28.枯れてしまえ
盛夏を過ぎ、秋というにはまだ早いけど、すこし過ごしやすくなった花乙女宮。
アルパード殿下のお帰りを待ちながら、王太子妃教育の外交編に、黙々と励む。
周辺各国の成り立ち。わがヴィラーグ王国との関わり。闘争と協調の歴史。因縁。わが国ばかりでなく、他国同士の姻戚関係。
どれも興味深く、進捗は順調だ。
すでに終わりが見えている。
けれど、アルパード殿下はお戻りになられない。
わたしが花冠巡賜を終えて3日目くらいまでは、みな達成感と祝福にあふれていた。
4日目くらいから、国王陛下が病床にあられる現在、宮廷がひらかれている王妃宮殿がザワつき始めた。
5日目には、アルパード殿下を乗せた船が帰港するリュビア公国に、状況を問い合わせる急使が、わが国の南西に飛んだ。
8日目に、はるか東方でアルパード殿下に代わってわが国の兵を率いる、カールマーン公爵家のご長男ヴィルモシュ様への急使が発せられた。
ヴィルモシュ様の所在は遠い。
帝国の駅伝は替え馬だけを利用させてもらい、ご使者本人が急行しているので、片道で16日程度かかる。
それでも、書簡で問い合わせるだけではなく、現地の状況を詳細に知りたいという、フランツィスカ陛下のご意向で、騎士がひとり東方に飛んだ。
「花冠巡賜の満了、まことにめでたい。祝いの席は〈柘榴離宮〉で盛大に設けよう」
とのご書簡を頂戴していた、王妃フランツィスカ陛下。
夫である国王陛下は病床にあり、王権を代行される重責を担われる中、ひとり息子の王太子アルパード殿下が消息不明。
ご心労は、いかばかりか。
すぐにも駆け付けたいけれど、わたしはまだ花乙女宮を出られない。
花冠巡賜を終えた王太子妃候補は、王太子殿下のお迎えで〈柘榴離宮〉に遷るのが、古くから続く先例。
秋の花が彩りはじめた広大な花壇が、わたしの行く手を阻む。
伝奏役であるリリに毎日、王妃宮殿に行ってもらい、フランツィスカ陛下への見舞いと、情報収集にあたってもらう。
けれど、状況は変わらない。
――海難事故……。まさか、あれが今生の別れだったのでは……。
花冠巡賜を終えて14日。アルパード殿下は既に20日近く消息が不明だ。
不吉な考えも湧く。
けれど、今のわたしに出来ることは、王太子妃教育を修めることだけ。
「も……、もう。私からガブリエラ様にお教えできることはありません……、ね」
と、花衣伯爵家のご令嬢、教育役のギゼラ様が弱々しくつぶやかれた。
ギゼラ様はリリオム伯爵家のご令嬢で、主に語学をご担当。
カーキーな明るいブラウンの髪を、クルリと縦巻きロールにされているけれど、気弱でいつもオドオドされてるギゼラ様を、少しでも華やかに見せたいというメイドたちの苦心の作らしい。
学究肌にも程があるというか、本来はおひとりで研究に没頭したいタイプなのだろう。金糸で刺繍されたブラウンと白のローブがよくお似合いだ。
「……ガブリエラ様は、東方を侵す異民族の言語など……、どちらで習得されたのですか?」
「あ。えっと……、わがホルヴァース侯爵家領には交易港がございます。たとえば……、そうですね……」
と、自分のジュエリーチェストから、銅製のカチューシャを取り出した。
「変わったデザインでしょう?」
「……異民族の?」
「ええ、交易商のなかには、異民族とうまくやっている者もおります」
「この緑の石は……」
「翡翠ですわ。細工がこまかくて独特でしょう? 珍しくて、つい買い求めてしまいました」
「……話が通じるんですね、異民族とも」
「ええ。もちろん、わたしは直接会ったことはありませんけれど……。あまりに文法が違って、宝石に関する語彙が豊富で……、興味のおもむくまま、船乗りたちに教えてもらったのです」
「へぇ……」
と、カチューシャを興味深そうに眺め続けられるギゼラ様。
オドオドとされた表情のなかにも、はるか東方の習俗に、好奇心が刺激されているのだと伝わってくる。
「僭越……、ですが。よろしければ、お教えしましょうか? 異民族の言語」
「えええっ!?」
はじめて聞くギゼラ様の大声に、シンプルに驚いて背筋がビクッと伸びる。
「よ、……よろしいのですか?」
「え、ええ……。辞書もなく、わたしの走り書きしか教材がありませんけれど」
