20.初めてのふたりきり
「ガブが決めたんなら、私はもちろん祝福するよ」
と、満月の月明かりに照らされたリリが、疲れをにじませる表情にも関わらず、やさしく微笑んでくれた。
花冠巡賜の調整が、わたしたちの思っていたより遥かに大変で、リリは先例集の読解からもメイドからも外れて、わたしの伝奏として奔走してくれている。
「ごめんね……、リリ。ああ言ってみたり、こう言ってみたり……」
「ガブ……。ガブが私を振り回してると思ってるなら、それは違うぞ?」
「えっ?」
リリには花乙女宮入りを祝ってもらい、それから婚約破棄を目指すと打ち明け、いまはまた「やっぱり結婚する」と伝えた。
いくら相手が親友のリリだとはいえ、こうもわたしの言うことがコロコロ変わっては、心苦しいかぎり。
すこしくらいムッとされても変ではない。
けれど、夏の香りが漂いはじめた広大な花壇のまん中で、リリがわたしに向ける眼差しに含みはなく、どこまでもやさしい。
「いちばん振り回されてるのは、ガブだ。侯爵家に生まれながら王太子殿下からの求婚だなんて、ふつうに考えたら災難でしかない。気持ちが行ったり来たりして当然だ」
「……リリ」
「私はちっとも振り回されてなんかないぞ。ただ、ガブの味方でいればいいだけなんだからな」
おどけるように笑ってみせてくれるリリ。
きっと、わたしが〈穏便な婚約破棄〉をするためにどうしたらいいか、あれこれ頭を悩ませてくれていたはずだ。
なのに、文句のひとつも言わずに、わたしの決断を祝福してくれる。
「も、もう……。惚れるわよ?」
「バカ。それだけはやめて。王太子殿下とガブを取り合うだなんて……、それこそ大災難じゃないか」
ふたりで、ククククッと忍び笑いを漏らし合う。
持つべきものは親友だ。
申し訳ないけれども、とても心強い。
「それにな、ガブ。私だって、婚約破棄のために花冠巡賜の準備に走りまわるより、よほど前向きな気持ちで取り組める」
「ほんとうね……。ごめんね、リリ」
「だから、謝らなくていいよ。私がこのお役を務めさせてもらうことを、ガブが末代までの誉れにしてくれるんだろ?」
「そうね。頑張るわ」
「いつもはスパッとなんでも決断するガブの可愛らしいところが見られて、私の役得みたいなもの。お釣りがくる」
リリが、満月を見上げた。
「……アルパード殿下は、国王陛下の遅くにできたご子息だ」
「ええ……」
リリには、わたしが結婚を決意したことしか伝えられてない。
アルパード殿下がお心深くに抱え込まれた深い傷。それは、他人にむやみに話せるものではないし、国の重要機密とも言える。
姉君のエミリー殿下も、妹のイルマ殿下とおふたりで極秘裏に対処された。
いつか、リリにも打ち明けて協力してもらう日がくるかもしれないけれど、それは少なくとも今ではない。
「ふだんなら、こんな不敬を口にすることはないけれど……、ガブだから言う」
「うん……、なに? リリ」
「老境にさしかかられた陛下には、正直なところ衰えもお見受けする」
「……そうね」
「ガブが欠席した〈春の園遊会〉では、ずっとお立ちになられているのが、すこしおツラそうだった」
「そう……」
「南西女神諸国9ヶ国の君主と馬を並べる東方出兵を花道に……、ご退位あそばされることも充分に考えられる」
「えっ……?」
「そうしたら、ガブはあっという間に王妃陛下だ」
王妃……。
お母様には「王の妃になります」だなんて大見得を切ってしまったけれど、まだまだ先のことだと思ってた。
けれど、リリの言うことにも一理ある。
アルパード殿下が出兵準備のお役に励まれていることにも、
――ご即位が近い、
と考えれば、より深く納得がいく。
「ガブ、……災難だな?」
「ははっ……。災難だわ」
Ψ
リリの言ってくれた通り、結婚を決断したわたしにとって花乙女宮での暮らしは見違えるように前向きなものになった。
乙女の夢。嫁入り支度だ。
それも、王太子妃への嫁入り。
お母様に背中を押していただき、悩みを断ち切ったわたしの目にはすべての曇りが晴れ、急にキラキラして見えた。
われながら現金なものだ。
そして、王国最高峰の嫁入り支度は、王国最大級に慌ただしい。
すべての先例集の読解を終え、儀礼の専門家であるジェシカ様に引き続きご協力いただき、
さらには、
「いえ、大事な用事があります」
と、お引き止めしたお母様にも加わっていただいて、
ついにホルヴァース侯爵家流の〈花冠巡賜の儀礼〉を完成させた。
家に属する儀礼を、わたしだけで決めてしまうのもどうかと思っていたところに、ちょうどお母様が来てくださったのだ。
侯爵夫人たるお母様からのご承認もいただいた。
そして――、
「そりゃ……、毎回、着替えるわよね」
と、三大公爵家と27侯爵家、すべてを巡るための30着のドレスづくりに慌ただしく着手する。
もちろん、アクセサリーも必要だし、各家の王都屋敷を巡る馬車も要る。
だけど、30着のドレスづくりなんて、わが家に出入りする職人だけでは到底無理。
――わが家流の、あたらしい儀礼。
として、花衣伯爵家7令嬢にドレスづくりの協力を求めたら、感激していただいた。
「……王太子妃候補にドレスを贈らせていただけるとは……、なんたる栄誉」
もちろん経費はすべてわが家もち。
わが家だけでは間に合わないという現実的な問題もあるけど、すべてを自家で賄える三大公爵家に一歩退いてみせるという意味合いもある。
