遺産目当てで老人と結婚した詐欺師ですが、相手がエルフだったので、いつまで経っても遺産が入ってきません
◇1◇
どなたか聞いていただけませんか?
私にはとても大きな悩みがあります。
といっても、とても人に言えることではないので、ここだけの話でお願いします。
私の名前はエリーゼ・テレジア。
職業は詐欺師です。
最近は、老人相手に結婚詐欺師をしています。
昔は高ランク冒険者と嘘をついてパーティーに潜り込み、たいした働きもせずに報酬だけをいただいていくという詐欺を行っていました。
報酬の分け方を出発前に決めておき、契約を必ず履行させる契約魔法でサインしておけば、いくら私が役立たずだったとしても後からごねることはできませんからね。クエスト中の味方からの皮肉と刺すような視線、地獄のような空気にさえ耐えられればお金が簡単に手に入ります。
とはいえさすがにやり過ぎて、冒険者組合から出禁を食らったので、老人相手の結婚詐欺に鞍替えしたというわけです。
詐欺と言っても、特別な技術は必要ありません。
ターゲットは、裕福だけど、家族にも見放された孤独な老人。身の回りのお世話をして、話し相手になってあげて、たまに特別な言葉をささやいてあげる。それだけで、孤独な老人達は遺産の相続人を私にしてくれます。
そして老人の死後、遺産を根こそぎいただくって寸法です。だまされたとも知らず、彼らはみな、満足そうな顔をして天国へ旅立っていきます。
遺族達が遺言状を見て騒ぎますが、後の祭り。
遺言書は本人が作成したものですし、これも契約魔法でサインしてもらっています。契約書を盾にすればたいていの人は黙ります。それでも文句を言ってくる人たちには「死ぬまで顔も見せなかったくせに!面倒も見ずに、遺産だけをもらいにやってくるなんて、あなた達は悪魔です!魔物です!」なんて涙ながらに言うと、すごすごと引き下がってくれます。
それでもそれでも、「せめて何割かだけでよこせ」と面の皮の厚い人もいます。
そういう人には、仕方がないのでいくらかは譲ってあげます。前科がある身としては、裁判所や警備隊に介入されると非常に困るんですよ。
私の結婚歴は全部で7回。夫の平均年齢は74歳。
これを知られれば、さすがに私が詐欺師であることがバレてしまいます。国家権力の介入は避けねばなりません。
詐欺師は国家権力と日の当たるところが大嫌いなのです。吸血鬼に通じるものがあります。
……前置きが長くなってしまいましたね。
悩みというのは、まさにそれなのです。
私の夫の平均年齢は、8人目の夫を迎えたことで、218歳まで跳ね上がってしまいました。
年の差、1500歳以上。
なんと、8人目の夫はエルフだったのです。
これでは、確実に私の方が先に死んでしまいます。
遺産を奪うことができません。
誰か助けてください。
◇2◇
「おはよう、アリューシャ」
起床し、リビングに行くとすでにご老人は起きていて、私に挨拶をしてきました。
老人は朝が早いという格言は、エルフにも当てはまるようです。
私は、普段から鏡を前に練習している最高のスマイルを作り、「おはよう、今日も良い日になりますように」と彼に伝えます。老人は無表情のまま、小さく頷きました。
ちなみに、アリューシャというのは偽名です。私には4つの名前があります。エリーゼ、アリューシャ、ソリュシャン、マハトニー。前は30以上の名前を使い分けていたのですが、私自身が偽名を忘れて、話しかけられても無視することが頻発し「あいつは冷たい奴だ」という噂が立ったことがあってから、26の名前は捨てたのです。
そういうわけで、今の私の名前はアリューシャです。
もちろん、皆さんに名乗ったエリーゼ・テレジアも偽名ですので、名前から私の個人情報を特定することはできませんのでお気になさらず。身バレを心配してくださった方、ありがとうございます。
「今日はどちらに?」私がそう尋ねると「仕事だ」と簡潔な答えが老人から返ってきます。結婚してから1カ月ほどになりますが、相変わらず寡黙な人です。
私の夫であるこの老人はクランツといいます。年齢は1500歳を超えています。ハーフエルフだそうで、本来のエルフほど寿命は長くないそうです。今は人間でいうと80歳ぐらいだそうです。見た目も、そのぐらいの年齢に見えます。
私と彼が住んでいる家は、『ザブの森』と呼ばれる大きな森の奥深くにあります。この家の周辺に人は住んでおらず、週に1度、町まで出かけて生活に必要なものを買ってきます。
