17.姉として
王太子アルパード殿下は先触れも遣わされず、突然にお姿を見せられた。
花乙女宮は王宮敷地内の一隅を占める。
おなじく敷地内の王太子宮殿にお住いのアルパード殿下のお振る舞いとして、非礼でも不自然でもない。
ニコニコと変わられない朗らかな笑みを、わたしと向かい合ってお座りのエルジェーベト様に向けられた。
「あれ? エルジェも来てたんだ?」
「はい。……でも、そろそろお暇を。おふたりの邪魔になってはいけませんからね」
「いいよ、いいよ」
と、わたしたちの間にお座りになられたアルパード殿下。
ご来訪の経緯を手短に述べられると、
「あら、……当家の?」
と、エルジェーベト様がやわらかな微笑みを浮かべ、首をかしげられた。
出兵準備のお役を担われるアルパード殿下が、閲兵のためカールマーン公爵家領に赴かれるとのことだった。
「うん。出兵の主力はカールマーン公爵家の兵になるからね」
「そうなのですね」
「エルジェのお兄さんのヴィルモシュと話し合って、こちらから出向く方がはやいってなったんだよ」
――エルジェ……。
アルパード殿下が、エルジェーベト様のことを愛称で呼ばれるところを、はじめて拝見した。
幼馴染でもあられるおふたり。
エルジェーベト様の優れた社交術は、わたしを置いてけぼりにされるようなことは決してない。
むしろアルパード殿下は、そんなエルジェーベト様にわたしとの間を取り持ってほしいといった風情だ。
エルジェーベト様を愛称でお呼びになり、くだけたお姿を見せてくださるのは、わたしをはやくも内廷――家族の一員として扱ってくださろうとしているのだろう。
わたしとの距離を詰めるご努力としては不器用に過ぎるし、エルジェーベト様のお気持ちを考えなければ、健気にさえ見える。
いまだ、アルパード殿下はわたしのことは、チラチラとしか見られない。そして、ほほを紅く染められる。
――ど、どうしたらいいか分からん……。
もちろん、にこやかにアルパード殿下のお話をおうかがいする。
国王陛下の出兵準備という大役を任され、お忙しくされるアルパード殿下は、わたしになかなか会いにこれない。
それでも、おなじ敷地内にいるのと、遠出とではお気持ちが違うようで、出立前のわずかな時間に会いに来てくださったのだ。
わたしは、アルパード殿下のお人柄に惹かれるものを感じながら、実家のためには〈穏便な婚約破棄〉にいたるのがいちばんだと……、矛盾したことを胸の内にかかえている。
そして、わたしの敬愛するエルジェーベト様は、アルパード殿下への恋と家の政略とを諦められたばかり。
この場に、純粋なお気持ちで座っておられるのは、おそらくアルパード殿下おひとりだけ。
――愛してる。
王国最高峰の貴族令嬢たちをまえに、わたしへの愛を誓ってくださったアルパード殿下。いまや、お気持ちを疑うことはない。
カタリン様に誘導されたあの時間は、もしかするとご自分だけではなく、〈戦友〉エルジェーベト様のお気持ちにも区切りをつけてさし上げたかったのかもしれない。
三大公爵家のご令嬢どうしが通わせる心の紐帯など、雲の上の出来事過ぎて、わたしには想像することもできない。
ふと、アルパード殿下がつぶやかれた。
「……間に合ったよ」
間に合った? ……出立前に間に合われたということだろうか?
でも、いまのわたしは花乙女宮を動けない。間に合ったという表現は、すこしおかしい。
いつもの、ふわふわされたご発言だろうか?
と、わたしが内心首をかしげたとき、エルジェーベト様がほほを緩められた。
「アルパード殿下は、ガブリエラ様がほかの男に取られてしまう前に、花乙女宮に迎えることができた……、間に合った。と、仰られているのですよ?」
と、アルパード殿下のお言葉を、わたしに翻訳してくださる。
……どんなお気持ちにさせてしまっているのだろう。
いや……、もうこれ以上に考えるのは、かえって失礼というものだろうか。
わたしが、ふつうの令嬢だったら、おふたりの間に割って入れないものを感じて、
――キィ~~~ッ!
