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1.王国女子すべての憧れ

ホルヴァース侯爵家400年の歴史を感じさせる王都屋敷の執務室。


壁には先祖代々の肖像画が飾られ、今年の出番を終えた暖炉の上では、8代前に王家から賜った宝剣が輝く。


家宰も執事もさがらせた重厚な伝統を物語る空間で、


わたしとお父様は、頭をかかえた。



「……なにかの間違いでは?」


「いや、たしかに国王陛下のサインであるし、王妃陛下のサインもある……」



ふかみのある漆黒の執務机。その上に、純白の書簡が広げられている。


上首には威厳漂う王家の紋章。


そして、なんど読み返しても、こう書いてある。



――侯爵令嬢ガブリエラ・ホルヴァースと、王太子アルパード・エステルの婚約を求める。



ガブリエラ・ホルヴァース。



わたしだ。



王太子アルパード殿下は、気さくで親しみやすく、美しいお顔立ちと優しいお人柄で知られるけど、なにかと〈ふわふわ〉してらして、つかみどころが無い。


通称、ふわふわ王太子。


王家にお生まれの威厳は感じられず、なんでも「いいよ、いいよ」で済まされてしまう。


わたしより8歳年上の25歳にして未婚だけど、アレでは妃とりが遅れるのも無理はないと、みなが噂しているお方だ。



「……ガブリエラ。殿下に、その、見初められた覚えはあるのかい?」


「いいえ、まったく……。社交の場でのご挨拶程度で……」


「……弱ったな」



お会いすれば楽しくご挨拶させていただくし、美しいお顔を拝見するだけでも目の保養と思ってはいた。


けど、こちらから恋愛対象と思ったことは一度もない。


なぜなら、わがヴィラーグ王国の王太子が、三大公爵家以外から妃を迎えたことはないからだ。


いや、あるにはある。


160年前に一度だけ、侯爵家から王太子妃を輩出した。


しかし、その家は今は存在しない。


三大公爵家にいじめ潰され、絶家となったのだ。


わが国での公爵家の権勢は絶大だ。そもそも3家しかないのに〈三大〉と呼称されるほどに。


そして、他国はともかくわが国において、公爵家と侯爵家の差は天と地より大きい。


その侯爵家の令嬢である、わたしへの王家からの縁談。


お相手が美形で優しい王太子殿下であっても、恋愛や愛情以前の問題だ。


災難でしかない。



「やはり、一度、お父様から陛下のご真意を確かめられては……」


「いや、すでに書簡、つまり勅命を発せられたのだ。一介の侯爵がご意向をうかがうことなど恐れ多い……」


「けれど『王太子たっての望みではあるが、ガブリエラが望まぬのなら断わっても良い』とも、書かれていますわ」


「それこそ社交辞令というもの。……陛下の勅命を断るなど〈不敬〉に過ぎる」



う~ん。どちらにしても絶家の未来しか見えないか~。



「……だいたい〈王太子たっての願い〉ってなんだよ?」



と、おもわず漏れた本音に、お父様が顔をしかめられた。


貴族なんてのはいつも優雅に装っているけど、心のなかでは何を考えてるか分かったものじゃない。


わたしに至っては、港町を含むホルヴァース侯爵家の領地で船乗りに囲まれて育ち、本性はお転婆……、というかガラッパチだ。


面倒なことに、高位貴族としてはそれを隠して生きていくしかない。


王都にのぼってから身に付けた侯爵令嬢に相応しいふる舞いで、にこりとお父様に微笑みかけた。


