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19.たまらないわ

「……本日は、このくらいにしておきましょうか」



わたしに宮廷儀礼をご教授くださるジェシカ様が、美少年のような麗しいお顔に、穏やかな微笑みを浮かべておられた。



「あ……、すみません」



昨日、エミリー殿下からお聞かせいただいたアルパード殿下のお話が気になって、うわの空になってしまっていた。


ジェシカ様には先例集の読解にもご協力いただいてるというのに、失礼なことをしてしまった。


よくよくお詫びして、今日の王太子妃教育を切り上げさせてもらう。



花壇に出て、花々を眺めて歩いた。



これまでのアルパード殿下の言動をふり返るに、殿下の「いいよ、いいよ」には様々な色合いある。



――イヤなことを拒否できず「いいよ、いいよ」と、つい受け入れてしまう。



だけど、たとえばカタリン様から「愛を誓ってみせてくださいませ」と言われたとき、


あのときのアルパード殿下の「いいよ、いいよ」は、イヤだったというよりは、むしろ照れておられたのだ。


ひろい意味では〈イヤなこと〉と言えるかもしれない。



「ええぇ~!? ……そんなの、恥ずかしいよぉ」



とは、仰ることができない。拒否することができないのだ。


先例集をお持ち下さったエルジェーベト様が「そろそろ、お(いとま)を」と席を立とうとされたときは、


ほんとうに、いてほしかったのだ。


憧れのわたしとふたりきりになるのが、いざとなったらまだ照れくさくて。


だけど、エルジェーベト様が示された退出のご意向は、拒否してしまっている。



「……先例集以上に、難解だわ」



ポツリとつぶやく。


人の心だ。からくり仕掛けな訳ではない。ひとつの理屈で説明しきれないのは当然のことだ。


そして、そんな難解な心の働きに、いちばん振り回されているのはアルパード殿下ご自身だろう。


わたしが「大切なお役目を滞りなく果たされますよう」と申し上げたときの「いいよ、いいよ」、


あれは、出兵準備、つまり人の命の奪い合いである戦争の準備をされることが、ほんとうはツラくてたまらないんだろう。


それでも、いつか王位に就かれて、国をよくするために、それにふさわしくあろうと懸命にお心を奮わせ、お役を務めておられるのだ。



――いいよ、いいよ。



どこの家が受け持つ花壇だか、ちいさな青い花を咲かせた勿忘草(わすれなぐさ)のまえでしゃがみこんだ。


草丈は低く、ひっそりと咲く青い花。


アルパード殿下のすみれ色の瞳に似た色をしたちいさな花が、大輪を咲かせる花々の足元で、贅を尽くした花壇にひかえめな彩りを添えている。


春から初夏にかけての花で、そろそろ見ごろを終える。


花言葉は、



――私を忘れないで。



仲の良かったメイド、ヨラーンに寄せられるアルパード殿下の祈りを咲かせたような、儚げな五弁の花。



「あら、ガブリエラ。どうしたの、ずいぶん険しい顔をして?」



聞き覚えのある声に、パッと顔をあげた。



「お母様……」



透き通るようなアッシュブロンド。


わが母ながら青年将校かと見まがうような、凛々しい顔立ち。


ふだんは実用的な男装を好まれ、凛とした立ち姿には、男性よりもむしろ女性のファンが多い。


幼いころのわたしがいつも、



「わたし、お母様のお嫁さんになる~~~~~っ!」



と、はしゃいでは、お父様に微妙な顔をさせていた、わたしの母エディト。


ツンとした美貌に、わたしをからかうような笑みを浮かべて立っていた。



「フランツィスカ陛下から再三にわたってご書簡を頂戴してね。そろそろ、ガブリエラの顔を見に行ってやれって」



今日も凛々しい純白の男装姿で、わたしの隣にしゃがんで、一緒に勿忘草を眺めてくださる。



「ホルヴァース侯爵家の花壇を、夏の花に入れ替えるのについて来たわ」



わたしが王太子妃となっても、外戚として王政に出しゃばることはないと、身をもって示されていたお母様。


王都にのぼるのにも用事をつくられ、私に会いに来るのはあくまでも〈ついで〉であるという体裁を整えられたのだろう。



外戚――、



王家のみならず、有力貴族家では常につきまとう問題だ。


わがホルヴァース侯爵家も例外ではない。


わたしのお祖父様、つまりお父様のお父様であったダンテは馬車の事故で若くしてお亡くなりになられた。


お父様が14歳のとき。


まだ幼いお父様カーロイが爵位を継承すると、わたしの父方の祖母ティメアの実家であるバルラング伯爵家が、わが家の乗っ取りにかかった。


そのとき、わが家に乗り込んできたのが、当時12歳だったお母様だ。



「私がカーロイと結婚する」



いまでも語り草になってる幼き押しかけ女房が、バルラング伯爵家との暗闘、激闘を経て、お祖母様をご実家に追い出された。


もちろん、外見上は政略結婚。


親同士の口約束があったとか、なかったとか。


ともかく、お母様にはご実家ジュハース侯爵家の後押しがあったし、お母様のお父様、わたしの母方の祖父ヤーノシュは、若き当主であった父カーロイを後見してくださった。


だけど、お母様はホルヴァース侯爵家を完全に掌握されると、今度はご自分のご実家ジュハース侯爵家からの介入も完全にシャットアウトした。


まさに鮮やかな手際。


利用したご実家の思惑にも容赦がない。


伝説の押しかけ女房は、お父様だけに一途であられた。



――わが父も、祖父も、すでにエディト様からコテンパンにやられて、大人しいものです。



と、リリがフランツィスカ陛下にすまし顔で言った〈父〉はお母様の兄で、〈祖父〉はお母様の父ヤーノシュ。いまは、ほどよい距離感で協力関係にある。


お母様は、ホルヴァース侯爵家とお父様を、外戚の脅威から守り切られ、


