑むと、ブリギッタ様もリラックスされ四方に開けた窓にひろがる広大な花壇に視線を向けられた。
「いまの夫のガーボルは……」
「……ええ」
「私に、とても良くしてくれています」
ブリギッタ様は、カールマーン公爵家の花壇で視線を止められ、複雑な色合いの微笑みを浮かべられた。
「……けれど、それは出来のいい駒を愛でているようなもの」
「駒……」
「解っていても……、嬉しいものです」
ブリギッタ様は、カールマーン公爵家領で国境を接するエルハーベン帝国の領邦、ワルデン公国から輿入れされた。
それも、15歳も年上のガーボルの後妻として。
絵にかいたような政略結婚だ。
「やはり、先に申し上げておくべきかと思うのですが……」
「はい……」
「私は……、兄、ワルデン公のことが……、大嫌いなのです」
「……え?」
「まえの夫を事故で亡くし、失意のどん底にあった私に、カールマーン公爵家への輿入れを命じました。……私の気持ちなど歯牙にもかけず、政略ばかり。兄はそうした男なのです」
忌々しげに目をほそめ、口に出すのも汚らわしいといった風情のブリギッタ様。
秋風が耳元の後れ毛を揺らし、憎々しげなご表情からは迫力さえ感じてしまう。
「抗えば私の所領を召し上げると脅され……、やむなくガーボルに嫁ぎました」
「……ええ」
「ですから……、ガーボルが私を、姫よ公女よと大切にしてくれること自体には、傷んだ心を癒されもしたのです」
「はい……」
「……兄は私に『お前の輿入れは100年の大計よ』と嘯いておりました」
「100年の大計……」
「……ワルデン公、オステンホフ家の血をヴィラーグ王家に入れる。そして、いずれはヴィラーグ王国をエルハーベン帝国の領邦に加える。それが、兄の狙いでした」
なるほど。
エルジェーベト様が王太子妃になっていれば、王家にオステンホフ家の血が入るはずだった。
婚姻政策に長けた帝国領主らしい発想だ。
「私の家系は、現皇帝陛下を輩出するオステンホフ家の一員とはいえ傍流。けれど、ヴィラーグ王家を従えれば、いずれはワルデン系のオステンホフ家から皇帝を出せるかもしれない」
帝国は、いわゆる選挙王政だ。
皇帝は選帝侯7人の投票で決まる。
そして、わが国のように〈家門〉という概念が強固な訳ではないけれど、帝国内の家柄には宗家・本家・傍流の別がある。
ワルデン公家は、オステンホフ家の中でも傍流。
いつか子孫をのし上がらせるため、ヴィラーグ王国に目を付けた……、というところか。
「一方で……、カールマーン公爵家は、かつてのように〈カールマーン公国〉つまり君主位に復することが……、累代の秘めた悲願でありました」
「……やはり、そうでしたか」
「ガブリエラ陛下が、エルジェーベトに席を外させてくださったご温情に、深く感謝いたしますわ」
「いえ……。わたしも薄々は、こうしたお話なのではないかと……」
「……アルパード殿下がガブリエラ陛下をお選びになられ……、ガーボルは小躍りしておりました」
王太子妃にするためだけに儲けた娘が王太子殿下から選ばれず、喜ぶ父親。
娘であるエルジェーベト様のご心中や、いかほどに傷付かれたことだろう……。
「……アルパード殿下の王位継承に疑義を申し立て、王弟ヨージェフ殿下……、ヨージェフ殿の継承を唱える。その絶好の機会がやってきた……、と」
ヨージェフの王弟位は、わたしがエステル家の家督代行者として停止した。
今は殿下の尊称では呼ばないのが正式だ。
「……ヨージェフ殿は、ガーボルが分家ラコチ侯爵家をさし出して手懐けた掌中の駒。子息ミハーイ殿のご正室グンヒルト様は帝国の選帝侯ゼーエン公のご公女」
「はい……」
「幾重にも張り巡らせたガーボルの策略が、ようやく実を結ぶと……、私とエルジェーベトの前で誇って見せたのです」
苦渋に満ちたブリギッタ様のご表情とは裏腹に、わたしは心のなかで拍手喝さいだ。
――お父様らしからぬ見苦しいお振る舞い。誇り高きカールマーンの家名に、当主自ら泥を塗られるおつもりですか? ……恥ずかしくて、見るに耐えませんわ。
あのときのエルジェーベト様が、ガーボルに向けた軽侮の眼差しの意味が、ようやく分かった。
鮮やかに、優雅に、可憐で艶やかに、エルジェーベト様は父ガーボルへの復讐を、既にやり遂げられていたのだ。
最高だ! わたしの推し令嬢エルジェーベト様は、やっぱり最高だ!
ご自分の手は汚さず、フランツィスカ陛下とわたしとに、権力者である父を排除させた、恐ろしいところも最高だ!
美貌の公爵令嬢が成した、父公爵への優美な復讐劇! ぜんぶ最高だ!
