1.宮廷舞踏会
宮廷舞踏会当日。
午後七時半を回った頃、ルイスはウィリアムとウィンチェスター侯爵夫妻と共に王宮を訪れた。
二千人を裕に収めであろう絢爛豪華な大広間には、すでに大勢の貴族が集っていた。
天井には巨大なシャンデリアがいくつも並び、大理石の床は鏡のように滑らかだ。美しい彫刻画が施された壁や柱は、それだけでも見ものである。さすが王宮といったところだろう。
広間を進んでいくと、入口で家名を読み上げられたこともあり、あっという間に大勢の貴族たちに囲まれた。――もちろん彼らの目当ては侯爵だ。
ウィンチェスター侯爵家は三大公爵家に次ぐ歴史ある家門である。
当主は代々議会の議長を務め、一族に他国の血を積極的に取り入れることで外交力を強めてきた。領地にいくつもの大きな港を持っていることもあり、政治、経済への影響力は計り知れない。
「ウィリアム様、僕はアメリア様を探して参ります」
ルイスはウィリアムに耳打ちし、夫妻の邪魔にならぬよう、そっとその場を離れた。
*
ルイスはひとり、アメリアを探し広間の奥へ進んでいった。
すると数名の貴族らと会話する両親の間で、どこか浮かない顔をしているアメリアが目に入る。
おそらく相手の心の内に秘めた悪意を感じ取ってしまっているのだろう。
ルイスがその輪に近づくと、交わされていたのはやはり典型的な貴族の会話だった。
「まぁ、デビュタント?」
「どうりで。このように美しいお嬢様の顔を忘れるわけがありませんからな。どうですかな、よければ最初のダンスを我が息子と」
「あら、ご存じないの? レディはウィンチェスター候のご子息とご婚約されているのよ。先日のデピュタント、エスコートされていましたでしょう? 主人と羨ましいと話しておりましたのよ」
「ほう。ではサウスウェル家は安泰ですな」
「婚約式はされまして? ぜひお招きいただきたいわ」
「我が家にも年の近い娘がおりますのよ。あとで紹介させていただきますわね」
(……なるほど)
ルイスからすればこんなもの悪意のうちにも入らない。なんともありふれた日常会話である。
アメリアとてそれくらい理解しているだろう。けれどいくらわかっていても、気持ち悪く感じてしまうものはどうしようもない。
ルイスは無礼と知りつつも、会話に割って入る。
「失礼、サウスウェル伯爵。じきに最初のダンスが始まります。レディをウィリアム様のもとへお連れしても?」
するとルイスを見て、アメリアは安堵の色を浮かべた。
サウスウェル伯爵もそれに気付いたのだろう。「よろしく頼むよ」と穏やかに笑み、アメリアを任せてくれた。
*
ルイスはアメリアに右腕を貸し、アメリアが歩きやすいようにスペースの空いている場所を選んで進んでいく。
その間、アメリアはずっと暗い顔をしていた。
(困ったな。出だしからこの調子では今夜一晩持たないだろう)
ルイスはどうすべきか悩みつつ、アメリアに声をかける。「ご気分がすぐれませんか?」と。
けれどアメリアは首を横に振った。そしてルイスを見上げ、微笑んだ。
「いいえ、大丈夫。少し自分を情けなく思っただけよ。次はもっとうまくやらなきゃって」
「…………」
「本当に大丈夫よ。だからそんな顔しないで?」
弱音を吐くどころか気丈に振舞うアメリアの姿に、ルイスの心がチクリと痛む。
白魔法の素質を持つ彼女の苦しみは、自分には到底理解できるものではない。――それがとても歯がゆかった。
(できるならば代わってあげたい。だが、それだけは僕にも不可能だ)
この世のすべての魂は輪廻転生を繰り返している。そして、魔法は魂の資質である――ルイスがその事実に気付いたのは、転生を五回ほど繰り返したころだった。
すべての魂は肉体が母体にある間に宿り、生まれ、死に、ある程度の期間を経て、また別の肉体に宿り、生まれ変わる。一度死ねば記憶は消えるが、いくつかの例外を除いて、魂が消滅することはない。
加えて、魔法は魂の資質であるため、生まれ変わるうちに力が強くなることはあれど、使える魔法の性質が変わることはない。
ルイスは千年前から氷魔法の使い手であるし、アメリアは千年前も白魔法の使い手だったのだ。
そして、使える魔法が魂の資質で決まる――それは白魔法において言えば、「魂が穢れていないこと」が条件だった。
穢れを知らず、透明に澄んだ魂でなければ白魔法は使えない。
そのため白魔法使いの数は歴史が進むとともに減少の一途をたどっている。
かつては他の属性の魔法使いと同数程度いたにも関わらず今では国に数名しかいないのは、転生を重ねるたびに人々の魂が汚れてしまったからだ。
つまり、白魔法が使えるアメリアの魂は清く澄んでいる。人を疑わず、妬まず、誰にでも分け隔てなく愛を与えることができる。
けれどそれは、人の悪意を正面から受けてしまうのと同義だ。
(ああ……これほど黒く染まった世界で、君だけが……君の魂だけが白いまま。それは僕にとってたった一つの希望だ。――けれど、君にとってはどれほどの地獄だろうか)
いつか君と心を分かち合える魂の者が現れたら……。そう願わずにはいられない。
もしも本当にそんな誰かが君のもとを訪れたら、この世の全てを犠牲にしてでも二人の未来を守るのに、と。
――そんなときだ。
「ねえ、ルイス。今日のわたし……どうかしら?」
「……え」
突然アメリアに問いかけられ、ルイスはハッと我に返った。
顔を上げると、さっきまで隣にいたはずのアメリアが、目の前でドレスの裾を揺らしていた。
「このドレス、ウィリアム様に気に入っていただけると思う?」
そう言って微笑む姿は、どこにでもいる少女のようだ。――ルイスの心が、ほっと和む。
ブルーの夜会ドレスを装ったアメリア。
水の流れるような滑らかなシルクの生地に、銀糸で細やかな刺繍が施された美しいドレス。デコルテを飾るのは大振りのサファイヤだ。
(これは確か、ウィリアム様が贈られたものだったはず……)
四ヵ月前、アメリアの誕生日プレゼントにウィリアムが贈った装飾品。
今日のドレスはそれに合わせて仕立てたものだろう。なんともいじらしいことだ。
「よくお似合いですよ。ウィリアム様もお喜びになります」
「ふふっ、ありがとう」
――二人は再び腕を組み、ゆっくりと歩き出す。
「ところで、ウィリアム様のお悩みは解消されたのかしら? あれからわたし考えて……もし力になれることがあればと思ったのだけれど」
「ああ……それは――」
言いかけて、ルイスは不意に立ち止まる。
向こうから、自分たちを探しにやってくるウィリアムの姿を見つけたからだ。
ルイスはアメリアに視線を向けると、穏やかに笑む。
「どうぞ、ご自身でお確かめになってください」
そう言って、アメリアをウィリアムのもとへ送り出した。
*
仲睦まじく手を取り合う二人を、ルイスは離れた場所から見守る。
何の曇りもない表情のウィリアムを。そしてそんなウィリアムに、心から安堵し笑顔を咲かせるアメリアを。
少しでもアメリアが心穏やかにいられるようにと、ただそれだけを願って――。