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第十章

しばらく水曜日+1日で連載します。水曜日以外は不定期ですが、土日のどちらかで考えてます。

 グウウウウ


 豪快な音を立てて、オレこと高藤哲治の腹が鳴った。あっ!と焦っておなかを押さえたオレを見て、川上直樹がゲラゲラと笑った。


 「あんだよ、もう腹減ったの?」


 笑われて真っ赤になりながら、オレは言い訳をする。


 「しょうがないだろ。夜ご飯食べてねえんだから」


 直樹がびっくりした顔でオレに尋ねる。


 「なんで?」


 オレは足元に溜まったタバコの吸い殻を足で粉々に踏みつけながら答えた。


 「親とケンカした」

 「へえ!」


と直樹が面白そうな顔をして、身を乗り出してきた。


 「なんでケンカしたの? ああ! 通知表のせいか、ひょっとして?」

 「そうだよ!」


 オレは口をあけて、殴られた左頬の内側を見せた。


 「くそオヤジに叩かれて、口の中切れたんだ! 頭にきて家から飛び出してきたんだよ!」

 「ありゃりゃ~、痛そう」


 月明りでオレの口の中を見ていた直樹が気の毒そうに呟いた。


 「じゃあ、俺ん家に行くべ」

 「え?」

 「飯しか出せないけど、腹はいっぱいになるぜ」


 そう言うと、直樹は16メーター道路の端に止めてあったママチャリにまたがった。


 「後ろ、乗れよ」

 「オッケー!」

 「あー、でもさ」


 にやりと笑って振り向いた直樹がいたずらっぽく言った。


 「上り坂になったら降りて後ろから押してくんね? バイクみたいにはいかねえからさっ」

 「もちろん!」


 笑ってオレも答えると、直樹の自転車はギシギシと音を立てて動き出した。



 直樹の家は鶴川の中央部にあるマンモス団地の一室だ。お母さんと高校生のお兄さんの3人暮らしだけど、お母さんは昼も夜も働いていて、お兄さんも夜のアルバイトが忙しいらしい。

 だから鍵を開けて入った直樹の家は真っ暗で、夜9時過ぎだというのに、人の気配が全くなかった。

 パチリと玄関の電気をつけて直樹が言う。


 「いろんなものが置いてあるから、ぶつからないように気を付けろよ」

 「うん」


 言いながら狭い玄関で靴を脱ぐ。人一人が立っているだけで埋まってしまうくらい狭い玄関には小さい靴箱があって、靴がぎっしり詰め込まれている。それでも全部は入りきらないらしく、はみ出した靴が玄関いっぱいに置かれていた。オレは唯一スペースがある今立っている場所で靴を脱ぐと、他の靴を踏んづけないように大股でまたいだ。

 廊下も大人が一人通るのがぎりぎりってくらいに狭い。オレはこけないように、両手で左右の壁に手をついて体を支えながら廊下に足を下ろした。するとすぐ右側の襖が開いていて、二段ベッドがあるのが見えた。


 「こっちはオレと兄貴の部屋だけど、座る場所ないから、あっち」


と、廊下の先を指さす直樹に続いて、オレは奥の部屋に入った。



 奥の部屋はベランダに面していて、台所と和室が襖で仕切れるようになっている間取りだ。襖は全開で、和室の壁にはでかい衣装ダンスや積み重ねられた収納ケース、化粧台なんかが置かれていて、天井まで段ボールで埋め尽くされている。そして床には本や雑誌が何冊も何冊も積み重ねられていた。

うまく表現ができないんだけど、なんていうか、家がモノでできあがっているみたいな、そんな感じだ。この家全体が、一軒家のオレの家にはない、モノの圧力が感じられる場所だった。そしてそんなぎゅう詰めの部屋の真ん中には敷きっぱなしの布団がある。


 「それ、おふくろの布団だから、あんまり踏まないでやって」


と直樹が言って、布団の隣にある、台所と和室の中央をまたぐように置かれた小さなちゃぶ台の座布団を指した。


 「そこ座っときな。麦茶飲む?」


 オレが頷くと、直樹は部屋を仕切る壁に沿って置いてある冷蔵庫からでかいボトルを出した。そしてその隣にある食器棚からグラスを出し、コポコポといい音を立てて茶色い液体を注ぎ込んだ。