――侯爵家ごときでは、他家からのご協力がなければとても、とてもとても……。
と、謙ってみせてる訳だ。
わたしが王太子妃になったからといって、三大公爵家の権勢が劣えるわけではない。
立てるところは立てる。
そして、他家も協力するとなれば、ホルヴァース侯爵家への風当たりもいくぶん弱まるはず。
ましてや、それが伝統のある、格式高い花衣伯爵家であれば申し分ない。
王太子妃教育を家職とする花衣伯爵家であれば、三大公爵家といえども、おいそれといじめる訳にもいかないはずだ。
謙りながら、わが家も守る。
政略としても申し分のない、あたらしい儀礼に仕上げられた。
なにより、花衣伯爵家側にも先例として遺る。わが家の秘伝にはならない。
後世、別の侯爵家から王太子妃が出ることになっても、きっと感謝してもらえるはずだ。
花衣伯爵家それぞれ4着ずつのドレスづくりを受け持ってもらい、わが家で2着。
だけど、訪問先がわたしをどうもてなすか定まるまで、ドレスの色やデザインが定まらない。
リリが調整に駆け回ってくれて、もてなしの確定した家に着ていくドレスから順に製作を開始。
採寸に、仮縫いの試着。
その場所が、なにせ男子禁制の花乙女宮。
女性の仕立て職人が在籍する仕立て屋しか使えない。
「……こ、光栄です……」
と、目を潤ませる女性職人たちが、続々と訪れる。
みなが口々に、熱のこもった祝福の言葉を聞かせてくれて、
――ああ……、わたし結婚するんだ。
と、さらに気持ちが高まっていく。
最高級の布地に、煌びやかなデザイン。
仮縫いを着せてもらうだけでも、嬉しくて、気恥ずかしくて、メイドのふたりが向けてくれる羨望の眼差しや、
――うわぁ~、素敵ねぇ――……、
という囁きが、くすぐったい。
ただ、こう華やかなドレスを着せられるときだけは、イロナのような可愛らしい顔に生まれたかったなと、ちょっと思う。
ツン顔は尊敬するお母様から受け継いだものだし、血縁にあるリリとの絆も感じられて、不満はないのだけど、
まあ……、複雑な乙女心というヤツだ。
わたしの心もからくり仕掛けではない。
だけど、女性職人たちは〈子々孫々に語り継ぐ、一生の誉れ〉とばかりに腕をふるって、わたしのツン顔に似合う素敵なドレスをつくってくれている。
ささやかな不満に、心を曇らせている場合ではない。
艶やかに微笑んで、感謝の言葉をかけると、女性職人たちはさらに感激してくれた。
王太子妃教育のピッチも上げた。
教育役のテレーズ様たちを睡眠不足にしてしまわない程度にだけど、できるだけ早く終わらせることにした。
――学問好きの令嬢など、可愛げがない。
と、嫁のもらい手がなくならないよう、王都では猫かぶってた訳だけど、
王太子妃になると決めたら、話が違う。
聡明さは箔がつくし、王太子妃にふさわしい威厳にもつながるだろう。
それでこそ、王国すべての高位貴族を納得させ、アルパード殿下をお支えできるというものだ。
伝説の王太子妃に、わたしはなる!
と、冒険を夢見る少年のような気持ちで拳を握りしめ、日々励んでいたら、
スグ、終わった。
累代の王太子妃候補が、半年から10ヶ月くらいかけてきた王太子妃教育の国内編を、ふた月ほどで終わらせてしまい、
「妾の立場がないではないか!」
と、フランツィスカ陛下から、爆笑されてしまった。
「……アルパードの見る目に、間違いはなかったということじゃな」
わたしを褒めるより、わたしを見付けたアルパード殿下を褒める親バカ発言を連発されていたけれど、
いい嫁姑関係を築けそうだ。
アルパード殿下をお支えするのに、味方は多い方がいい。
わたしも、にこりと微笑んだ。
結局、花冠巡賜を始められるまで20日ほど間があくことになって、ドレスやアクセサリーづくりも職人の手にわたり、
――急に、ヒマになった……。
と思っていたら、教育役筆頭のテレーズ様から、王太子妃教育の外交編に着手したらどうかと申し出ていただいた。
「……ガブリエラ様が異常……、ゲフン、ゲフン……、特別に優秀でいらっしゃるだけで、〈柘榴離宮〉に遷ってからでないといけないという先例でもないのです」
ということだったので、伝説を積み増しておくことにした。
そうこうして、慌ただしくも充実した日々を送っているうちに、
アルパード殿下が、カールマーン侯爵家領から王都にお戻りになられた。
帰着の挨拶のため、花乙女宮におみえくださり、
わたしは初めて、アルパード殿下とふたりきりで向かいあった。
――わたしは、この方の奥さんになるのだ……。
と、思うと、予想はしてたけど、やっぱり気恥ずかしくてほほを赤らめてうつむいてしまう。
なにせ、恋愛経験皆無のガラッパチだ。
いざとなれば、どう向きあえばいいのか、距離感がつかめない。
だけど、これはわたしの初恋なのだ。
嫁入り支度をしながら恋に目覚めるとは、ちと順番がおかしい気もするけれど、存分に堪能させてもらおう。
と、目線をあげると、アルパード殿下はいつも通りにニコニコと微笑んでくださっていた。
「すごいね、ガブリエラ殿は。もう、花乙女宮での王太子妃教育を終わらせたんでしょ?」
と、仰られるアルパード殿下に、
――ここだっ!!
わたしは、目をクワッと見開いた。
「ほ……、褒めてくださいませ」
「うん。すごいね、ガブリエラ殿は」
「褒めて……、わたしの頭を……、叩いてくださいませんか……?」




