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14.敵か味方か分からない

メリンダ様はすこし視線を落され、あざやかな赤色をしたながい髪を、そっと耳元にかき上げられた。



「私は平民の母とナーダシュディ家の領地で暮らしていました。王都屋敷に引き取られたのは11歳のときです」



11歳……。かなり遅い。というかギリギリの年齢だ。


平民のお母上とご領地で、どのような待遇で暮らされていたかは分からない。


けれど、貴族令嬢として家憲、家訓、家規、そして先例を学び、家格と家風にあわせたふる舞いを身に付けるにはギリギリ。


物心がついたときから自然と身に付いていく、わたしたち正妻の子とは違うご苦労がある。


もちろん、ご正妻もしくは他の側室や愛妾に男子がお生まれになるのを、ギリギリまで待たれていたということだろう。


ご正妻のお気持ちとお立場を考えれば、ナーダシュディ公爵閣下の誠意のあらわれとも受け止められる。


礼儀作法などは、なんとかなる。


ぶっちゃけ、



「ほほほ」



と、笑えたら、だいたい乗り切れる。


わたしだけかもしれないが。


だけど、家憲や家規となると、そうはいかない。


伝統ある家であればあるほど、うるさ型の家臣も多い。彼ら彼女らの厳しい目に耐えられるだけの知識とふる舞いを身に付けないと侮られる。


妾腹から家籍に入ったとなれば、さらに厳しい目に晒される。


なにか粗相や間違いがあれば、



――これだから、平民腹は。



と、心ない陰口をたたかれる。


お母上も貶められる。



「……ナーダシュディ家の王都屋敷に入るやいなや、姉が私のまえに立ちました」


「カタリン様が……」


「姉は……、『お母様! 約束どおり、この娘は私のメイドにして躾けるわ!』と、私をご自分の部屋に引っ張っていったのです。……父上のご正妻であられるシルヴィア様の、私を蔑む笑いが印象的でした」