 「ほい」

 「サンキュ」


 そして直樹は反対側の壁に置かれたテレビの電源を入れて、ガチャガチャとチャンネルをいじった。


 「アブねえ、間に合った!」


 ゆっくりと光りはじめたブラウン管の中で、二人の若い女性が男性の司会者と話している様子が映った。


 「ピンクレディだ」


 オレは呟いた。

 司会の久米宏の隣には黒と白の水着みたいなコスチュームに身を包んだピンクレディが立っている。直樹がブラウン管に顔を近づけて叫んだ。


 「ぐはあっ! 今日は黒か! かわいいなあ!!」


 そして炊飯器から取り出したご飯を握りながら直樹がオレに聞いてきた。


 「なあなあ、お前はどっちが好き?」

 「ケイちゃんかな?」

 「えー、お前もかよ! なんでみんなミーちゃんの良さがわかんないかなあ!」


 直樹がぶつぶつ呟きながら手際よくおにぎりを握っていく。


 「うちの兄貴もさあ、髪の長い女がいいからミーちゃんはダメ! だってさ。お前もそういう感じ?」

 「あー、うん、そうかな」


 曖昧な返事をしながら、オレの頭の中には長い髪を後ろに一つ結びにした女の子の顔が浮かんでいた。


 「絶対ミーちゃんかわいいべ! 超好みの顔してんだけど!」


 ぶつくさ文句を言いながら、直樹がオレの方を向き直った。


 「うっし、お待たせ!」


 炊飯ジャーからよそったご飯で作った、ほかほかのおにぎりが3つ、花柄の皿に乗せられてちゃぶ台に置かれた。


 「ありがとう! いただきます!!」


 おにぎりは大きくて不格好な三角形だったけど、巻かれた海苔のいい匂いがする。オレは大きな口を開けてがぶりとかじりついた。塩味がきいて温かい。そしておにぎりに夢中になっているうちに、なぜかオレの目から涙がぽろぽろとこぼれ落ちてきた。

 直樹は黙ってテレビを見ていた。ただ寄り添ってくれるのがわかって、直樹の優しさが余計に身に染みる。オレはこれ以上泣くわけにいかないと思って、鼻をすすって麦茶をごくごくと飲み干した。



 夜11時近くなったとき、玄関のチャイムが鳴った。

 直樹のお母さんが帰ってきたのかもしれない。オレが焦って出ていこうとすると、直樹が手で制した。


 「あのさ、今から出かけるんだけど、哲治も行かね?」

 「どこに行くの?」

 「16メーター道路」


 なんで?と思っていたら、玄関のドアが開いて、巨大な体がのしのしと家の中に入ってきた。


 「あれえ? 哲治じゃねえか」

 「唐沢!?」


 がっちりした体つきの唐沢隆は、小5のときに同じクラスだった友達だ。野球部でキャッチャーをやっているから、スポーツ刈りで真っ黒に日焼けしている。


 「哲治が直樹の家にいるなんて驚いたなあ」


 言いながら、慣れた感じでちゃぶ台を囲む座布団に座った唐沢にオレも言った。


 「唐沢こそ、こんな時間にどうしたんだよ?」

 「ああ、家が近いからなあ」

 「ここは5階だろ? 唐沢ん家は同じ棟の3階にあるんだ」


 唐沢と直樹が代わる代わる説明する。


 「小さいころから家を行き来してるから、もう夏休みだし、親もなんも言わねえ」

 「へえ、いいなあ……」


 オレはうらやましくなって呟いた。


 「それで、今日は哲治も一緒に行くのかあ?」


と唐沢がオレに聞いてきた。


 「16メーター道路に行くって言われたばっかりなんだけど。何しに行くの?」


 唐沢がにやりと笑って教えてくれた。


 「その先の山まで行って、暴走族の走りを見るんだよ! かっこいいぞお!」



 そのあとオレたちは自転車で16メーター道路を越えて、鶴川街道沿いに山を登り、暴走族の走りを見物した。うなるエンジンを積んだ輝くマシンが何十台も走る様子を見るのは初めてで、オレは彼らのカッコよさにしびれまくったんだ!

 また行こうと、直樹と唐沢と約束したオレは、すっかり機嫌がよくなって、深夜自宅に帰ることにした。



 どうせ誰も起きてないだろうし、また庭でシュヴァルツと一緒にいよう。そう思って家の角を曲がったら、門の前でチリチリパーマの頭が動いた。


 ーげっ、お父さんだー


 家の前でお父さんが仁王立ちしている。オレはまた怒鳴られるのかと体を固くして棒立ちになった。だけど、お父さんはオレの姿を見ると、肩の力がふっと抜けて安心したような顔になり、玄関の扉を開けっぱなしにして、家の中に入ってしまった。


 ーあれ? いいのかな?ー


 オレは恐る恐る玄関に近づいたけど、お父さんは寝室に入ってしまってもういなかった。


・・・


 「次は町田~町田」


 電車のアナウンスが聞こえてオレは降車口に向かった。

 結局あのときは、朝になってからお母さんになだめられて、お父さんに謝って、夏休みから別の塾に行くことに同意したんだった。

 そのときに、お母さんがオレの肩に手を置いて話をしたから、とてもびっくりした。妹の由美はお父さんやお母さんに抱っこされたりベタベタしてるけど、オレは男の子だからと言われて、お母さんに触れられることすらほとんどなかったんだ。説得されている間中、オレは肩にお母さんの体温を感じて、何でも許せる気分になってしまった。そのせいで、電車に乗って塾に通う羽目になったんだけど。まあ仕方ないよな。

 改札を出た。新しい塾はどんなところなのだろう。慣れない街で迷わないように注意しながらオレは歩き出した。

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