家のデザインは、貴族の屋敷のようなデザインの建築物。
1人暮らしなのになんでこんな大きな家を建てたのか。クランツは「仕事の対価として建ててもらった」と言っていました。これだけの豪邸を建てるのですから、よほど何か大きな仕事をしたのでしょう。
そんな場所で、私と出会う前の彼は孤独にひっそりと暮らしていました。
一人暮らしの裕福な老人。彼は見事に、私の次の詐欺のターゲットに選ばれたのです。ただ、ここでの私の失敗は、ろくな調査もしなかったせいで、彼がハーフエルフであることを見落としていたこと。
ハーフエルフの彼は耳が長くないので、普通の人間との区別はつきません……というのはただの言い訳で、きっと過去7回の成功で、私が慢心していたのでしょう。いつも通り調査したはずなのですが、やや雑になっていたのではと思います。
彼によれば、あと300年は生きるそうなので、寿命ではどうがんばっても私の方が先に死ぬことになります。これでは、遺産を相続するという私の狙いは達成不可能です。
「お出かけするのなら、お弁当のパンとお水を用意しますね。少し待っていてください」
私が支度を始めると、彼は暖炉に魔法で火を付けて、手を温め始めました。春が近づいてきたとはいえ、北部にあるザブの森の朝は息が凍るほどに寒く、暖炉無しでは簡単に凍死してしまいます。
クランツは、防寒着を着て長靴を履いていました。その格好だけ見ると、まるで猟師ですが、手に魔法の杖を持っているので、猟師と見間違われることはないでしょう。エルフらしく整った顔立ちをしていて、若い頃は相当におモテになったのではないでしょうか。
「どうぞ」
待っている間の寒さを紛らわすために、私はクランツに、温めたヤギのミルクを差し出しました。
もちろん、毒なんて入っていません。本当ですよ?
彼がミルクを飲んでいる間に、私はパンに火であぶったナイフで切れ目を入れ、そこに八木のチーズとお肉、コルトの葉を詰めて数分火で炙ります。
それを包み、水筒と共に差し出すと、クランツは「ありがとう」と小さく言って立ち上がりました。家の出口まで、私も見送りに行きます。
入り口の扉に手を掛け、「行ってくる」と一言。私は、「行ってらっしゃい」と彼に手を振った後、「お夕飯は何にしますか?」と彼に尋ねました。
彼は少し考えてから「君の作ったものは美味しいから、なんでも良い」と答え、家を出て行きました。
ふふふ、無口な彼の胃袋をつかむことには、成功しているようです。
料理、家事、育児、家計管理。詐欺師には必須のスキルですからね。
「さてと……」
一人になった私は、彼のいない間に家の掃除を開始するのでした。
とても広い家なのでメイドの一人も雇ってもバチは当たらないと思いますが、私は、少しでも自分の受け取れる遺産を残しておきたいのです。(現状、受け取れない問題が浮上していますが、それはいったんさておき)
何よりも、彼と交わした夫婦契約では、家の家事と料理は私の仕事と取り決めています。魔法でサインしたので、違反することもできません。
私と彼が交わした夫婦契約は、大まかに言うと次の通り。
==============================
甲と乙は、以下の契約内容を遵守し、円満な夫婦関係を保つこととする。
1.甲は、乙が不自由なく暮らせるだけの収入を稼ぎ、家に入れること
2.乙は、家事や料理といった、家事全般をこなすこと
3.甲と乙は、互いの過去を詮索しないこと
4.甲と乙が死別したとき、その遺産の相続は残された方とする
==============================
他にも細かい条項がいくつかあるんですが、だいたいこんな感じになります。
過去を詮索しないというのは、クランツが言い出したことですが、私にとっても好都合だったので同意しました。
ひょっとしたらクランツにも、私に知られたくない過去があるのかもしれません。とはいえ、詐欺師である私以上に後ろめたいことなど、そうそうあるはずないでしょう。
過去のことはいったんさておき、見据えるべきは未来。クランツの遺産をどうにかして手に入れるか、それとも諦めるか。
「……お夕食は少し手を掛けて仕込むとしましょうか。そのためにも、お掃除とお洗濯は早く終わらせないと」
いずれにしても、まずは今日1日を精一杯生きなければなりませんね。
毎日を楽しく、健やかに。
詐欺師だろうと、その程度の権利は自分でつかみ取ることができるのですから。
