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18.いいよ、いいよ

「アルパードは、私が14歳のときに生まれたのよ」



と、エミリー殿下が目をほそめられた。


王家待望の王子誕生。


その喜びをふり返って、あらためて噛みしめられているかのようなご表情だった。



「妹のフローラは12で、イルマは11。そりゃあ、姉3人、みんなで可愛がったわ。あの子、顔がいいしね」


「ええ……」



眉を寄せたいたずらっ子のような笑みで、わたしを見られるエミリー殿下。


弟を褒めるのが照れくさいかのようで、先日、エルジェーベト様とふたり、わたしもたくさん見せてしまった表情だ。



「でも、私に縁談がもちあがったとき、すこし心配でね。アルパード、いまよりずっと恥ずかしがり屋さんで、内気な子どもだったのよ」



い……、いまより?


いまでも充分、内気で恥ずかしがり屋さんだと思いますけど……。


いや、違うな。


わたしに対してだけだ。それも花乙女宮に入ってからのわたしに対してだけだ。


以前の殿下に、内気な印象はなかった。


ふわふわはしてらっしゃるけど、いつも笑顔で、場にパッと華の咲くような……。



「結婚したら私は内廷を出るし、妹たちはいたけど、アルパードの内気をなおすのに、なにかいい方法ないかなぁ~って考えてたら、えらく元気なハウスメイドを見付けたのよ」


「ええ……」


「聞けばエステル家領の漁村から出稼ぎに来てる漁師の娘で、そんな身分で王宮のメイドに取り立てられるくらいだから、充分に優秀で。なにより威勢がよくて、気風(きっぷ)もよかったの」


「へぇ~、そんな方が」


「ヨラーンって名前の娘で、すぐにアルパードのナーサリーメイドに取り立ててやったの。そしたら、いい遊び相手になってくれて、アルパードも明るくなったような気がしたのよ」



弟想いのエミリー殿下が、王宮を出られる前にできるかぎりのことをしてあげたかった気持ちはよく分かる。


わたしも領地から王都にのぼるときには弟イグナーツのためにあれこれやって……、ウザがられた。


ま、まあ……、イグナーツは内気でもないし、エミリー殿下の場合よりは弟と歳が近いし、仕方がない。



「ヨラーンは元気すぎるところもある娘だったから、メイド長によく頼んで、私も安心して嫁に出たの」



元気すぎる……、わたしのなかではイロナのイメージに被るな。


最近は侍女の責任感に目覚めちゃって、すこし大人しめだけど。



「で、私も息子が生まれたり、嫁ぎ先のエゲル侯爵家の家政もあってバタバタしてたら、アッという間に6年が過ぎてた」


「ええ……」


「フローラはケベンディ侯爵家に嫁いでたし、イルマは20歳になってて、ソルフエゴのルイス殿下はまだ12歳だったけど、そろそろ本格的にイルマの輿入れを考えようかって頃に……、イルマから内々に連絡があったのよ。アルパードの様子がおかしいって」


「……え?」


「……騒ぎにならないように、いつも通り息子を連れてなんの気なしに王宮に遊びに行って、アルパードの様子を見てたら、ニコニコしてるし『なんだ、ふつうじゃない』って思ったんだけどね……」


