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第十一章

 「原町田ゼミナール」


 これから通う塾の前にたどり着き、オレこと高藤哲治は汗をぬぐった。駅から5分ほど歩いた場所にある雑居ビルの2階にこの塾があった。他の中学生が続々と階段を上がっていく後をついて、オレも2階に上がりドアを開けた。


 「おはよう!」


 七三に分けてきっちりネクタイを締め、ワイシャツの袖を肘までたくしあげた肩幅の広いおじさんがオレに向かって元気よく挨拶してきた。


 「お、おはようございます」


 思わず伏し目になりながら返事をしたオレの前に、そのおじさんが立ちはだかった。


 「君が高藤哲治君だね?」


 名前を呼ばれて思わずおじさんの顔を見上げたら、おじさんの目がキラキラと光り輝いていてちょっとびっくりした。漫画の主人公みたいに目から強烈な光が放たれているそのおじさんは、自分が塾長の石塚博だと名乗った。そして石塚先生は、仕切りで区切られた面談スペースにオレを招いた。二人で向かい合って席に座る。先生が口を開いた。


 「夏期講習直前に申し込まれたから、高藤君と会うのは今日が初めてだね。どうぞよろしく。さて、君の1学期の成績はお母さまから教えていただいた」


 いきなり痛いところに話が入り、オレは身構える。石塚先生は言った。


 「学校では『落ちこぼれ』だということだが、理科は3だったんだな。得意なのかい?」


 唯一成績が良かった教科の話が出て、オレはちょっとほっとした。


 「ええと…たまたま実験だったので」


 「実験が好きなのかい?」


 「はい。実験をすると記憶に残りやすいと思います。テスト前に暗記したのも、ずいぶん楽だったです」


 なるほど、と頷きながら先生はノートにメモを取っている。そして聞いてきた。


 「勉強はどうして苦手なんだと思う?」


 オレは蛍光灯の光が当たっている白い机の面をじっと見ながら答えた。


 「暗記できないんです。何回ノートに書いても、単語帳を繰り返し見ても、全然頭に入ってこなくて」


 「なるほど。新しいことを次々と習うからね。暗記するのも大変だろう。ちなみに復習はしたことがあるかい?」


 オレはちょっと考えて言った。


 「テスト前の勉強は復習ですか?」


 先生はにやりと笑った。


 「ああ、それも復習だけど、もう少し時間を空けて勉強したことを見直したことはある?

 例えば夏休みに1学期の復習をするとか」


 うーんと考えてオレは答える。


 「学校の宿題で1学期の復習ドリルがあるので、それを解いています。今回も宿題がたくさん出ているので」


 「ああ、そうだよね。じゃあ、そのドリル、×がついたところはちゃんと解き直しているかな?」


 オレは正直に答えるか迷ったけど言った。


 「解き直しません。答えを赤ペンで写すだけです」


 「どうして解き直さないの?」


 「ドリルの答えを見ても、どうしてそうなるかがわからないから…」


 「そうか…」


 石塚先生はキラキラした目をさらにキラキラさせて言った。


 「学校で配られる問題集は答えを書いていても、その途中経過や考え方はほとんど載っていないからね。理解できなくて当然だろう」


 オレは石塚先生の顔をまじまじと見た。今まではオレが勉強できないのは「お前が馬鹿だからだ」と親や学校、塾からさんざん言われ続けていたのに。教材に問題がある、という言い方をしたのは、この先生が初めてだった。

 オレは思い切って聞いた。


 「理解できなくて当然、なんですか?」


 「当然さ。そうだな…。高藤君はテレビのクイズ番組を見ているかい?」


 「え? クイズですか? はい、見ますけど…」


 石塚先生はちょっと嬉しそうな顔をして、両手をこすり合わせた。


 「私もね、大好きなんだよ。クイズ番組。特に『クイズタイムショック』ね。あれはいい。1分間で何問正解できるか、頭がフル回転して、手に汗握る緊張感があるからね」


 「はあ…」


 オレが突然の話にきょとんとしていると、石塚先生がはっとして苦笑いした。


 「いや、すまん。それでさ高藤君、クイズに答えるとき、君は普段どうやっている?」


 「どうやっているって…。普通ですよ」


 オレが意図を呑み込めず戸惑うと、石塚先生が笑って言った。


 「いやいや、大した話じゃないんだ。例えばそうだな…。はい、ここで高藤君にクイズです! 千円札に書かれている肖像画は誰?」


 「え? お? あの、ひげが生えた…はげたおじさん?」


 「ははは! そうその人。本当ははげてないんだけど、髪の毛が大分目立たなくなってるよな。名前はわかる?」


 「わかりません」


 「そうかそうか」


 石塚先生は席の後ろにある真新しいホワイトボードに黒いペンで字をキュッキュッと書き始めた。


 「伊藤博文。明治時代、日本初の内閣総理大臣になった人だよ」


 「何…大臣ですか?」


 「内閣総理大臣。ああ、首相のことだよ。今は福田赳夫首相だよね。名前を聞いたことくらいはあるかな?」


 「はい。父がよくその名前を言っていたと思います」


 「なるほど。どんなイメージがある?」


 「福田首相にですか?」


 「そうそう。日本の政治のトップって、君にとってどんなイメージかなと思って」


 「えーと…」


 オレはテレビで見たたれ目でスーツを着たおじいさんを思い出して言った。


 「偉い人なんだなと思います」


 「うん。そんな偉い立場に日本で最初になったのが、伊藤博文なんだよ」


 「ああ、はい」


 すると石塚先生がホワイトボードの文字を消した。


 「さて、高藤君の頭には、伊藤博文が千円札の肖像画の人で日本初の内閣総理大臣だ、というイメージが刻まれたね」


 「はい」


 「たぶん学校の授業でも伊藤博文は出ていたと思うんだけど、今の方がちゃんと名前を覚えられそうな気がしない?」


 オレは頷いた。


 「はい、そう思います」


 石塚先生の目が再びビカビカッと輝いた。


 「これはね、”理解”しているからなんだ。丸暗記をしようとすると、意味の分からない呪文を覚えるような感じになってしまう。でも今覚えようとしている言葉にどんな意味があるか、自分なりに理解すると頭に入りやすくなるんだよ」


 「そうなんですね…」


 オレはちょっと驚いていた。覚えるためには理解した方がいいだなんて。暗記する時間をたくさん取るべきだと信じ込んでいた。

 石塚先生が席に座り、オレに顔をぐっと近づけてきた。目の輝きが一層増す。


 「この夏期講習で高藤君がやるべきは、1学期に勉強した内容を見直して、できないところの原因を知ることだ。

 例えば歴史なら、用語はわかっているのに漢字を書き間違えただけなら書き取りの練習をすればいい。そもそもすっかり忘れている用語なら、その用語が出る背景から忘れている可能性が高いから教科書を見直して、頭にイメージを作る。

 そうした間違いの原因別に復習の仕方を変えると、丸暗記より効果が出るはずだ」


 オレは期待に胸が膨らみ始めた。2学期に学校のテストでいい点数を取れる自分を思い描いた。この塾でならできるかもしれない。


 「はい。やってみます」


 石塚先生はうんうんと頷いた。


 「じゃあ、授業に出てもらおう。お母さまからは5教科すべての復習をと言われている。正直かなり大変だと思うけど、挑戦してみてほしい」


 そこまで話が済むと、石塚先生とオレは二人で席を立ち、教室に向かった。

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