◇3◇
その日の夕方、クランツが仕事から戻ると、食卓はすでに心地よい香りで満たされていました。私は彼のために、特別な料理を準備していたのです。
「おかえりなさい、クランツ。今日は少し特別な夕食を用意しましたよ」
クランツは、いつも通りの無表情です。けれど、その目は明らかに料理への期待で輝いていました。
私が用意したのは、『森の幸満載のシチュー』。ザブの森で採れる新鮮な野菜と、私がこっそりと仕掛けた罠で捕まえた小さな獣の肉を使ったものです。クランツが好むように、マイルドな味付けに仕上げました。
食卓につくと、クランツはしばらく料理を眺めていました。そして、ゆっくりと食べ始めると、その表情が明らかに和らいでいくのが見て取れました。
「美味しい…」
ぽつりと呟く言葉を聞けば、私も苦労した甲斐があったというものです。
達成感に満たされつつ、食後のティータイムをクランツと2人で過ごします。珍しく機嫌の良さそうなクランツに、私は、今日はいったいどんなことをしていたのかを尋ねてみることにしました。
「町で迷子になっていた子どもを保護した。ご家族の方にすごく感謝されてね」
「それは良かったですね。それが、今日のお仕事ですか?」
「ああ」
クランツは仕事についての詳細は教えてくれませんが、『便利屋』とだけは聞いています。魔法を使って、困った人のところに出向いては解決しているのだとか。破損した家屋やアイテムの修理、失せ物探し、害虫駆除など。
私が、彼について知っている数少ない情報の一つです。
「今度、お礼にパーティーに招待するそうだ。君に行ってきて欲しい」
「もちろんです……が、あなたは?」
「私は行かない」
「えっと、あなたがいらした方が、先方も喜ぶと思いますけど」
「その資格が私にはない」
そう言ったきり、この話題に関してクランツは以降は取り合ってくれません。とりつく島もないとはこのことです。
人に感謝されることは好きなくせに、お礼や歓迎の話はきっぱりと断る。
クランツは、いつもそうなのです。それは納得ができません。
悪人である私が批難を浴びるように、善人である彼は賞賛を浴びるべきなのです。
そうでなければ、釣り合いがとれません。
「そうだ! 少し待っててくださいね」
ふとした思いつきに身を任せ、私は席を立ちます。
30分ほどして戻ってみると、クランツは律儀に座って私を待っていてくれました。
「クランツ、立ってください」
私の指示に従い、クランツは立ち上がります。
私は、この30分で用意した1枚の紙を、クランツの前に掲げて読み上げます。
「感謝状。クランツ・アイゼナック殿。
あなたは町で迷子の子どもを助け、皆から感謝されました。
私も妻として、鼻が高いです」
私の字で書かれた紙を、クランツが受け取ります。
そしてやや首をかしげて「これはいったい何だね?」と私に尋ねました。
「ですから、感謝状です。おもてなしがいやでも、せめてこのぐらいはさせてください」
それから私は、先ほど摘んできた花で作った花輪を、フランツの首に掲げて拍手しました。
「…………」
少しの間、沈黙がありました。
クランツはうつむいたまま一言も発しません。
「ひょっとして余計なことをしてしまったかな?」と不安でしたが、やがてクランツは顔を上げて――
「ありがとう。やはり、君を妻に選んでよかった」
と、そんなことを恥ずかしげもなく言いました。
クランツは嬉しそうですが、私の方は素直には喜べません。
だってそうでしょう。
クランツが「妻にしてよかった」と言ってくれたところで。
私は「結婚する相手を間違えた」と後悔しているのですから。
◇4◇
クランツと結婚して2カ月ほどが経ちました。
クランツとの新婚生活はそれなりに楽しいものでしたが、私の本職は詐欺師。
安穏と暮らしていましたが、さすがにそろそろ動かなければなりません。人の寿命は、彼ほど長くはないのですから。
選択肢は2つ。
黙ってクランツの元を離れるか、どうにかしてクランツの資産をいただくかです。
婚前にクランツの資産についての調査で、クランツはかなりの大金持ちであることがわかっています。具体的には、10人ほどの市民が生涯暮らすだけの資産を持っているようです。
これから10回結婚詐欺を行うより、クランツ1人の遺産をいただいた方が、効率が良いということになります。
それだけあったら私の目標が達成できる。
「…………」
