バレンタインスワップ
2月14日。
世間ではバレンタインデーだと浮かれているが、高田翔にとっては何気ない一日にすぎない。
中学時代に一つもチョコを貰えず、高校生になればと期待していたが現実はそんな甘くはなかった。
ホームルームが終わり、名残り惜しく教室に意味もなく長居してみたり、あえて遠回りで玄関に向かってみたりしたが終点の下駄箱前までに特別なイベントは何も起きなかった。
「人生そんなもんだよな」
内履きを脱ぎ、下駄箱から靴を取り出そうと手を伸ばすと何かが指に引っかかる。
取り出してみると折りたたまれた一枚のノート用紙が入っていた。
『放課後、屋上で待ってます』
中庭の時計はちょうど5時を指していた。
高田は急いで階段を駆け上がる。
屋上へ出るとクラスメイトの佐々木香織が外側を向いて立っていた。
校則通りの長さの紺色のスカートが風に揺られている。
彼女はいつも休み時間に本を読んでいる物静かな子だ。
身長が低く、幼い顔も相まって中学生と言われても不思議に思わないぐらい。
隠れファンが多く、男子の間でも可愛い子だと評判だ。
まさか、そんな佐々木からバレンタインデーに誘われるなんて。
「ごめん。遅くなった。手紙入れたの佐々木だよな?」
高田が声をかけるとゆっくりとこちらを振り返り、
「うん。無視されたのかもと思ったけど、待っててよかった」
儚げにはにかむ彼女を見て顔が熱くなる。
「それで何か用かな?」
この日に異性を呼び出す理由なんて一つしかないが、間違えたら恥ずかしいので知らないふりを装った。
「あの、これ」
うつむきながら、両手を突き出す。
そこにはハート型の箱が握られていた。
嬉しさで叫びそうになったが平静を保ちながら受け取ろうと手を伸ばし、
「山田君に渡してください」
「え?山田?」
冷たい風が全身を吹き抜ける。
まるで凍ったように体が固まった。
山田とはクラスメイトの山田竜也のことだろう。
中学時代からの親友だ。
「うん、自分で渡そうと思ってたけど直前になって恥ずかしくなって……。山田君と仲がいい高田君なら緊張せず話せるから」
つまり、恋愛対象としてまったく見ていませんということだ。
実は隠れファンだった高田は唐突に失恋を経験した。
「そ、そうか。あいつとは仲がいいし、俺が渡しといてやるよ……」
乾いた笑みを浮かべてハート形の箱を受け取った。
佐々木は安心したように息を吐いて「よろしくね」と屋上から出て行った。
「人生ってそんなもんだよな」
何もかも上手くいかない。
だからこそ、面白い。
欲しいものが全て手に入る人生なんてつまらないだろう。
「よしっ」
両手で頬を叩いて切り替える。
彼女の思いがこもったチョコレートをしっかり届けないと。
何気なしに中庭を見下ろすと山田がベンチに座っているのが見えた。
連絡する手間が省けたな。
階段を下り、中庭に入ろうとしたところで一人の女子が山田と話していた。
あの子は確か隣のクラスの森川舞だ。
陸上部に入っており元気っ子だと女子の間で呼ばれている。
こちらのクラスに友達がいるのか、昼休みによく遊びにきている。
来るたびに森川と目が合うので気があるのかとこっそり思っていたが、とんだ勘違いだったようだ。
中庭からの話し声は聞こえないが、山田と話している彼女は見てる方が恥ずかしくなるぐらい慌てている。
そして、男女がバレンタインデーにやることはひとつ。
山田に四角い包みを渡した後、恥ずかしそうに両手で顔を覆った。
一つ一つの動作が大きくて見ていると自然と笑みがこぼれてくる。
元気っ子と呼ばれるだけあるな。
その後、少し会話をした後に森川はこちらへと向かって歩いてきた。
「あっ!高田君っ!えと……。見てた?」
「まあ、丁度チョコを渡すところを」
「あうあう」
森川が目をきょろきょろさせて狼狽える。
目に涙をため、何かを言いよどむ。
「ははは、今日はバレンタインデーだ。好きな子にチョコを渡すのは普通のことだよ。別に森川が誰に渡したかを言いふらしたりはしないよ」
