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第二十三章

 「そういえば、朝、哲治君が自転車に乗って出かけるところを見たわよ。塾に行っているの?」


 「夏期講習なんです。勉強ができないから大変で……」


 高藤恵美がため息をつくと、隣の奥さんが言った。


 「そんなことないわよ。うちの息子に爪のアカを煎じて飲ませたいわ。『夏期講習には行かなくていいの?』って聞いても、『必要ない』の一点張りで」


 「でも、息子さんは東大に続々と合格しているあの優秀な八王東高校に入学されたじゃないですか。受験が終わったばかりで少し休憩したいんじゃないですか?」


 「そうは言ってもねえ。周りはもっと勉強しているんだから、人並みにやってほしいのよねえ」


と、頬に手を当てて心配そうに語った隣の奥さんは、ふと思い出したように「そうそう」と話を続けた。


 「最近は哲治君、夜中に出歩かなくなったじゃない。よかったわねえ! この前ご主人が哲治君を叱っていたけど、あれが効いたのかしらねえ?」



 恵美の胸に嫌な気持ちが蘇った。結婚したころの隆治は穏やかな性格だったのに、義父が亡くなってから、なぜか非常に怒りっぽい性格に変貌していた。

 深夜に庭で怒鳴るなんて非常識もいいところだが、沸点に達した隆治は私の話に聞く耳を持たない。妻として母として家庭をしっかりコントロールできていないことがご近所中にバラされて、恵美は恥ずかしくて死にたいくらいだった。

 こんな悲惨な話はすぐにでも忘れてしまいたいのに、お隣さんは傷に塩を塗るように、あの話をぶり返してくる。

 恵美はこのふっくらとした人のよさそうなおばさんに殺意を覚えながらも、ごく慎重に答えた。


 「本当にあの夜はご迷惑をおかけしました」


 「いえいえ、いいのよ。ただね、あのあと哲治君がずっと庭にいたから、どうなることかとはらはらしたのよ。朝まであのままだったのかしらって」


 「はい、主人がかなり怒っていて、朝まで家にいれるな、と言うものですから……」


 「まあまあ!」


と隣の奥さんは目を丸くして気の毒そうに言った。


 「私なら心配で心配で、夫の目をこっそり盗んで家に入れたくなるところだけど……。我慢なさったのね。でもそれも躾よね。あの日は大変でしたわね」


 「はい……」


としおらしく返事をしてはみるものの、お隣さんの明け透けな野次馬根性に恵美はすっかりうんざりしていた。


 ――この人は哲治の心配をする「振り」をしているけど、本当は近所にふいに生まれたゴシップをもっと詳しく知りたいだけなのよ!

 テレビドラマみたいな刺激に飢えているんだわ。ああ、なんて醜い女なの! まるで私の実家の周りにいた、あの太ったおばさんたちそっくり!――


 とはいえ、ご近所付き合いもあるから無視するわけにもいかない。それは田舎でも同じだった。



・・・

 恵美が今でも忘れられない出来事がある。

 高校生のときのことだ。友達に夏祭りに誘われて、恵美はおろしたての真っ白なワンピースを着て待ち合わせ場所に向かった。


 「恵美ちゃん、ワンピースで来たんだ! すごく可愛い!」


浴衣姿で集まった女の子の中で、ワンピースを着ているのは恵美だけだったから、あっという間にみんなの注目の的になった。そばを通り過ぎる男の子たちも、恵美ばかりをちらちら見ているのが嬉しくてたまらない。

 花火が上がって祭りが終わり、ご機嫌で家に戻ると、お母さんが怒って恵美の帰りを待っていた。


 「あんた、何で浴衣着ていかんかったの!?」


 突然責め立てられて、恵美はびっくりして答えた。


 「だって、お祭りに浴衣なんてつまんないじゃない。最近はおしゃれなワンピース姿でお祭りに行く人も増えているから構わないと思って」


 「そりゃお前、テレビの中の話だろうが!」


 おでこに頭を当てて、やれやれと言いたそうな表情でお母さんが言った。


 「隣の奥さんに言われたんよ。お前だけが丈の短いスカートをひらひら履いて、生足出して祭りに来てるから、変な男たちにじろじろ見られてるって! 年頃の娘がそんな破廉恥なことしたらいかんわ!」


 「は、破廉恥ってひどい!!」


 屈辱的な気分になって恵美は叫んだ。しかしお母さんは叱り続けた。


 「あんたはもっと周りに合わせることを覚えないといかんよ! おらに忠告してきたのは隣の奥さんだけじゃねえ。斜め向かいの高橋さんとこも、村長の西田さんとこも、あんたと友だちの島井さんとこも、みーんなおらに心配して教えてくれてんだ!」 



 真っ赤な顔をして立ち尽くす恵美を上から下までじっくり眺めてお母さんは言った。


 「まるで襲ってくれと言わんばかりの恰好じゃねえか! 浮いたことばかりしていると、悪い連中につけこまれるよ! これから祭りに行くときは必ず浴衣にすんだよ、いいね!」


 言い捨てられて、恵美はその場でわっと泣き出した。


 「ったく、みっともないからこんなことで泣くんじゃねえ! お前が悪いんだろう?」


 冷たく言われて、恵美はますますヒステリックに泣き叫んだ。そして思った。


 ――このまま村の中で生きていたら、自由に好きな服を着ることもできないし、私がやっていることはみんな母親に筒抜けになってしまう。

 あらゆる場所に知り合いの目があるなんて、私にはプライバシーがないじゃない!――


 「こんな村、狭くて煩わしくて大嫌い! 東京に行きたい! 自由が欲しい!!」


・・・



 ――ようやく村から脱出して憧れの東京に住めたのに、どうしてこういうおばさんはどこにでもいるのだろう。――


と恵美は目の前の悪意なくプライバシーを侵してくる、おしゃべりな隣人をイライラと見つめた。

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