とはいえ、ハーフエルフのクランツが私より先に亡くなる可能性はありません。死別して遺産をいただくいつもの方法は通用しないのです。
クランツを事故に見せかけて殺す、なんてことは却下です。
それは美しくありません。
私は美しい犯罪を犯したいのです。怪盗が予告状を出し、警戒態勢の中で誰にも気づかれずにお宝を盗んでいくように。
私の相手は相手だまされたと悟ることなく、「良き妻だった」と理想を抱いたまま、死んで欲しい。
……となれば、選択肢は1つしか残されていません。
「……逃げるとしますか」
どんな豪華なお宝でも、それが警察署の中の厳重な監視下にあったとしたら、怪盗とて諦めるでしょう。
私にとってクランツの遺産とは、盗めない宝石に等しいものなのです。
思い立ったが吉日。
早速今日、実行することにしましょう。エルフと違い、人間の時間は短いですからね。
しばらくは遠くの国に移住するとしますか。
……その前に。
クランツが以前に「美味しい」と褒めてくれた『森の幸満載のシチュー』は、作り置きしていってあげましょう。
私なりの感謝の印と、謝罪として。
私は決して、彼が嫌いになったから彼の元を去るのではないのですから。
◇5◇
……誤算でした。
『ザブの森』が、まさかこんなに危険な場所だったなんて。
「町に買い物に行くとき、夜にならないように戻ってくるんだ。もし夜になってしまったら、宿にでも泊まりなさい。いいかい、決して夜の森に近づいてはいけないよ」
クランツが以前にそんなことを言っていたのを思い出しました。
これまではその言いつけを守っていたのですが、今日のシチューにいつもより手を掛けたせいで出発したのは夕方過ぎになってしまいました。夜の方が逃げるのには都合が良いという打算も働きました。
森の道を歩いていると、あきらかに昼間とは違う、イヤな気配を感じます。
不気味な音が、どこからともなく聞こえてきました。木々の間を吹き抜ける風の音ではなく、何かがうごめく音。そして、足を止めると、それはより一層、はっきりと聞こえてきます。
心臓の鼓動が速くなり、息も荒くなる中、私は恐怖を振り払うように再び歩き始めました。しかし、気配が離れることはありません。それどころかますます強くなり、今にも何かが襲いかかってきそうな予感がします。
「ひゃっ……!」
突然、目の前に巨大な影が現れました。恐る恐るその姿を見上げると、巨大な狼のような生物でした。その瞳は暗闇の中で赤く輝き、私をじっと見つめています。
『逃げられると思った?』
声はなかったけれど、その意思は明確に私の心に届きました。私はその場に凍りつき、動くことすらできませんでした。
歯を食いしばって、なんとか後退すると、足に激痛が走りました。
小さな狼が、私の足に噛みついていたのです。姿形から察するに、目の前の巨大な狼の子ども達なのかもしれません。
「うっ、ああ……」
痛みで悲鳴をあげかけるものの、恐怖に喉が潰されてかすれた声がでるのみでした。
(クランツ、助けて……!)
心の中で、思わず叫んでしまいました。しかし、クランツが私を助けに来るわけがありません。
狼が姿勢を低くして、私に飛びかかろうとしたその直後、強い光が森を照らし、狼の姿は消えました。
目を細めながら、その光の方向を見ると、そこにはクランツの姿がありました。彼は杖を手に、私の方へと近づいてきます。
「無事だったか、アリューシャ」
クランツの声は静かで、しかし、どこか安堵しているようにも聞こえました。
「どうして……?」
「君が危険にさらされていることは、森の精霊が教えてくれた」
クランツの肩に乗った小さな光。よく目をこらせば、それは小さな人の形をした生き物のようでした。小さな生物は私に、手を振っているようです。
「怪我を見せて」
クランツがそう言って、私の足に触れた途端、激痛が走りました。
恐怖で麻痺していた痛みが戻ってきたのです。クランツが傷口を洗い、布できつく止血します。
痛みは口もきけないほど大きくなり、私はクランツに抱えられたまま家へと戻りました。ベッドに寝かされる頃には全身に悪寒が巡り、熱も出てきたようです。
クランツはベッドの横で、私の汗を拭いたり、飲み物を口に含ませてくれたりしていました。
「応急手当をしたが、ひどい傷だ」
そう言って、クランツは立ち上がり、部屋から出て行こうとします。
「どこに行くの……?」
朦朧とした意識の中で、私は彼を引き留める言葉を口にしていました。