「……いかに、私を大切に扱おうと、可愛い娘を深く傷つけたガーボルを、私が許すことは生涯ないでしょう」
「ご心中、お察し申し上げますわ……」
「恐れ入ります。……そして、もちろん兄を許すこともありません」
思惑が、入り乱れている……。
ヴィラーグ王国の取り込みを狙った、ワルデン公。
カールマーン公爵家を君主位に復させるため、恐らくは帝国入りを目論んでいた、ガーボル。
そして、引き起こされたアルパード殿下の捕囚……。
なにか一本の線でつながりそうで、つながらない。まだなにか、欠けている。
「ブリギッタ様、貴重なお話を打ち明けてくださり、ありがとうございました」
「……いえ、お耳汚しにございました」
「ところで、ブリギッタ様?」
「はい……、なんでしょう?」
声を潜めたわたしに、ブリギッタ様が怪訝なご表情をされた。
「その……、ブリギッタ様のベストシナリオはなんですか? お兄君、ワルデン公をギャフンと言わせる……」
「兄を……?」
「だって、やられっ放しなんて悔しいでしょう? エルジェーベト様は、ガーボルに吠え面をかかせてやりましたわよ?」
「ほ、吠え……」
あ……、ちょっと言葉遣いがガラッパチに過ぎたかな?
けれど、ブリギッタ様はフフンと笑われ、わたしに顔をお近付けになられた。
眉を寄せ、意地悪な笑みを浮かべ、
「ワルデン公の座から、引きずり降ろしてやりたいですわね」
と、楽しげに囁かれた。
Ψ
花壇まで出て、ブリギッタ様のお帰りをお見送りさせていただく。
ブリギッタ様のお心の内を知れたのは、大きな収穫だった。
いずれ、アルパード殿下の身を巡り、ワルデン公との交渉に臨むことになるかもしれない。
もしも、そのときが来れば、わたしの強力な〈武器〉になるかもしれないのだ。
わが国が北に面する、おおきな内海〈地裂海〉。
ワルデン公国は、西の大海につながる巨大な入り江の東の突き当たりに位置する。
ホルヴァース侯爵家領の港から、交易でもつながっている。
――なんとなれば、海路、急襲する。
もしも、ワルデン公がアルパード殿下の身に害を及ぼしたのならば、
たとえ帝国の領邦貴族であろうとも、許すことはできない。
まして、お命に――、
と、そこで考えるのを打ち切った。
暗い方、暗い方へと考えを進ませてしまうのは、わたしの悪いクセだ。
まずは予断を持たず、潜入させた騎士からの報告を待つ。
いまは、アルパード殿下のご無事を信じ、王権代行者としての重たい責任を果たすだけだ。
ペチペチっと、両手でほほを打ち、笑顔をつくってから、花乙女宮のなかに戻った。
Ψ
やがて、東方から急使が届く。
――ヴィルモシュ、帰国の途に就く。
今回の東方遠征で、作戦がすべて終了し、港を貸してくれたリュビア公と共に戻ってくるという報せだった。
大きく安全な軍船に乗って。
先に急使に走らせた騎士も、おなじ船に乗って帰ってくるという。
あの時点ではまだ、アルパード殿下の難破と捕囚は明らかになっていなかった。
ヴィルモシュからの書簡には、アルパード殿下の身を案じる言葉が、白々しく書き連ねてある。
むき――っ!!!!
と、書簡を破り捨てたい思いだったけれど、呼吸を整え、こらえた。
あとで、リリとふたり、
むき――っ!!!!
と、一緒になってもらおう。
ヴィルモシュは、アルパード殿下を遭難必至の小舟に乗せたことが、わたしに露見しているとは思っていないだろう。
すべては、リュビア公国の港に、ヴィルモシュが帰港してからのことだ。
リュビア公国には、既に密偵を潜ませてある。帰港すればすぐに報せが届く。
そして、ワルデン公国に潜入している騎士からの報告が届く。
――ワルデン公国領内をくまなく探索したが、いまのところアルパード殿下のご消息はつかめず。
東にあるワルデン公国の飛び地領にも、騎士を走らせている。
そちらからの報せは、まだ届かない。
アルパード殿下の捕囚が、ほんとうにワルデン公の領地で行われたのか確証を得るまでには至っていない。
だけど、わが国に国境を接する本領でアルパード殿下のお姿を発見できなかったということは、
ゲルトルード様がわたしの気休めに立ててくださった仮説、
――ワルデン公は、アルパード殿下を〈保護〉してくださっているのでは?
という線は、ほぼ消えた。
――どこに、おられるのか……。
と、見上げた半月の空を、リリも一緒に眺めてくれる。
ふたりの夜の花壇散歩を隠す必要はなくなって、リリがランプを手に持ってくれている。
そして、冷たくなってきた夜風をわたしから遮るように、そばに寄り添ってくれる。
ひと肌恋しい季節……、というヤツなのだろうけど、いかんせん、わたしはまだ〈ひと肌〉を知らない。
ひと肌夢みる、わたしはまだ乙女だ。
やがて、半分だった月がほそく欠けていくなか、思いがけない報せが西から届く。
ソルフエゴ王国に嫁がれた、アルパード殿下のいちばん下の姉君、イルマ殿下がご帰国なされると早馬で先触れが届いたのだ。
――アルパード殿下と東方で馬を並べておられた、ソルフエゴ王太子の妃……、イルマ妃殿下。
東方でなにが起きていたのか。
その情報をお持ち下さるのではないかと、胸がざわつく。
けれど、イルマ妃殿下がご帰国される前に、わたしにはやるべきことがあった。
深夜、ひと目を忍び、密かにナーダシュディ公爵家のカタリン様と、トルダイ公爵夫人のレオノーラ様にお運びいただく。
「……両家の兵でリュビア公国を急襲し、制圧していただきたいのです」
リュビア公国には、ヴィルモシュが兵約3万とともに帰着したと報せが届いていた。
本日の更新は以上になります。
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