正妻の子が、妾腹の弟妹をいじめる。


よくある話だ。


正直、ナーダシュディ公爵閣下とご正妻の間に男子が生まれていたら、メリンダ様が家籍に入れられることはなかっただろう。


その方がきっと幸せだった。


たとえ正式な家籍に入れられなくとも、ご領地の有力在地貴族――有力郷紳あたりの奥方に収まることはできたはずだ。


そして、高貴な血を伝えてくれた奥方として、大切に大切に扱ってもらえたはずだ。



「それから姉は……」



と、メリンダ様は視線をあげ、すこし微笑まれた。



「私をご自分の部屋に、匿ってくださいました」


「匿う……」


「ええ……。口の悪い姉ですから、そのことに気が付くのに、1年くらいかかりましたけれど」



ふふっと笑われたメリンダ様の笑みはとても魅力的で、やはりあの小悪魔的魅力で人気のカタリン様の妹君なのだなと惹き込まれた。



「口の悪い姉は、屋敷のメイドや執事が私に粗略なことをすると『私のおもちゃになにするのよ!』と……」


「ははっ……」



笑っていいエピソードなのだろうか。


だけど、メリンダ様はとても楽しげに話されている。



「姉は……、ガブリエラ様が花乙女宮に入られ、ホッとしたようです」


「……そうですか」


「ガブリエラ様がわざわざご挨拶におみえくださったことも、とても喜んでいました」



喜んでたのか、あれ……。



「口の悪い姉のことですから、ガブリエラ様には分かりにくいかと思いますけど……」


「あ、いえ……」


「……姉は、姉が怒ってみせないと、ガブリエラ様やアルパード殿下に非難がいくと思ってるんだと……、思います」


「……え?」


「ああ見えて……、姉は自分のことを大切にしない気性なのです」


「はい……」


「……ガブリエラ様が花乙女宮に入られ、ナーダシュディ家では家督継承――つまり、ご養子との縁談が本格化しました」



そうか……。カタリン様も19歳。


高位貴族のご令嬢としては、行き遅れ寸前のご年齢だ。


王太子妃への道が閉ざされたなら、すぐにでも縁談を進めるだろう。



「けれど、姉は、……家督は私が継ぐべきだと」



絶句した。


なぜ、そんなことを言い出されたのかは分からない。


だけど、想像するだけでも、きっと正妻のお母上と大喧嘩になってるはずだ。



「自分は他国に嫁に行く……、と言ってきかないのです」



――ジュゼフィーナ殿は他国に嫁がれ、その後は一度も帰国されておらぬ。



フランツィスカ陛下のお言葉が胸に蘇る。


三大公爵家のご令嬢どうしが王太子妃の座を競われ、敗れたご令嬢は他国に嫁す道を選ばれることもある。


その後の人生でずっと、負けた相手を王妃と仰がなくてはいけない屈辱に、耐えられないのだろう。


その相手が侯爵家生まれのわたしでは、なおさらだ。


ナーダシュディ公爵家の家督を棄てても、わたしやアルパード殿下の顔など見たくもない……、ということだろう。


思わず、クッと眉を寄せてしまった。



「あ……、違うのです。姉は、ガブリエラ様やアルパード殿下に思うところがある訳ではないのです」


「いえ……、そのようなお気遣い……」


「姉は、アルパード殿下の幸せを心から喜んでいます」



突然、メリンダ様の視線がグッとつよくわたしを射抜いた。



――姉を侮辱するな。



と言わんばかりの、つよく熱い眼差し。



「……そうではなく、私のためなんです」


「メリンダ様の……」


「実はナーダシュディ家にご養子として入られる方は、すでに決まっています。レヴェンテ・オーレム=ナーダシュディ様。オーレム侯爵家のご長男です」



貴族の家系は、男系継承が基本だ。


跡継ぎに婿養子とるなら、おなじ家門の分家からとる。そうすることで他の家門に家系が移ることをふせぐ。


極端な話、王家であるエステル家から養子を迎えれば、ナーダシュディ公爵家の姓は、


ナーダシュディ=エステル


に変わり、ナーダシュディ公爵家はエステル家門に移ることになってしまう。


ナーダシュディ公爵家ほどの権門であれば、すでにおなじ家門の分家のなかから優秀な男子が跡継ぎとして選ばれてること自体は、おかしな話ではない。


だけど――、


その結婚相手が、カタリン様なのかメリンダ様なのか、王太子妃選びの結果を待っていたのだ。


政略結婚は高位貴族のならいとはいえ、こういうケースだけは、



――乙女を道具扱いするな!



と、叫びたくなる。



――どちらかと結婚ね。



と言われる婿養子になられる男性の気持ちもどうかと思うし、こっちがダメならあっちと言われるカタリン様、姉のスペア扱いされるメリンダ様。


幸せな登場人物が、誰もいない。


だけど、内心憤慨するわたしをよそに、メリンダ様は気恥ずかしそうにはにかまれた。



「……姉は、私が……、その、レヴェンテ様と恋仲であることをご存知なのです」


「あ……、あら……」


「だから、家督を譲ってまで、私とレヴェンテ様の結婚の後押しを……」



そ、それは……、わたしも憤慨してはみたものの……、カタリン様のお人好しが過ぎるというか……、



――自分のことを大切にしない気性、



と、メリンダ様が仰られるのもよく解る。



「姉は『次は皇帝を口説きに行くわ!』なんて張り切って見せてますが……」


「ははっ……、皇帝」


「アテがある訳でもないでしょう」


「そ、そうでしょうね……」


「……ご正妻のシルヴィア様はもちろん反対されています」


「ええ……」


「でも、ほんとうに私が家督を継承することになれば、お母上と仲違いした姉に、ろくな縁談はこないでしょう」



貴族令嬢の縁談に母親の影響力は大きい。


まして、妾腹の娘に家督をかっさらわれたとなると、カタリン様だけではなくシルヴィア様の王都社交界での扱いも落ちる。


あまり例のないことだけに、どれほど陰口をたたかれるか分からないほどだ。



「ガブリエラ様」


「……はい」


「王太子妃になられた後、ぜひ姉に良縁をご紹介くださいませ」



ふかぶかと頭をさげられるメリンダ様。


カタリン様のことを、心から敬愛されていることが伝わってくる。



――わたしの婚約破棄。



が、はたしてカタリン様にとって、そしてメリンダ様にとって、よいニュースなのかどうかも分からなくなった。


話が進行していて、すでに揉めていて、



――では、仕切りなおして、もう一回、王太子妃を目指すぞ~っ!!