「君の傷は一刻を争う。町に行って医者を呼んでこないと」
「あなたも、そう言って私を見捨てるの?」
「見捨てる? いったい何のことを……」
私の目には、大粒の涙が溜まっていました。
恐怖から解放された安心感と痛み、それに意識が朦朧とするほどの発熱。
これらの要素のせいで、感情の制御がきかなくなっている……というのは、後々振り返って思ったこと。
このときの私は、ただ1人になるのがイヤで、必死に彼を呼び留めていました。
「捨てないで! お願い。良い子にするから……!」
「アリューシャ……」
泣きじゃくり、支離滅裂な言葉を発する私を、クランツはいつもの無表情とは違う、穏やかな表情で見ました。私の手を握り、子どもに言い聞かせるように優しい言葉を発します。
「わかった。どこにもいかない。だから泣き止んで欲しい」
「行かないで……お願い……」
……そこから先は、覚えていません。
後でクランツに聞いた話によれば、1時間ほどして私が眠りについたあと、夜の森を抜けて医者を呼びに行ってくれたそうです。
私の容態は安定し、翌朝には熱も下がっていましたが、私が目を覚ましたのは6日後の夕方ぐらい。
6日も経っていたと聞いて、私は驚きました。だって、クランツは私が眠りにつく前と同じように、椅子にもたれかけて、私の手を握り、目を覚ましたあとも何事もなく「おはよう」と、私に声を掛けてくれたのですから。
「痛っ……」
立ち上がろうとして、足に激痛が走ります。傷は手当てをされていましたが、治りきってはいません。クランツは「そのままで」と私を制止し、体を支えてくれました。
「君は本当に生死の境をさまよっていたんだ。しばらくはじっとしていて欲しい」
クランツの話では、私を噛んだ狼の魔物は悪霊に近く、噛まれたことで私に呪いが伝染したそうなのです。医者を呼んで応急手当をした後は、次に神官を呼び、私の呪いをといてくれたのだとか。
私は6日間、本当に危ない状態だったといいます。
いつも通っている森に、あんな化け物が住み着いていたなんて。
「アレは『灰精狼』という。昼には出てこられない制約があるんだ。夜に森に入らないように言いつけていたのは、アレがいたからなんだ。すまない、もっと強く止めておくべきだった」
そう言ってクランツは私に頭を下げますが、そもそも悪いのは私です。言いつけを破ったのもそうですし、だいたい、この屋敷には戻ってこないつもりで、出ていったのですから。
「私こそ、言いつけを破ってしまってすみませんでした」
クランツ以上に、私は深々と頭を下げて彼に謝罪します。
私は、彼の目をじっと見つめます。クランツの目には深いクマがあり、心なしか痩せ細ったように私の目には映りました。
後に、私を診てくれた医者や神官に挨拶に伺ったとき、クランツが本当に6日もの間、一睡もせずに看病していたのだと教えてくれました。それほどの大きな恩を、私は彼に受けたのです。
「ありがとうございました、クランツ。本当に、あなたには感謝してもしきれません」
「そう思うなら、アリューシャ。私の頼みを一つ聞いてもらえないだろうか」
もちろん、断ることなんて私にはできません。
私が頷くと、クランツは深く息をついて、そして覚悟した目で私を見つめ口を開きました。
「――私の財産は、すべて君に譲るから、どうか私と離婚して欲しい」
ああ、念願の展開。
だというのに。
……私は、唇がわなわなと震えて、うまく返事ができなかったのです。
◇6◇
離婚。
彼からの提案は、まさに私が望んでいたはずの結果でした。しかも、私に全ての財産を譲ると言うのですから、詐欺師としての私にとってこれ以上ない幸運のはずでした。
けれども、クランツの目を見た瞬間、私の心は複雑な感情で溢れ返りました。彼の目には悲しみもあれば、どこか解放されたような安堵の色も見えました。
「なぜ? 私がこんなにも迷惑をかけたのに、どうしてそんな……」
言葉が詰まります。私は、彼がなぜそんな提案をするのか、理解できませんでした。
「詮索はなしだ。そういう契約だっただろう?」
「詮索ではありません。離婚の理由を尋ねるという、妻としての正当な権利を主張しています」
クランツは溜息をつきました。「どうあっても譲らない」という私の意思を悟ったのでしょう。
観念したように、クランツはぽつりぽつりと、理由を話してくれました。
「もうじき、私が死ぬからだ。おそらく、今度の仕事は生きて帰ってこれない」
口下手なクランツの話をまとめると、次のようなことでした。