「え、ええ……」


「よく見てたら、ほとんど自分の意見を言わない。なにか聞かれても『いいよ、いいよ』ってね……」


「はい……」


「たしかに、これはおかしいわね、ってなって、イルマとヒソヒソ相談してたら……、ふと気付いたの。ヨラーンがいないって」



エミリー殿下は、お出ししていたお茶のティーカップをキュッと握られた。



「……処刑されてたのね。その3年も前に。……アルパードへの態度が悪いって」


「え……」


「すぐに経緯を調べたら、私が頼んでたメイド長は、フローラが嫁ぎ先に連れて行ってたの。フローラに悪気はないわ。王女の嫁入りでふつうのおねだり」


「え、ええ……」


「当然、処刑の許可はお母様が出されてた。これも悪気はない。非礼を働くメイドの処刑なんて、あたらしいメイド長から申請があればサインするだけよ」


「そうでしょうね……」


「でも……、アルパードのやさしい心には痛撃だった」



エミリー殿下は眉をひそめて、かるく目を伏せられた。



「……イチジク」


「え……」


「イチジクのドライフルーツが苦手で、食べるのを渋ってたら、ヨラーンと喧嘩になったんだって」


「……はい」


「……お母様にもフローラにも言えなかったわ。そんなことしたら、ご自分を責めさせてしまう」


「え、ええ……」


「イルマとふたり、私は王宮に通いながら、イルマは結婚を遅らせて、……ゆっくりアルパードに向き合ったの」



エミリー殿下は目をひらかれ、まっすぐにわたしを見詰められた。


アルパード殿下とおなじすみれ色の瞳には憂愁が満ちていて、可愛い弟への愛情があふれんばかりだった。



「……なにを聞いても『いいよ、いいよ』としか答えないアルパードの心に〈自分がなにかを拒否したら人が死ぬ〉と刷り込まれてることに気が付くまで……、そうね、半年くらいかかったわ」


「人が死ぬ……」


「そう……。もう誰も、自分のせいで死なせたくなかったのね。やさしいアルパードは」


「はい……」


「……嫁に出た私が内廷に関わるのには限界がある。それで、国政に外交の役を求めて、お父様にかけあって、王宮に出入りしやすくして、じっくりアルパードとイルマも一緒に話をしつづけたの」



エミリー殿下が外交を担われているのは、アルパード殿下のためだったのか……。


いつもお側に寄り添われるなら、内政のお役の方が好都合だったことだろう。


だけど、第1王女位を保持されているとはいえ、エミリー殿下は侯爵夫人でもあられる。内政にお役を求められたら、三大公爵家との間に軋轢を生みかねない。


弟君への想いと、輿入れされた侯爵家の立場。王家と三大公爵家。


バランスをとるのに苦心されたお気持ちがしのばれる。



「でもね、ガブリエラ」


「……はい」


「アルパードも賢い子なの。いずれ王位を継ぐ自分がこれじゃダメだって、心のなかではあがいて、もがいてた」


「はい……」


「ゆっくりゆっくり、傷んだ心に無理をさせず、私とイルマと3人ですこしずつ話をして、……どうにか、アルパードが人並には自分の意見を言えるようになるのに5年かかったわ」


「5年……」


「アルパードが13、イルマが24になってた。……お待たせしたルイス殿下がイルマより歳下で良かったわ。あの女たらしで有名なカミーロ陛下のご子息ですもの。いいお歳で待たせたら、浮気されちゃってたかもしれない」


「ははっ……」


「安心したイルマはソルフエゴに嫁いで行って、いまは私もアルパードのところには、ときどき顔を出すだけにしてる。……アルパードが自立しなくちゃって頑張ってるのを邪魔したくないしね」


