3.遠大な計画ね
「まさか、ガブが王太子妃候補に選ばれるとはねぇ~」
と、わたしを愛称で呼んでケタケタ笑うのは、親友の侯爵令嬢リリだ。
リリは愛称ではなくフルネーム。
お母様のご出身、ジュハース侯爵家の令嬢で、わたしとは従姉妹同士でもある。
〈花乙女宮〉に入った令嬢は、おもに母親が世間との連絡役を務めるけど、わたしのお母様は王都にご不在。
お父様が領地のお母様と相談された上で、リリに依頼が行ったらしい。
楽しげに笑うリリに、眉をしかめて苦笑いを返す。
「リリ。笑いごとじゃないわよ」
「こんなツンと怖い顔のご令嬢。王太子殿下もどこが良かったんだろうなぁ~?」
と笑うリリも、可愛い名前に似合わず、ツンとした印象を与える整った顔立ち。
キャメルブラウンの髪を、内巻きにワンカールの髪型にしてるのに、フェミニンな感じは一切しない。
わたしとは〈ツン顔同盟〉を結んだ同志でもある。
「どこが良かったって……。そんなの、わたしが聞きたいわよ」
「どこに惚れたか、ガブから聞けばいいじゃない。旦那様になるんだから」
「まだ候補よ候補。それも〈花乙女宮〉に入ってから、一度もお会いしてないの」
「あら? もう後悔されてるのかしら?」
「……だと、いいんだけど」
と、冗談めかして肩をすくめた。
〈花乙女宮〉を囲む広大な花壇のなかで話しているけど、さすがに誰かに聞かれると陛下への不敬を咎められかねない。
リリを巻き込むわけにもいかないし、本音では穏便な婚約破棄を目指しているとは打ち明けられない。
冗談めかして言うのが精一杯だ。
「まあ、ガブもそう言わないでさ」
「もう。他人事だと思って」
「他人事だと思ってたら、のこのこ〈花乙女宮〉に来たりしないわよ」
と、凛々しいリリの漆黒の瞳で睨まれた。
リリ、貴女、顔は怖いけど美形なんだから、そんな風に見詰められたら女子でもドキッとしちゃうわ。
「ふふっ。ありがと」
「……三大公爵家に挨拶回りしたんだって?」
「そうなの――っ! エルジェーベト様がお美しくて、お美しくて!!」
「うわぁ~。初めて羨ましいと思った」
カールマーン公爵家のエルジェーベト様推しも、リリと共通の趣味だ。
「絶対、アルパード殿下と並ばれたら、お似合いだったと思うのになぁ~」
「そうだなぁ。どちらも黄色がかった気品ある金髪。お人形さんが並んでるみたいだったろうなぁ~」
「……エルジェーベト様、怒ってたと思う」
楽しげに語らうリリに、ぼそっと本音を聞かせた。
わたしごときが〈花乙女宮〉に入るなど、エルジェーベト様のプライドをおおいに傷つけてしまったはずだ。
にこやかに応対してくださったけれど、腹の内は煮えくり返っていたのではないか。
いままでわたしに良くしてきてくださってだけに、心苦しくてしかたない。
だけど、高位貴族の習いとして、わたしを直接詰ったりはしてくださらないだろう。
表裏あるのは貴族の常とはいえ、裏側までハッキリ見せてくださるカタリン様の方が、すこし特殊だ。
わたしの不安を察してか、リリは涼しげに微笑んだまま表情を変えなかった。
「エルジェーベト様は怒らないよ」
「でも……」
「エルジェーベト様は怒らない。あんなに慈悲深いご令嬢は、ほかにいらっしゃらないよ」
と、リリの笑顔にはわたしを思い遣る慈愛が満ちていて、それだけを根拠にふと安心してしまう。
「王太子妃教育は? もう始まった?」
「始まった~」
「でも、ガブは語学も得意でしょ?」
「語学はいいのよ、語学は」
王太子妃教育には大きく分けて2段階ある。
現在は婚約者候補を対象にしたもので、正式な婚約者になった後、周辺諸国との外交関係を学ぶ。
語学はその助走のようなもので、そこまでレベルは高くない。
もともと身に着けていた語学力を、確認される程度のものだ。
「問題は貴族各家の歴史よ~。とにかく、ややこしいのよ。似た内容も多いのに、少しずつ違ったりするから」
「そうだなぁ。地縁も血縁もない男爵家の成り立ちなんか、興味を持ったことすらないからな」
「そうなのよ~。でも、これが意外と奥深くて、興味は湧いてきてるんだけど」
「へぇ~。なら良かったじゃないか」
リリが男前な笑顔で励ましてくれる。
わたしが心細い思いをしてると気遣ってのことだろう。
持つべきものは親友だ。ありがたい。
「ガブの〈花冠巡賜〉楽しみにしてるよ」
「もう。プレッシャーかけないでよ~」
花冠巡賜――、
公爵家3家と侯爵家27家を王太子妃候補が巡る、正式な婚約前、最大の儀礼。
各家の令嬢か夫人がひらくお茶会に招かれ、それとない会話の中から、各家の歴史を正しく理解しているかを判定される。