クランツの仕事は『便利屋』などではありませんでした。
100年ほど前まで、クランツは王国直属の魔導大隊を率いる魔道兵長という立場にいたと言います。
隣国との戦争で、何度も敵の魔道士を倒してきた、祖国の英雄。
『銀閃のクランツ』といえば、お伽噺に出てくるようなこの国の大英雄です。
同じ名前だと思っていましたが、まさか、本人とは……
「年齢を理由に第一線は退いたが、今でもたまに便利屋の仕事とは別に、国からの命令で、魔物退治や、荒事の仕事を引き受けていたんだ。面倒だったが、1000年近く仕えてきた国には逆らえない。莫大な報酬をもらえるから、使わないお金ばかりが貯まっていった」
迷子捜しなど小さな仕事しか受けていないのに、クランツがお金を持っていたのはこういう理由だったのですね。
「そして半年前に、国の魔導隊から第一線に戻るように要請があった。相手には魔族がいて、こちらが一方的にやられているらしい。戦線が崩壊する前に、最前線に出て戦って欲しいという内容だ。期間は、戦争が終わるまで」
「それは……」
戦争についてはあまり詳しくない私ですが、国の状況ぐらいは理解しています。
隣国との戦争は、かれこれ200年ぐらい続いています。最近は魔族の介入により、戦いが激化したと、どこかで報じられていたのを思い出しました。
「戦争が終わるのは早くて数十年――もしかしたら永久に終わらないかもしれない。その間、この屋敷や私の財産の管理ができる人が欲しかった。君を妻に迎えたのは、そういう打算があったからだ」
「打算で、私と結婚したと?」
「君だってそうだろう。アリューシャ……いや、エリーゼ・テレジア」
心臓が止まるかと思いました。胸部に思い切り、杭を打ち付けられたような衝撃が、やがて全身に広がっていきます。
「知っていたんですね」
私は、何かを諦めたようにクランツを見ます。
彼の表情からは、落胆も怒りも、読み取ることはできませんでした。
◇7◇
彼の話を聞き、自分のことを話さないというのはアンフェアです。
詐欺師ではなく妻として、少しだけ私の過去を語ろうと思います。
私は、貴族の家に生まれました。決して裕福ではありませんでしたが、日々の食べ物にありつけないほどの貧乏でもない家です。
両親は、私とは似ても似つかないほど、心の綺麗な人でした。他人を疑うことを知らず、食べ物がない人を見れば施しを与え、悩んでいる人を見れば話を聞き、医者にかかるお金のない人には、医者に診せて、診察台は自分たちが払っていました。
そんなことをしても暮らしが苦しくならなかったのは、家にそれなりの蓄えがあったのでしょう……きっと、あの詐欺師も同じ事を考えたのでしょうね。
騙されたと知ったのは、ずっと後のことでした。両親は「人を疑うものではない」とかたくなに騙された事実を否定し続け、ようやく騙されたと悟る頃には、家も財産もすっかりなくなり、詐欺師はどこかに行方をくらませていました。
両親は、今まで助けてきた人たちに援助を求めましたが、救いの手を差し伸べてくれる人はいませんでした。それどころか、あれほど助けてもらった両親から離れ、誹り、貧乏人だと罵ったのです。
父は酒に逃げて暴力を振るうようになり、母は、夜の仕事をして体を壊し、数年のうちに亡くなりました。それからすぐに、父も肝臓をやられて後を追いました。
私は浮浪者として一人で生きていくことになりました。そこで見たのは、だまし、騙されの世界。生きていくために1つのパン、たった1枚の銅貨を巡って人々は命がけで争い、場合によっては暴力も辞さない。
長生きするのは、力が強い者か弁が立つ者で、正直な者からどんどん死んでいきました。
そんな世界で生きるうちに、私は悟ったのです。「騙す側に回った方が、生きやすい」のだと。
気がつけば、私は人を騙して生きる術を覚えていました。
そうしなければ、私は成人する前に、もうこの世にはいなかったことでしょう。
◇8◇
そこまで話して、一息つくと、珍しいことにクランツがミルクを入れてくれました。
温かいヤギのミルクを飲むと、体の中がぽかぽかしてきます。
「…… 意外でした、クランツ。私が詐欺師と知っていて、どうして結婚したのですか?」
「順に話そう。結婚前、私が結婚することを一応、魔導大隊に所属する仕事仲間には伝えておいたんだ。そのうちの一人が勝手に調査してくれてね。君の経歴はそこで知った。老人と結婚して遺産を奪い取る詐欺師。だが同時に興味も湧いた」