咳払いをされたお父様が、背後にある窓を親指でちいさく指差される。



「……?」



窓の向こうには、お母様自慢の前庭。その向こうに門があって……。



「……馬車?」


「お前を王宮に迎える馬車だ」


「えっ? ……あれが?」



平民が使うような簡素な馬車。貴族が乗るにはギリギリのラインだ。


ちいさなため息を漏らされる、お父様。



「……かつて、王太子妃候補を王宮に迎える馬車は、豪華絢爛なものであった。だが200年ほど前、その馬車ごと謀殺される事件が起きた」


「まあ……」


「もちろん正史からは抹消されている。……しかし、それ以降、迎えの馬車にはそれと分からぬ質素なものが使われるのだよ……」



王家の嫡流に妃を出す。その裏側で渦巻く闇の深さに、思わず身震いがした。



「よりによって、エディトが領地に帰っているときに、このような難題……」



お母様のご不在を嘆くお父様。しかし、いない人をアテには出来ない。


わたしとお父様で決めるしかない。


あの馬車をカラで返すのか、わたしが乗って王宮に向かうのか――。



「お父様。陛下からのお迎えの馬車を、いつまでも待たせる訳にもいきません」


「……それは、そうだが」


「王宮に参りましょう」


「だが……」


「ええ、三大公爵家を敵に回すかもしれません。しかし、いま勅命に叛く〈不敬〉を選べば、結局は同じこと。いずれわが家の断絶は免れません」


「う、うむ……」


「ならば目指す道は、勅命は勅命としてお受けした上で、不敬にあたらない穏便な婚約破棄! この一択です」



権謀渦巻く王国中枢の、おそろしい権力者たち。その誰ひとりの機嫌もメンツも損ねることなく、


ス――ッと何ごともなかったように王宮から立ち去る。


そんなことが可能なのか、見通しはまったくない。


真っ暗闇の密室で針に黒糸を通すような話だけど、やりとげないと私の代でホルヴァース侯爵家が潰される……。



――あの、ふわふわ王太子。いったいどういうつもりなんだ!?



と、憤慨しながら、突然の嫁入り支度をして馬車に飛び乗った。



   Ψ



儀礼を片っ端から調べて、状況に相応しいドレスを選んだ。


あわいアッシュグリーンで、胸元には可憐なレースの花びらが幾重にも重なりあい、ふんわりと広がるAラインシルエット。


わたしには、すこし可愛らし過ぎるのだけど、馬車に同乗する侍女のイロナは褒めちぎる。



「ガブリエラ様のお美しさが、高貴なお方の目に止まらないはずがないと思っておりました!」


「えぇ~? わたし美しくなんかないわよ」


「そんなことありません! スモーキーシルバーの銀髪。切れ長で大きな紫色の瞳。鼻筋の通ったお顔立ちには知性があふれんばかり! 春風に誘われたようなドレスも、とってもお似合いです!」



真剣な表情でわたしを褒め続けるイロナに、おもわず苦笑いを返す。



「ツンとしてて、気の強そうな顔。自分では好きになれないわ」


「その謙虚なお振る舞いが、よりいっそう美貌と知性を引き立てるのです! くぅ~っ!!」


「……大げさよ」



苦笑いを重ねて、窓のそとに目をやる。


わたしより4つ年上の21歳とは思えない、可愛らしい顔をしたイロナ。


体格も長身のわたしと違って小柄。赤紫色の髪がクリンと内に巻いているのも可愛らしい。


できれば、わたしもイロナのような見た目に生まれたかったけど、こればかりは仕方がない。



――ふわふわ王太子も、わたしのどこがいいんだか……?