「……う、嬉しいです」
わたしも教わるばかりでは、どうしても気持ちが受け身になってしまい、ふさぎ込みがちだった。
明日からギゼラ様に講義させていただく約束をして、今日の王太子妃教育を終えた。
秋空の夕暮れのなか、花壇を歩いても気分転換にはならない。
それでも、じっとしていられなくて、ただ歩く。
となりに寄り添ってくれるイロナも、黙ってわたしと一緒に歩いてくれる。
楽天家のイロナであっても、この状況では、わたしにかける言葉を見付けられないのだろう。
だけど、わたしを独りにしないようにという気遣いが嬉しい。
ふと、濃い青色をした球形の花のまえで足を止めた。
はるか東方から伝わったとされる、ヒゴタイの花。瑠璃色でボール状の花が、風でかすかに揺れている。
わが国で花を咲かせるのは難しく、品種改良を重ねた上で、珍重されている異国情緒あふれる花だ。
「……異民族の敵将を心服させたというアルパード殿下」
「えっ?」
わたしのつぶやきに、イロナが駆け寄る。
「どうやって、意思の疎通を……、会話をされたのかしら?」
「えっと……、通訳がいたのでは?」
王太子妃教育で語学を担われるギゼラ様でさえ、異民族の言語はご存知なかった。
「……異民族が、中央大陸の共通語を学んでいたんじゃないかしら?」
「え……」
「殺戮を好んで、野蛮。……わたしたちが持つ異民族のイメージには遠いけど」
「えっと……、異民族のなかにも、勉強好きがいるのかもしれません」
「ふふっ。わたしみたいな?」
「あ、いえ。えっと……」
「異民族は本格的に、エルハーベン帝国への侵攻を考えてるのかもしれないわね」
「あ……」
東方女神諸国を侵す異民族は、遊牧騎馬民族で、海戦を得意としない。
だけど、帝国侵攻を企図し始めたのなら、あるいはアルパード殿下の乗船された船に……。
「ダメね」
「え?」
「考えが暗い方に傾いちゃうわ。イロナ。なにか面白いこと言って」
「え、ええっと?」
「ふふっ。ウソよ」
「こ、今晩のお料理は、ガブリエラ様のお好きな子羊のソテーだそうです!」
「あら。それは、いい報せね」
「はい!」
日常のちいさな〈いい報せ〉にイロナと微笑みあい、陽の落ちた宵闇のなか、花乙女宮に戻る。
葉にはアザミのような棘があり、直立した花茎の先に球形の花を咲かせるヒゴタイ。
花言葉は――、実らぬ恋。
枯れてしまえ。
心のなかで悪態をつきながら、わたしを閉じ込める花の牢獄に戻った。
Ψ
外交関係の王太子妃教育を、ほぼ終えてしまい、あとは王妃陛下から最後のご教授をいただくのみ――、というところまで来てしまった。
といっても、王妃陛下からのご教授は多分に儀礼的なもので、
――ガブリエラを王太子妃と認める。
というお言葉を賜れば修了だ。
つまり、わたしは既に王太子妃教育で身に付けるべき知識を、完璧に身に付けたのだそうだ。
ただ、王太子あっての妃。王太子妃だ。
いまはアルパード殿下のお帰りを、お待ちするしかない。
だけど、わたしの性分として、なにもせずにいることが苦痛でしかなく、
ギゼラ様はじめ教育役のご令嬢7人、全員に相手をしてもらって、異民族の言語の講義を始めた。
みなさん、わたしの気持ちを思い遣ってくださっているし、わたしの拙い講義を真剣に受けてくださる。
教材らしい教材もないのに、さすが学究肌ご令嬢たちのノートは充実したもので、そのまま後進の教材にできそうだった。
生徒が優秀だと、やりがいもある。
それで、どうにか気を紛らわせながら過ごした5日目。
王妃宮殿にご機嫌うかがいに行っていたリリが、花乙女宮に駆け込んだ。
「近衛兵が! アルパード殿下の近衛兵がひとり戻った!」
「えっ!? ひとり!?」
「まだ状況は解らない。近衛兵はひどく衰弱していて、いま手当てされてるそうだ」
「う、……うん」
「だけど……、近衛兵は、……アルパード殿下の消息を、知っている」
息を切らせたリリの険しい表情に、わたしも硬く頷いた。
帰国を報せるアルパード殿下からの急使が届いて、42日目の出来事。
可憐に咲き誇る、
花の牢獄に囚われたわたしの、
やさし過ぎる婚約者、
愛しいアルパード殿下を、奪還する戦いが幕を開けた。
 