「興味?」
「調査の過程でわかったのは、君は決して老人達に害をなさず、無理矢理遺産を奪ったのではない。むしろ老人達は君に対して自分の意思で遺産を譲ったということだ。生前、君の悪口を言った者もおらず、誰しもが感謝をしていたという話だった。人を幸せにする詐欺師。いったいどんな人物なのか、ぜひ知りたくなってね。そして、問題がなさそうな人物なら、屋敷と財産を託そうと考えたのだ。
それに君の詐欺の方法なら、私から遺産を奪えない。ハーフエルフということを隠して結婚すれば、私の死を待つなんてことはできないのだから」
そう言って、クランツは自分の耳に手をやると、長い耳が、ひょっこりと生えてきます。
ああ、魔法で耳を隠していたんですね。
「騙されたのは、実は私というわけですか」
「騙す者とは、自分が騙されることには鈍感なものだよ」
返す言葉もないとは、まさにこのことです。
私は恥ずかしくなり、頭をかくぐらいしかできませんでした。
「それはそれは。で、どうですか? 実物を見た感想は」
「想像通りの女性だったよ。君は気品があり、優しく、常に私を気遣ってくれていた。家事も料理も完璧にこなし、まさに、理想の妻だ」
「それは違いますよ、クランツ。“愛”という、もっとも重要な要素が抜けているんですから」
「愛は重要ではないよアリューシャ。例えば、おなかを空かせた子に腐りかけのパンをあげたとしよう。処分に困っていたパンを、たまたま目についただけだった子に、ゴミを押しつけただけの打算的な行動だったとして、その子はパンをくれた人に、とても感謝するはずだ」
「腐りかけのパンを押しつけられただけと知ったら、怒るとおもいますが」
「そうだね。だが、君がくれたのは腐りかけのパンなんかではなく、本当に……幸せな思い出だった」
クランツが遠くを見つめて、話を続けます。
「……本当に、本当に君とのこの数カ月は、私にとってかけがえのない時間だった。
1000年以上の時間を、訓練と戦いに明け暮れた私にとっては。
引退して1人になったあと、満足に寝れたことはなかったよ。殺した兵士、守れなかった味方……彼らが私を見て言うんだ。『どうしてお前が生きている。死ぬべきはお前だった』と。君が来てから、そんな夢を見た回数は格段に減った」
クランツの視線が降りてきて、その瞳の中に私の姿が映し出されます。
「……改めて、お礼を言わせて欲しい。アリューシャ。
君のおかげで、私はとても短い間だったけど、人生で初めて、幸福な時間を過ごすことができた。私の家や財産は、その対価と思って受け取ってはもらえないだろうか」
クランツの言葉には、悲哀と共に、深い感謝が込められていました。彼の真摯なまなざしに、私の心は大きく揺れ動きます。彼が示した信頼と感謝、そして私への思いやり。
私の心は、決まりました。
「条件が1つあります、クランツ。
あなたの財産の一部を、私が育った貧民街の支援に、充てさせてもらいたいのです」
それは、私の人生の目標の一つだった。
支援によって、私のような子どもを生み出さないこと。
それが叶い、あとは生活に困らず、ちょっと贅沢な日常を送れるぐらいなら、それ以上のお金は、私には必要ない。
「構わないよ。君のものになるお金だからね」
「そうですか。それなら――」
……勇気が必要でした。
殺されるかもしれない相手に嘘をつくときより、100倍の勇気が。
正直な気持ちを言うだけなのに、こんなに覚悟が必要だなんて、思いもしなかったことです。
「お断りします。遺産と家はもらいますが、あなたとの離婚には応じません」
あの無表情なクランツが、今まで見たこともないぐらいに目を丸くして驚いていて、思わず吹き出しそうになってしまいます。
「……すまない、アリューシャ。いま、なんと?」
「お断りしますと言ったんです。でも、家と財産は私にください」
私がそう言うと、先に吹き出したのはクランツの方でした。
「恐れ入ったよ。こんなにわがままな女性だったとは、一緒に住んでいて気づかなかった」
「わがままでなければ詐欺師は務まりませんよ」
「そうかもしれないね。理由を聞いてもいいかな?」
「詮索は禁止。これは、婚前に契約しましたよね?」
「離婚に応じない理由を聞くのは、夫としての正当な権利だろう」
ついさっきのやりとりを彷彿とさせる、クランツの返答。
クランツもずいぶん口が達者になったのは、一緒に住んでいる人の影響でしょうか。
