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30.孤立するところだった

「やめろとは、どういうこと!? アルパードが囚われているのよ!?」



エルハーベン帝国領内で捕囚されたという、アルパード殿下。


王国の外交を担われるエミリー殿下は、ただちに帝都に飛んで、返還交渉に着手されるおつもりだろう。


血走らせたすみれ色の瞳で、わたしを強く睨まれる。



「……エミリー殿下」


「なによ!? 訳を言いなさいよ、訳を! はやく! 私は早く出発したいのよ!?」


「……お気をお鎮めください、エミリー殿下」


「無理ね……」



と、エミリー殿下は、わたしから目を背けられた。


けれど、その手に置いた、わたしの手を払いのけられることはない。


エミリー殿下の手は、ちいさく震えていた。



「エミリー殿下。……今すぐにでも飛んで行きたいのは、わたしも同じです」


「……ええ」


「ですが、今のわたしは花乙女宮を出られぬ身。アルパード殿下の姉君であられるエミリー殿下に、わたしの願いも託させていただきたい気持ちは重々ございます」


「もう、分かったから、早く本題を言ってくれる!? らしくないわよ、ガブリエラ!?」



らしくない――、


裏を返せば、既にわたしの〈らしさ〉を知ってくださっているということだ。


言外に込められた、義姉(あね)のやさしさが嬉しい。



「……今の宮廷で、エミリー殿下は、フランツィスカ陛下のお側に必要です」


「……」


「国王陛下が病床にあられ、フランツィスカ陛下が王権を代行される。加えてこの危難」


「……そんなの分かってるわよ、私だって。でも、顧問たちもいるんだし……」


「その顧問が問題なのです」


「え?」


「……三大公爵家と輪番の侯爵家。フランツィスカ陛下だけで対峙させるのは、酷というもの」



わたしの言葉に、エミリー殿下はかすかに目を細められた。


三大公爵家はそれぞれに、帝国との距離感が異なる。顧問会議が紛糾、あるいは膠着することは目に見えていた。


エミリー殿下も、そのことにお気付きになられたのだろう。



「……フランツィスカ陛下をお支えできるお方が必要です。そして、それが出来るのは外交に明るいエミリー殿下しか、いらっしゃらないのではありませんか?」



エミリー殿下は、わたしから目を背けられたまま、暗い窓の外を凝視されている。


満月を過ぎ、欠け始めた月の明かりが、花壇の花々をうすく照らしている。


わたしが手を置く、エミリー殿下の手からは震えが去り、


ただ、静かな時間が流れた。


おそらく、エミリー殿下は自分に代わってフランツィスカ陛下を支えられる者がいないか、王宮の者たちを一人ひとり思い浮かべているのだろう。


やがて、エミリー殿下は、わたしの手を力なく握り返してくださった。



「……ガブリエラの言う通りね」


「エミリー殿下に、酷なことを申し上げてしまいました」


「ううん……、ありがとう」



寂しげに微笑まれたエミリー殿下は、わたしの目を見詰めてくださった。



「……本国の方針が定まらない外交はあり得ないわ。あやうく、今度は私が帝都で孤立するところだった」



アルパード殿下を奪還するため、今すぐ兵を挙げてエルハーベン帝国に攻め込むというのなら、話は別だ。


だけど、相手はわが国に5倍する大国。


そんなことは、出来ない。


捕囚されたアルパード殿下がどのような待遇に置かれているのか、気持ちは焦れるばかりだけど、


いまは腰を据えて、情報を集めるべきだ。


アルパード殿下の詳細な所在も確かめたいところ。


エルハーベン帝国は、千以上の領邦国家から成る連合国家だ。権力構造も複雑に入り組んでいる。


どの領邦の、どの領主がアルパード殿下を捕囚したかによっても、交渉相手が変わる可能性がある。


皇帝との外交交渉に挑むまでもなく、領主との交渉で済むかもしれない。


領主といっても、領邦の君主。王もいれば、大公、公、侯、伯、さまざまだ。


ヘタに皇帝との交渉を開始すれば、



――わが領邦での出来事を、俺の頭越しに皇帝陛下と交渉するとは!