とは、ならない。おそらく。


カタリン様のお立場を、よりいっそう複雑なものにしてしまうだけだろう。


わたしは、手元に握りしめていたカタリン様からいただいた先例集の写しに目を落とした。


ぶ厚い紙束。


紐でとじられ、なんども開いた跡がある。


カタリン様は、これをわたしに譲ってくださり、ご自分のアルパード殿下への恋に終止符をうたれた。


アルパード殿下の幸せを喜ばれ、わたしの輿入れがつつがなく終わるようにと、ご自身の青春のすべてと言っていい努力の結晶を、惜しげもなく譲ってくださった。



「あ……、すみません。身の上話などしてしまって」


「いえ……。お聞きできて良かったです」


「もうひとつ、姉から大切な伝言が」


「あ、はい。なんでしょう?」


「ガブリエラ様の花冠巡賜が、ナーダシュディ家の先例で行われては、ホルヴァース侯爵家がナーダシュディ家門に下ったと見られかねません」



なるほど……。それは、たしかに。



「ですから、姉からカールマーン家のエルジェーベト様と、トルダイ家のレオノーラ様にも声をかけておくと」


「……はっ?」


「三家の先例をもとに、ホルヴァース侯爵家流の儀礼をあたらしくつくるべきだ……と、姉は申しておりました」



お人好しが過ぎるだろ。


面倒見がいいと言われるわたしでも、そこまではしないぞ。



「あと……」


「はい」


「……エルジェーベト様は、ほんとうにアルパード殿下のことをお慕いになられていたので、ガブリエラ様からもご配慮を賜われたら嬉しい……、と」



ふたたび、言葉を失った。


カタリン様がご自分のことだけではなく、競争相手だったエルジェーベト様のお心にまで思いを馳せられ、お気遣いされ、


わたしに頭をさげている。


負けた。カタリン様には完敗だ。


わたしの結婚を壊すどころか、いちばんの味方じゃないか。


この場合、敵か味方かどちらになるのか分からないけれど――、



「カタリン様の幸せのため、……わたしがどのような立場になろうとも、必ず全力で尽力させていただきます」



と、メリンダ様の手を、つよく握った。


嬉しそうに肩の力を抜かれたメリンダ様は、たいそうお美しくて、



――この妹は、私が守るのだ!



と、鼻息荒いカタリン様の絵が浮かんだ。


高位貴族の家に生まれて、様々なしがらみのあるなか、こんなに信頼し合っているご姉妹が、すこし羨ましかった。


くそう……、いい女じゃないか。


カタリン様も。



   Ψ



カタリン様から譲っていただいた先例集を大切に読ませていただき……、


あわてて、リリを呼び出した。


夜中の花壇ではなく、昼間の居室に。



「ただの連絡役じゃなかったのか……」



呆然とする、わたしとリリ。


王太子妃候補たるわたしが花乙女宮にあって外界との連絡役を務める――、伝奏。


その主な任務が、花冠巡賜を執り行うにあたって、わたしが巡る三大公爵家と27侯爵家、各家との連絡と調整だということが分かったのだ。


各家は、わたしに花冠を授ける。


その花冠をつくる花は、生き物だ。


授ける側としても、いちばんいい状態の花で花冠を編みたいし、そもそも花を選ぶのも大変だ。


季節もある。生育具合もある。



「やばいわ、リリ」


「ああ……」


「各家は、わたしが伝説の王太子妃級のスピードで王太子妃教育を終わらせようとしてることを、まだ知らないわ」



リリとふたりで、カタリン様からいただいた先例集をよく読み込む。


先例を持たないホルヴァース侯爵家に生まれたわたしは、花乙女宮に入れば自動的にツルツルツルッと王太子妃になるものだとばかり思い込んでいた。


そんなことはなかった。


王太子妃候補とその家でやるべきことが、山のようにある。


リリとふたりだけでは心許ないので、イロナにも加わってもらい、よく検討を重ねる。


イロナだって侍女だ。元気で能天気なだけではない。先例の読み込みは得意な方。


もちろん、こまかく書き込んでおられたカタリン様の解釈にはおおいに助けられた。


そして、



――花冠巡賜をおこなう時期の伝達に、三大公爵家ごとでやり方におおきな違いはないはず。



という結論に達した。


リリには、教育役筆頭のテレーズ様と、わたしの王太子妃教育の完了時期について打ち合わせに入ってもらう。


わたしが花乙女宮を出て、柘榴(ざくろ)離宮に遷るには、とにかく花冠巡賜をつつがなく終わらせるしかない。


急に慌ただしくなった。


そして、2日後。


今度はトルダイ公爵家のレオノーラ様が、先例集の写しをお持ち下さった。



「ほんと、カタリン様は人を動かすのがお上手だから……」



と、苦笑いされていた。


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