といっても、厳格な審査というわけではなく、間違いがあればその場で修正してもらう緩やかなもの。
むしろ、重要なのはその後、王太子妃を中心とした次世代の夫人が形成するサロンへと繋がってゆくことだ。
わたしもホルヴァース侯爵家の令嬢として、エルジェーベト様をお招きすることを楽しみにしてたんだけど……。
「あ――っ、気が重い。三大公爵家もだけど、同格の侯爵家を王太子妃候補として訪ねるのは、もっと気が重い」
「まあ、どう対応したらいいか分からないのはお互い様だから」
「……社交界はどう? わたしのこと、どう言ってる?」
「そりゃ、ビックリしてるよ」
「それだけ? ……悪く言われてるんじゃない?」
「……大丈夫。そのうち落ち着くさ」
「やっぱり言われてるんだ……」
と、侍女のイロナが息を切らして駆けてきた。
「ガブリエラ様。王太子殿下のおなりです」
「えっ!? いまから?」
「こちらの花壇におみえになるそうです」
リリが、目をキョロッとさせて、遠慮がちに口をひらいた。
「それじゃ……、わたしはお暇しようかしら」
「いえ。ご友人がいらっしゃるのならご一緒にと、王太子殿下の御意だそうにございます」
と、イロナが慌てた様子であたまをさげる。
あのお堅い眼鏡のメイド長から、理由の説明もなく用件だけを簡潔に伝えられたのだろう。
いつも朗らかなイロナが眉間にふかいしわを刻んで、必死の形相だ。
「あらあら……、お邪魔じゃないかしら?」
「邪魔じゃない。リリは邪魔じゃない」
と、わたしはリリの腕をガッシリつかんだ。
眉を寄せて笑ったリリは、
「仕方ないわね」
と、ちいさくて高い鼻でため息を吐く。
すまん。助かる。
Ψ
ひろい花壇――お花畑の向こう側から姿をみせたアルパード殿下は、物語の中の貴公子そのものだ。
「やあやあ」
と、手を振りながら歩いて来られるので、
背筋を伸ばし、片足を引いてスカートを持ち上げ、かるく膝を曲げる。
リリとふたり、いわゆるカーテシーの礼でお迎えした。
「ん~、いい花壇だねぇ~。これはジュハース侯爵家が管理してるところ?」
「はい。左様にございます」
と、アルパード殿下のご下問に、リリが恭しく応えた。
〈花乙女宮〉をかこむ花壇は、伯爵家以上の家柄に割り当てられ、それぞれの家が丹精込めて育てる。
その美しさを褒められることは、最高の栄誉のひとつではあるけど――、
「この花は? スイセン?」
「左様にございます」
「珍しい色をしてるねぇ」
「ジュハース侯爵家で品種改良したもので、父自慢の品にございます」
「そうかぁ。こっちの花は?」
と、アルパード殿下はリリにばかり話しかけて、わたしの方を見もしない。
マジか……。
ふわふわ王太子、わたしに結婚まで申し込んでおきながら、照れくさくて直視できないのか。
わたしに、惚れ過ぎだろ。
さては、リリがいるところを見はからって会いに来たのか。
頭いたい。
最後に、
「ガ、ガブリエラ殿も、お元気ですか?」
と、顔を真っ赤にして、チラッと見てきたので、
「ええ。おかげさまで」
と、にっこり笑うと、逃げるようにして帰っていった。
ならんで見送ったリリが、抑揚のない声で、
「良かったな」
と言った。
「なにがよ?」
「めちゃくちゃ愛されてるじゃないか」
「うん。そうみたいね」
「私を壁打ちの壁にして」
「悪かったわよ。わたしのせいじゃないけどね」
「魔性の女め」
「魔性の女は、こんなツンとした顔してないわよ。……たぶん」
「私は第2王子妃でも狙おうかな?」
「いいじゃない。わたしと義姉妹になれるかもよ?」
「そう言われると、考えものだな」
「どうして? わたしと姉妹じゃイヤなの?」
「ガブ、想像してみろ。王太子妃と第2王子妃が、そろってツンとした顔してるんだぞ?」
「……威厳に満ち溢れるわね」
「まずは王妃陛下に頑張っていただいて、第2王子をお産みいただかないとな」
「遠大な計画ね」
リリが馬鹿話に付き合ってくれたので気が紛れたけど、
穏便な婚約破棄への道、――遠し!
そして――、
お父様とお母様と同様、政略結婚が当然だと思って育ったわたしに恋愛経験は皆無。
こんなにも男性から好意を向けられたのは、わたしにとって初めてのこと。
結果、胸のドキドキが止まらない。
やばい。
わたしまで惚れてしまっては、ホルヴァース侯爵家が――。
本日の更新は以上になります。
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