と、帝国内の権力闘争に巻き込まれて、むしろ話がこじれる懸念すらある。


きっとエミリー殿下も最終的には、おなじ結論に達せられたはずだ。



「私は母フランツィスカを支えるから、ガブリエラは私を支えるのよ?」



と、いつもの笑顔を見せてくださり、席をお立ちになられた。



「ええ、お義姉(ねえ)様。ガブリエラにお任せくださいませ」


「あら、いいわね。お義姉(ねえ)様」


「すこし、フライングですけど」


「……花冠巡賜を終え、王太子妃教育もすべて修めたガブリエラは、もうアルパードの妃で、私の義妹(いもうと)よ」



ふたりで微笑み合い、抱き締め合った。


アルパード殿下を取り戻す戦いは、先が見えない。思いがけず、あっさり解決するかもしれないし、長引くかもしれない。


わたしを義妹(いもうと)と呼んでくださったエミリー殿下と、互いを励まし合い、夜空の下、お帰りになられる背中をお見送りした。



  Ψ



夜遅く、リリたちが花乙女宮に戻った。


エミリー殿下が王宮を出られた時点で、今日の聴取は打ち切られていたらしい。



「……近衛兵の衰弱も著しいからな」



ドレスのベルトを緩めながら、リリがボヤいた。



「それより、エミリー殿下が退出された途端、近衛兵団の方から物言いがついた」


「はあ!?」


「本来、近衛兵の聴取はこちらの職掌だ……、ってな」



先例重視の王宮の近衛兵団だ。


そう主張してくることは、無理からぬことではある。



「明日からは来るなって言うから、はい分かりましたとも言えず、スッタモンダしてたら、王妃陛下がお出ましくださってな」


「……そう。フランツィスカ陛下が」


「見ていられないほど、おやつれだった」


「……お痛ましいわね」


「ああ……、ご心労のほどを思えばな」


「ええ……」


「で……、帰還した近衛兵の所属を、王妃陛下ご自身のお側に変えられる旨、勅命を発せられて、ようやく明日もギゼラ様たちが聴取にあたれることになった」


「……まどろっこしいけど、わが国らしいわね」


「まったくだ」



片言の共通語だけで聞き取りを続けても、いたずらに時間を浪費するだけだろう。


リリの踏ん張りが、ありがたかった。


ギゼラ様とジェシカ様も、さぞやお疲れのことだろうと、労うためにお部屋に足を運んだら、


テレーズ様もご一緒されていて、こちらは意外とお元気だった。



「身に付けた知識を実地で活かせる。こんなに興奮するものだとは、知りませんでしたわ」



と、ふだんはオドオドされてるギゼラ様が、目をキラキラと輝かせておられた。


なんなら、すこし鼻息が荒い。


美少年のようなジェシカ様も、真剣な表情で、なんども頷かれる。



「……意志が通じ合うことが、こんなにも尊いことだとは……、初めて知りました」



本国の言葉で話しかけられたとき、異民族の近衛兵は目に涙を浮かべたらしい。


アルパード殿下から受けた恩に報いるためとはいえ、言葉の通じない異国、それも戦火を交える国にひとりで乗り込むとは、


たとえ武人であっても、心細かったに違いない。


言葉は通じにくくても、心は通わせたい。


アルパード殿下を救けたいと、心はおなじ方向を向いているはずなのだから。


いつの間にか、花衣伯爵家のご令嬢が皆さんお集まりになられて、ギゼラ様とジェシカ様、それにテレーズ様から、


今日の出来事を、根掘り葉掘り聞き出しはじめた。


そして、わたしに、意味の取れなかった単語や文法を質問してくださる。


わたしにしても、船乗りから習っただけの雑な知識。それも、領地から王都にのぼる前のこと。


分からないことも多いのだけど、みんなで一緒に考え、解析してゆく。



正直に言おう。



学問好きとはいえ、領地では先生方もあっという間に追い抜いていたわたしとって、同じレベルで議論ができる経験は、初めてのことだった。



興奮しました。



イロナやモニカが、チラチラと様子を見に来てたけど、


最終的には、リリが、



「いい加減に、寝ろ」



と、言いに来てくれて、


明日も頑張りましょうと、ご令嬢方と誓いあってから居室に戻った。


アルパード殿下の奪還。


その道のりは真っ暗闇だけど、わたしにも出来ることがあって良かったと思いながら、ベッドに潜り込んだ。



「風呂が先だ!」



リリに、布団を引っぺがされた。



  Ψ



翌日以降も、王妃宮殿に移された近衛兵の聴取が続いている。


ただ、知らない土地の、人目につかない獣道を、衰弱し朦朧とするなか歩いてくれた近衛兵の記憶は曖昧だ。


地理に明るい者や、生えていた草木の記憶から植生に明るい者、様々な知識が必要だということで、


花衣伯爵家のご令嬢7人、全員が聴取にあたってくださることになった。


大変な作業だろうに、皆さんの目が輝いていることだけが救いだ。


異民族の近衛兵にしても、見目麗しいご令嬢方に囲まれては、回復が早まろうというもの。


ただ、予想通り、顧問会議は紛糾しているらしい。


時折、エミリー殿下がリリに耳打ちしてくれるらしいのだけど、議論が堂々巡りしている。



――帝国に詰問使を派遣すべき。



という、ナーダシュディ公爵。



――今は様子を窺うべき。



と、トルダイ公爵。



――その異民族の近衛兵とやらの申すことは、本当なのか? 帝国が他国の王太子を捕囚することなど考えられん。



と、カールマーン公爵。


輪番の侯爵3人は、三大公爵家の意見の違いに、ただ息を潜めるばかり。


一向に方針が定まらない。


国王陛下がご健在であれば、一決されたかもしれないけれど、王権を代行されるフランツィスカ陛下は態度を決めかねておられるとのことだった。


聴取はゆっくりとしか進まないし、


国としての方針も定まらない。


時間が経つのを、ひどく長く感じる。



――こうしている間にも、アルパード殿下はどこかでお苦しみかもしれないのに。



と、花壇を歩く気も起きず、ただ窓の外の空を眺めて過ごす。


夜になると花乙女宮に戻って来られるご令嬢方との、異民族語の勉強会だけが、かろうじてわたしの心を緩めてくれた。


事態がなにも動かないまま、3日が過ぎ、


モニカから、



「食べないのだけはダメです」



と、朗らかに勧められたスープを昼食にいただいているとき、リリが顔を青白くさせて花乙女宮に駆け戻った。



「大変だ……」


「……今度は、なに?」



リリの顔を見れば、聞きたくないことをわたしに告げようとしている。


最悪の事態も覚悟した。



「……フランツィスカ陛下が、お倒れになられた」


本日の更新は以上になります。

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