とか、なるんだろうか。
正直、プライベートな時間を3人でご一緒させていただいていることが夢のようでもある。
ぶっちゃけ惚れてるアルパード殿下。
敬愛してやまないわたしの推し令嬢、エルジェーベト様。
――なんでエルジェーベト様じゃないんだ。なんでわたしなんだ。こんないい女を悲しませやがって。
と、憤慨したのはつい先ほどのことだ。
なのに、高貴なおふたりとのなごやかな時間が嬉しくもある。
まったく、ふわふわ王太子め。
わたしにむずかしい恋を押し付けてくる。いったいわたしのどこに惚れたんだ。
エルジェーベト様もカタリン様も、いい女じゃないか?
わたしのどこが、おふたりに勝ってるっていうんだ?
そして、どうやらわたしはアルパード殿下の求婚に快諾していたらしい。
エルジェーベト様の仰られる通りなら、アルパード殿下は初対面のわたしにプロポーズされていたのだ。
それは〈ひとめ惚れ〉というヤツだ。
そこから3年かけて両陛下を説得され、結婚を勅命で正式に申し込み、自分の嫁になる者のためだけの花の離宮に押し込めて、ほかの男が絶対手を出せないようにして、
それでもなお、照れくさくて、嬉しくて、チラチラとしかわたしを見れない。
わたしのどこに、そんなに惚れてしまったんだ?
わたしを……、エルジェーベト様に、カタリン様に、胸を張れるようにさせてくれよ……。
けれど、エルジェーベト様をまえにして、そんなことを口にはできない。
やがて、出立の刻限が近付き、アルパード殿下が席をお立ちになられた。
ニコニコと微笑まれ、
「じゃ……、じゃあ……」
と、わたしをチラッと見られたアルパード殿下。
「はい。お会いできて嬉しかったですわ。お気をつけて、いってらっしゃいませ」
「いいよ、いいよ」
と、花乙女宮を出られるアルパード殿下を、エルジェーベト様とふたり並んでお見送りさせていただいた。
「なんなんでしょうね? ……殿下の、あの口癖」
と、エルジェーベト様が困ったように笑われた。
そうか……、ご幼少のころから一緒にお過ごしになられた、エルジェーベト様でもご存知ないのか。
たしかに――、
――なにそれ?
とは、聞かないわな。王国の高位貴族のならいとして。
「ほんと。なんなんでしょうね?」
と、一緒に微笑んだ。
こうやって裏でヒソヒソと囁きあうのが、優雅な貴族のたしなみというものだ。
それから、ふたりでもうすこしだけお茶させてもらい、互いの弟の話で盛り上がった。
姉として、可愛い弟イグナーツには立派にホルヴァース侯爵家を継いでもらいたい。
エルジェーベト様の方は継承権争い含みで大変そうだけど、やはり弟は可愛い。
貴重な共通の話題を楽しみ、にこやかにお見送りすることができた。
Ψ
三大公爵家すべての先例集がそろい、ホルヴァース侯爵家流の〈花冠巡賜の儀礼〉の検討を本格的にはじめる。
といっても、まずは読解から。
カタリン様が解釈をこまかく書き込んでくださっていたナーダシュディ家の先例集はともかく、ほか2家のものはそのまま書き写されただけ。
先例集とはご先祖様の日記のようなものだけど、読解には骨が折れる。
詩になってたり、暗喩も多い。
家史において常識になってる故事は、説明が省かれる。
要するに、
――気取ってる。
のだ。
子孫にむけてカッコつけてどうするんだと思うけど、他家に流出したとき安易には理解されない暗号の意味合いもあるのではないかと、わたしは睨んでいる。
そうでもなければ、こんなに難解にする必要がないからだ。
わたしが遺す先例集は、絶対に箇条書きにしようと心に決めてる。匂い立つような優雅さも、風雅も趣きもないけれど、実用的だと子孫に感謝されるはずだ。