「はい……」


「でね、ガブリエラ」



と、エミリー殿下はとても嬉しそうな、華の咲いたような笑みを、美しいお顔いっぱいに広げられた。



「突然、呼び出されたのよアルパードに」


「はい」


「貴女と結婚したいって」


「……えっ?」


「というか、プロポーズにOKも貰ってるって興奮してた。すごい人を見付けた。ボクの女神さまだ……って」


「は、ははっ……」


「ボクの守れなかったメイドを、サラリと守って見せた。すごい人なんだよ姉様! ってね」



そうか……、


ようやく分かった……。


ふわふわ王太子は、


わたしに、


憧れてたんだ……。



「それから、あの子……、私に初めて夢を語ってくれたのよ」


「……夢、ですか?」


「国法を導入するって」


「国法……」



途方もない夢だ。


他国でも、わがヴィラーグ王国でも導入が試みられたことは何度もある。


だけど、うまくいった例はほとんどない。


結局、貴族の領有権とぶつかるのだ。


導入しても、いつの間にかうやむやになり、王権が及ぶのは貴族まで、貴族の治める領民にまでは届かないという、元の形に収まってしまう。


国全体を貫く法がないので、先例が重視される。慣例が法の役割を果たす。


それでも、先例や慣例が、気ままな貴族の身勝手を縛っている。ないよりはいい。


エミリー殿下が、ニヤリと笑われた。



「アルパードがね、こう言うのよ。なんでボクに粗相をした者が平民なら処刑で、貴族ならお咎めなしなんだ……って」


「……そうですわね」



ワイングラス事件で、わたしがメイドをかばえたのは、もし問題になっても侯爵令嬢であるわたしなら〈ちょっと恥ずかしい〉くらいで済むからだ。


わたしもメイドをかばって、代わりに処刑されてやるほど、お人好しではない。


だけど、ふつう貴族令嬢がメイドをかばったりしないも事実だ。


あれがもし、わたしの隣にいたエルジェーベト様であれば、メイドにとても慈悲深く微笑まれて――、



「しっかりと罪を償うのですよ」



と、やわらかく仰られたことだろう。


そして、処刑されてゆく平民のメイドにまで慈愛の言葉をかけられる、慈悲深いご令嬢として名声をあげられたはずだ。



「ねえ、ガブリエラ?」


「……はい」


「アルパードったら、民を慈しむ名君になると思わない?」


「ほんとですね」



つい、素の言葉遣いで応えてしまった。


せめて「ですわね」くらい言うべきだった。


これもわたしが平民だったら、処刑まではいなかくても鞭打ちくらいの罰を受けることになるだろう。



――もう誰も死なせたくない。



わたしは名門侯爵家の令嬢でありながら、領地の港で船乗りたちに遊んでもらいながら育った。


もともと平民との垣根が低い。


アルパード殿下の想いには、ふかく共感できる。


そして、平民の扱いや刑罰に関して慣例や先例を超えるには、国法の制定しかない。



「……アルパードはいまでも、イヤなことに出くわすと、拒否できずについ『いいよ、いいよ』と受け入れてしまうことがあるのよ」


「あ……、はい」


「なのに、あのイチジク……」


「え?」


「ガブリエラと目があった途端、……ヨラーンの出来事と向き合う勇気が出たのね」


「はい……」


「いまごろヨラーンが笑ってるわ。『ね、アルパード殿下。イチジク、美味しいでしょ?』ってね……」



王侯貴族のひとりよがりかもしれない。


処刑されてしまったヨラーンが、冥府でどう思っているかなんて分からない。


いや、出稼ぎにでていた孝行娘の帰りを漁村で待っていた父母兄弟家族が聞けば、どう思うだろう。


だけど、いまはせめて、冥府での安寧を祈るくらいのことは……、許してほしい。


アルパード殿下の心の奥底にいまも残っているであろう、深い傷を癒すために。



「そうですわね、エミリー殿下」


「……国法の導入はアルパードの見果てぬ夢でおわるかもしれない」


「ええ……、分かります」



わが国において国法の導入とは、結局、三大公爵家をいまよりさらに王権に伏さしめることだ。


道のりは果てしなく険しい。



「だけど……、助けてあげてほしいの」



真剣な表情をされたエミリー殿下が、わたしをまっすぐに見詰められる。



「手伝ってあげてほしいの。支えてあげてほしいの。……ガブリエラに」



メイド、ヨラーンの命を奪った厳格な身分制度を突き崩したい。せめて命は貴族も平民も、平等に扱わせたい。


決しておつよくはない心で、アルパード殿下はあがいておられる。



――いいよ、いいよ。



泥団子をぶつけた子どもを救けるのに、いまの殿下ができる、精一杯の抵抗だったのかもしれない。


とても不器用で、まわりを呆れさせたとしても。



くっ……。守りたくなってしまう。



アルパード殿下が、わたしやホルヴァース侯爵家を守ってくださるかは分からない。


守りたい、とは思ってくださるだろう。


アルパード殿下はやさし過ぎる。


ひとりの平民のメイドの死を、ずっと引きずり続けるほどに、王族としてはやさしいが過ぎている。


イヤなことをイヤと言えない。



――いいよ、いいよ。



と、つい受け入れてしまう。


たとえそれが相手を守ろうとする、やさしいお心の発露であったとしても、


はたして、それで王位に就けるのか?


権謀術数渦巻く王国の頂点に座れるのか?


だけど、アルパード殿下はご自分を諦められていない。


国王陛下の出兵準備など、国の枢機に関わる重要なご大任を、立派に務めあげようとご努力されている。


懸命に、王位にふさわしくあろうとされている。



健気だ。



だけど、わたしも心の整理がつかない。


愛する弟を、わたしに託してくださろうとするエミリー殿下に、


黙って恭しく頭をさげ、なにも言質を与えることはできなかった。


本日の更新は以上になります。

お読みくださりありがとうございました!


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