「離婚したくありません」
本心の言葉を、そのまま彼に伝えます。
詐欺師としては、失格もいいところですね。
「気持ちは嬉しい。だが、残りの人生を未亡人として過ごすことになる。君にそんなことはさせてくないんだ」
「では、未亡人にさせないでください。私のために、帰ってきて。私が生きている間に、戦争を終わらせて。
――あなたならできるのでしょう? 銀閃のクランツ」
「……――」
ぽたぽたと、彼の頬に大粒の涙が伝いました。
その後、彼は驚いたように顔を手で覆います。自分が泣いていることに気づいたのでしょう。
ええ、泣かせてやりました。
してやったり、ですよ。
口を手で覆い、嗚咽を漏らすクランツの体に、腕を回しました。
「待っています……ずっと。私が死ぬ前に帰ってきて」
「約束する……君が生きている間に、私は必ずここに帰って来ると」
私の頬にも、温かい液体が伝っていました。
それ以上は話しません。だって、口を開けばきっと嗚咽がでて、きっと言葉にはならないのですから。
「愛しているわ、クランツ」
「私も愛してる。アリューシャ」
お互いの体温を確かめるような優しい抱擁。
ああ――
私はこのとき、生まれてきて良かったと初めて、心の底から思うことができたのです。
……今更ですが。
条件は一つと言っておきながら、「生きて帰ってきて欲しい」という、最後の最後で一つ増やしてしまいましたね。
まあ……これは。
詐欺師として、私の最後の嘘ということにしておいてください。
◇9◇
彼が出て行ってから、50年ほどが経ちました。
私はすっかり、しわくちゃのおばあちゃんです。
私に必要なお金を残して、彼の資産はほとんど、子ども達や困っている人のために使ってしまいました。
だからというわけではないのですが、最近は、屋敷によく人が訪れるようになりました。
私の生活を手助けしてくれる人や、私が助けてあげた子ども達。
たまに、私の財産をむしり取ろうとする詐欺師もやってきますが、私が詐欺に引っかかるわけがないじゃないですか。
今日もまた、夕暮れが近づく頃、遠くから人の声が聞こえてきました。ほんのりとした温かさが空気を包み込む春の夕方、私はいつものように、屋敷のポーチでその声に耳を傾けています。
「エリーゼおばあちゃん!」
今日も、私が建てた学校に通う子ども達が遊びにきました。彼らは私を「エリーゼおばあちゃん」と呼び、時折訪れては、日々の出来事や学校での話をしてくれます。
私は、子ども達の話に相づちを打ち、悩みがあればアドバイスをしてあげています。
ふと、子ども達が首をかしげて、
「おばあちゃん、クランツおじいちゃんはいつ帰ってくるの?」
子供たちの純粋な質問に、私は優しく微笑みました。
「おじいちゃんはね、大切な仕事をしているの。でもね、いつかきっと戻ってくるわ。だから、私たちはその日まで、おじいちゃんの帰りを待っているのよ」
子供たちは、わかったとばかりに頷き、再び遊び始めました。
戦争は終わり、子ども達も平和に過ごせるようになった時代。
だというのに、クランツはいつまでも戻ってくることはありませんでした。
私も若くありません。きっと、あと10年もしないうちにこの世を去るでしょう。
「ああ、待ち遠しいわね」
けれど、私に不安はありませんでした。クランツは「帰って来る」と言ったのです。その言葉を、私は無条件に信じているのです。過去も今も、これからも――
「ねえ」
子どもの一人が、私の肩を叩きました。
ちょっと焦ったような、不思議そうな目で、子どもが私に尋ねます。
「あのおじいちゃん、誰? エリーゼおばあちゃんの知り合い?」
その言葉に、私は顔をあげて、立ち上がります。
いつも通りに。
50年前、仕事から帰ってきた彼を出迎えるように。
優しい声色で、ねぎらいを。
その老人が、ゆっくりと私の方に歩み寄ります。
私は姿勢を正して彼を待ちます。
やがて、彼の瞳の中に私が映るのが確認できるほどの距離になります。
瞳の中の私は、かつての自分では想像もできないほど、穏やかな笑みを浮かべていました。
「ただいま――」
やがて彼が言いました。何事もない、いつもの仕事帰りのように。
私は、静かに口を開き――
「おかえりなさい、クランツ。ご飯の準備をしますから、待っていてください」
そう言って彼を、家の中へと招き入れたのでした。
つたない物語ですが、最後までお読みいただきありがとうございました。下の☆☆☆☆☆で評価いただけると幸いです。