それから、わたしを産んでくださった。


いまでもホルヴァース侯爵家領におけるお父様の治政を助け、領地経営を一手に担われている。


尊敬してやまない、わたしの憧れ。


貴族令嬢としての憧れがエルジェーベト様なら、お母様の生き様には女性として憧れている。


となりで一緒にしゃがんでくださるお母様に、お会いできるのは久しぶり。


チラッチラッと、お顔を窺い見てしまう。


ふたりでそっと勿忘草を眺める時間が、静かに流れた。



母エディトは、わたしを忘れずにいてくれた。



そのことだけで、まずは胸がいっぱいだ。


会えない時間が、愛を育てたり、信頼を厚くしたりすることもあるのだろうけど、不安も募る。


お顔を拝見でき、ならんでくださってるだけで、心がじんわりと落ち着いていった。


そんな自分が照れくさくもあり、そっと肩をすくめたとき、お母様が口をひらかれた。



「ガブリエラは、私の娘よ」


「え、ええ……。よく知っていますわ」


「助けたいと思ったら、それはもう恋よ」


「え……、えええっ!?」



と、突然、なにを言い出されるのだろう……。


いつのまにか無表情になられていたお母様のお顔を、まじまじと見詰めた。


なにをお考えになられて、



――それはもう恋、



だなんて、娘であるわたしに仰られたのか意図が分からない。



「守りたいと思ったら、それはもう愛」


「あ……、え?」


「それが、母の性癖……、いや性分です」



せ、性癖だなんて……。


そんなスンッとした表情で仰られても、どう反応したらいいのか分かりませんわよ、お母様?



「アルパード殿下をお助けしたいと思うなら、お守りしたいと思うなら、ホルヴァース侯爵家の立場に気兼ねする必要などありません。思いっきり、乗り込んでさし上げなさい」


「……え? お母様、なんで……?」


「顔を見れば分かります。ガブリエラは私の娘なんですから」



し、しかし……、恋に落ちたご令嬢が〈思いっきり〉するべきことは、お相手の胸に飛び込むことであって、


の、乗り込むって……。


思わずクスリと笑ってしまった。


そうか……。


わたしの恋は、乗り込む恋なのか。



「お母様?」


「なに?」



お母様の凛々しいお顔立ちは、無表情のままピクリともされない。



――これは、照れているのだな。娘のためとはいえ、ご自分の〈性癖〉をカミングアウトされるのが気恥ずかしいのだ。



と、思うと、すこしからかいたくなった。



「お母様は、お父様のどんなところにキュンキュンされるのですか?」


「…………ポンポン」


「え?」



か、可愛い……。凛々しいお母様が無表情に「ポンポン」ってなんだ!?


吹き出しそうになるのを、必死でこらえた。



「いつもありがとう、エディトはすごいな……って、あたまをポンポンってしてもらうと、……たまらないわ」



お、お母様とお父様に、そんな秘めた〈夫婦の営み〉があったとは……。


娘の恋心を後押しするためとはいえ、なかなかのことをカミングアウトさせてしまったような気がする。


だけど、せっかくなので、もうすこし可愛らしいところを見せていただきたい。



「ええ~っ!? なにそれお母様。よく分からないわ。わたしにやってみてくださらない? お母様のお気持ちを理解するためにぃ~」



と、わたしがワザとらしい笑みを向けると、お母様が真剣な表情でわたしを見た。



「ダメよ、ガブリエラ」


「ええ~っ? どうして、お母様?」


「ガブリエラが、私に惚れたらどうするのよ? アルパード殿下にも王家にも申し訳が立たなさすぎるわ」



くっ、と笑いをこらえたけれど、あながち冗談ともいえない。


なにせ、お母様はわたしの憧れだ。



「ガブリエラはいつか、アルパード殿下におねだりしなさい。……たまらないわよ」


「あ、ええ。……分かりました、お母様」



お母様はわたしに微笑まれると、スッと立ち上がられた。



「ガブリエラ。たとえ相手が三大公爵家であろうとも、ホルヴァース侯爵家を潰させたりはしません。この母が、必ず守り抜きます」


「え、ええ」



わたしも立ち上がり、お母様の瞳を見詰める。



「だから、ガブリエラの思う通りにしなさい」


「かしこまりました、お母様」


「ふふっ……。ガブリエラは窮屈なわが国に収まる器ではないと思って、どこか他国の王にでも嫁がせるつもりでいたのに」



と、愉快気な笑みを浮かべ、初夏のあわい青色をした空を見あげられたお母様。



「そのためにも貴族のあり方を学ばせようと王都にのぼらせたばかりに、……アルパード殿下にとられてしまったわ」


「嬉しいお言葉、感無量です」



わたしは恭しくカーテシーの礼をとり、お母様にあたまを下げた。



「ガブリエラは、他国の王ではなく、わがヴィラーグ王国の王の、妃となります」



わたしの心はさだまった。


乗り込む。


恋に乗り込む。


王国の中枢に乗り込む。


そして、わたしに憧れる健気な王太子をお助けし、この国をより良い国にする。


愛しいアルパード殿下の、やさし過ぎるお心をお守りする。



これが、わたしの恋だ。



そして、あたまをポンポンしてもらうのだ。


お母様をして、



――たまらないわ。



と言わしめる、あたまポンポン。


自分でもなにを言っているのか分からないけれど、なんだかとても魅力的なものらしい。


たまらないらしい。


ガラッパチで、学問好きで、従騎士の称号持ちの侯爵令嬢ガブリエラ。



一生を捧げられる恋に出会った。



政略結婚があたりまえの貴族の身に生まれながら、なんと幸運なことだろう。


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