見た目は質素な馬車に乗り込むと、壁面、柱、窓枠にいたるまでのすべてに瀟酒な彫刻がほどこされていた。


席に座れば最上級のベルベットで、包み込まれるようなやわらかな感触。


その手触りを楽しむイロナが、ウキウキ、ソワソワといった風情で口をひらく。



「ガブリエラ様は、このまま〈花乙女宮〉に入られるのですよね……?」


「そうね……。正式に婚約者候補になれば、そういうことになるわね」


「くぅ~っ! 同行の侍女に私を選んでいただいて、嬉しいです!!」



婚約者候補に内定すれば〈花乙女宮〉と呼ばれる離宮に隔離される。


同行させる侍女は1人というのが通例。わたしへの忠誠心が篤く、口も堅いイロナを選んだ。


そこで王太子妃教育を受け、必要な知識と教養を身に着けたのち、正式に婚約者となる。


のだけど――、


まさか自分の身に降りかかるとは思っていなかったので、完全に他人事だった。


どうにか断りたいと考えていること自体、王家への〈不敬〉であるし、目のまえで喜んでくれるイロナがウキウキするのを止めることもできない。



やがて馬車は王宮の正門をくぐった。


前庭だけで、わが家の王都屋敷がいくつも収まる巨大な宮殿。



――貴族に生まれた以上、色恋だけで結婚できるとは思ってなかったけど……。



舞踏会に園遊会。社交の場として何度も訪れた華やかで優美な王宮が、


いまは、不気味な権力闘争の場としか映らない――。



   Ψ



広大な謁見の間には、国王陛下と王妃陛下、それに王太子殿下の3人しかいらっしゃらない。



――あ~、ガチだ。ガチで、わたしを婚約者にしようとしてる。



群臣を避け、両陛下と王太子殿下のみでの謁見は、王太子妃候補を迎える正式な儀礼だ。



《美しく気高い公爵令嬢の晴れ舞台》



として、物語では何度も読んだし、ガラッパチなわたしでも乙女心に憧れた。


別の馬車で王宮に入っていたお父様と一緒に、ながい深紅の絨毯を進む。


やがて、両陛下の御前で膝をつく。



「カーロイ。婚約の申し出を受けてくれ、深甚に思うぞ」



国王陛下からお父様に向けられる威厳に満ちた声が、ほかに人気のしない白亜の殿堂に響いた。


カチコチに緊張したお父様が、ぎこちなく頭をさげる。



「……ま、まこと、光栄なことで」


「ふっ。そう堅くなるな」



と、陛下のお声が柔らかくなった。



「慣例に反しておることは、重々わかってのことだ」


「はっ……」


「しかしな、3年だぞ?」


「えっ……?」


「アルパードが、そなたの娘ガブリエラと結婚したいと言い出して3年。ずっと、余と王妃を説得し続けたのだ」


「根負けです」



と、隣の王妃陛下がクスリと笑われた。


3年前?


わたしが領地から王都にのぼったばかりで、14歳の頃だぞ?


と、国王陛下の顔がわたしに向いた。



「ガブリエラ」


「はっ」


「突然の申し出を受ける決断。われらも感謝しておる。アルパードを憎からず想っておると聞いた通りであった」



み、身に覚えがありませんが……?



「アルパードのことを、頼んだぞ」



なんと返答しようかと迷いつつ顔をあげた。


目に入ったのは、ほほを真っ赤にしてうつむくアルパード殿下の端正な顔立ち。


黄色といってもよい鮮やかな金髪を揺らし、スラリと高い身体をモジモジとくねらせている。


さすがに分かった。



――やばい……。こいつ、わたしにガチ惚れだ……。



いつの間に? なんで? どこが? などと疑問は尽きないけど、



「身に余る光栄。いたらぬ身なれど、殿下のお隣を汚さぬよう精進いたします」



って、優雅に微笑みながら応える……、しかないじゃないかぁ~~~っ!!



息子の幸せを喜ぶ〈親の顔〉を見せる両陛下に、首筋まで真っ赤にしたアルパード殿下。



ははっ。



と、乾いた笑いを漏らしつつ、わたしは〈花乙女宮〉に向かった。



王国に生きる女子すべての憧れ。


色とりどりの花が咲き誇る広大な花壇が俗世と隔てる、


三大公爵家の令嬢にだけ許されたはずの、王太子妃教育のためだけに建てられた花の離宮。


その花々の真ん中で、



ど、どうしたらいいんじゃ~~~っ!!



と、わたしは頭をかかえた――。


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