イロナとリリと3人でうんうん頭をひねるのは楽しくて、いつまでもやっていられるのだけど、花冠巡賜の日取りが迫るわたしには時間がない。
ただ、格別のご好意で提供していただいた貴重な先例集を、みだりに他人に読ませるわけにもいかない。
教育役筆頭のテレーズ様に相談させていただき、教育役のなかでも宮廷儀礼を担当されているセグフ伯爵家のジェシカ様に協力を仰ぐことになった。
ラベンダーアッシュなパープルがかったクセのないストレートな金髪。
整った顔立ちは少年のようでもあり、ジェンダーレスな魅力がわたしの好みにドンピシャ。
あとすこし〈こちら〉に振れていたら、リリとの〈ツン顔同盟〉に入れてた、凛々しいと端正の絶妙な配分。
わたしのプライベート――本来であればホルヴァース侯爵家の家政に属することにまでお力添えいただいて恐縮だけど、
お近付きになれるのは嬉しい。
いろいろ思い悩むことばかりで、純粋に作業に没頭できる時間はありがたい。
まして、わたし好みの麗しい女性ばかりに囲まれて最高だ。
と、結婚に近づいているのか、婚約破棄に近づいているのか微妙なところの、妙な努力に励んでいるころ、
突然、第1王女エミリー殿下がおみえになられた。
「ソルフエゴ王国に特使として派遣されることになってね……。まったく、嫁に出て内廷を抜けたっていうのに、人使いが荒いわよねぇ」
と、笑われた。
エミリー殿下は、エゲル侯爵家に嫁された後も、第1王女位を保持され王政における外交を担われることもある。
サッパリとした明るく開放的なご気性だけど、場にパッと華を咲かせるような気品があられ、王族外交にはうってつけ。
しかも、交渉事では一歩も退かない毅然とされたところもあり、ほんとアルパード殿下の姉君とは思えない。
「連合を組んで出兵するっていうのに、まだトルダイ公爵がグズグズ言ってて、相互不可侵の念押しに行かされるのよ」
「ああ……、ソルフエゴ王国はトルダイ公爵家領で国境を接していますものね」
「そうなのよ。王家からイルマがソルフエゴに輿入れしてるんだし、そろそろ信じるところは信じてやればいいのに、……まあ、累代の因縁があるからね」
イルマ殿下は、アルパード殿下の3人の姉君のうちいちばん歳のちかい第3王女。
王国の西に国境を接するソルフエゴ王国の、王太子殿下に輿入れされている。
それも、8歳も年下のソルフエゴ王太子ルイス殿下からの熱烈な求婚に応じられてのことだ。
ルイス殿下が9歳のときに17歳のイルマ殿下にひと目ぼれ。それから熱烈な書簡が届きまくって、7年のご交際を経てルイス殿下16歳のお年にご成婚。
イルマ殿下は24歳で、ソルフエゴ王国の王太子妃殿下になられた。
ひとめ惚れから結婚にいたるのに、これだけ分かりやすい恋愛物語があれば、どこに惚れたの、惚れられたの、悩むことなくスッキリと輿入れされたことだろう。
もっとも、ルイス殿下のお父君、ソルフエゴ国王のカミーロ陛下は稀代の女たらしとして数々の浮名を流された方なので、
血は争えないと、みなが苦笑いではあったらしいのだけど……。
エミリー殿下が、アルパード殿下そっくりのハニーブロンドの髪をかき上げられた。
「まあ……、私が帰ってくる前には花冠巡賜が始まるっていうじゃない?」
「あ、はい」
「ほんと、優秀なのね。ガブリエラは」
「……恐れ入ります」
「うん……」
と、エミリー殿下の視線が物憂げに、窓の外に向けられた。
「……ヤな小姑にはなりたくないし、悩んだんだけど……」
「……はい」
「やっぱり、姉として話しておきたいなって思って……、アルパードのこと」