「あの、そのっ!……えと……。とにかくっ!違うからっ!ま、また明日っ」
「おう、また……な」
森川は顔を赤くして50メートル走のようにその場から走り去っていった。
その様子がおかしくて、沈んでいた気持ちがいつの間にか消えていた。
山田はこれで少なくともチョコがニ個。
男として差をつけられてしまったな。
だが、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
他人の青春は人に活力を与えてくれるようだ。
そんなことを考えていると、高田の存在に気付いたのか山田がこちらに向かって手を振ってきた。
ちょっとからかってやるか。
中庭に入りモテ期真っ盛りの親友に声をかけた。
「見てたぞ?羨ましいかぎりだ」
「高田か。それはこっちのセリフだ。さっき、森川といちゃいちゃしてただろ」
「それは、嫌みか?安心しろよ、別にお前の女に手を出したりしないよ」
半眼で山田が手に持っている四角い包みを見やる。
「ん?ああ、これか」
まるで今持っていることに気が付いたみたいに無造作に腕を持ち上げた。
「ほら、やるよ」
ぶっきら棒にそう言って、手に持った四角い包みを渡してきた。
「いや、なんだよ。お前のだろ」
「頼まれたんだよ。高田にチョコ渡してくれって。ほら、あの子しょっちゅう俺らのクラスに来てただろ。お前に話しかける勇気がなかったんだとさ」
「えっ!嘘だろ。さっき山田と話しているときは乙女の顔していたのに」
「それはな、昼休みによく俺らのクラスに来るのは高田目当てだったのかってからかってたのさ」
「まじか」
あの、森川舞に好意を寄せられているということか。
初めて陸上部のユニフォームを着ている姿を見たときのことを思い出す。
天真爛漫でいつも笑顔でいる子が、大胆に太ももを露出させている姿を見て不覚にも興奮してしまった。
こういう子が彼女になってくれたらなと何度も妄想していた。
「実はこっそり狙ってたのに、まさか親友に取られるとはな。文句も言えねえよ。それじゃ、家に帰って泣くとするよ」
無理やり胸に四角い包みを押し付けられた。
そのまま横を通り過ぎようとしたところで、佐々木からチョコを預かっていたのを思い出した。
「待てよ、俺からも渡したいものがある」
「なんだよ、お前からチョコをもらっても嬉しくないぞ」
高田は鞄からハート形の箱を取り出して渡した。
「いや、冗談だろ。いくら親友でも男からのチョコは受け取れねえよ」
普段は冷静な山田が困惑する様子に思わずお腹を押さえて噴き出して笑った。
「ぷっ。くくく。馬鹿か、なんで俺からなんだよ。佐々木のだよ」
「はぁ?あの、いつも教室の隅っこで一人静かに座っている佐々木か?」
「なんだその言い方。くそっ、やっぱこのチョコはお前には相応しくねえ」
「そういえば、お前佐々木のこと狙ってたもんな。ははは、笑えてくる」
高田と山田はお互いを笑いあいながらチョコを交換しあった。
「やっぱ、俺たち親友だよな」
「間違いねえ」
どちらかともなく、お互いを慰めるように抱きしめあった。
すると、バンッと何かが落ちる音がし振り返ると用紙を挟んだクリップボードを地面に落として固まっている担任の女教師が立っていた。
「中庭の真ん中で……チョコを渡し抱きしめあう!これが青春!先生、こんな光景はゲームの中でしか見られないとばかり……。素晴らしいっ!」
担任の女教師が涙を流し、高田と山田を包み込むように両手を広げて抱きしめた。
「先生っ!とてつもない勘違いをしています!というか、それどんなゲームなんですか」
高田の今日一番の大声は中庭に響き渡り、3人は奇異の視線にさらされる。
「男同士でチョコを渡しあう……」
「うわぁ……ひくわぁ」
「最近では珍しくないみたいよ?」
周囲の生徒からひそひそ話が聞こえてきた。
さざなみのように広がっていく様子に疲れた顔を浮かべて、
「人生ってそんなもんだよな」
そう呟いた。