4.アメリアの訪問
それは年が明けたばかりの、ある朝のことだった。
「――何? アメリア様がお一人でいらっしゃった?」
「はい。ウィリアム様が不在なため応接間にお通ししました。対応はルイス様に任せると、奥様が」
「……そうか、わかった」
執事よりアメリアが一人で来訪したことを聞かされたルイスは、急ぎ応接間へと向かった。
ヴァイオレットの一件後、ルイスがウィリアムと共にアメリアと対面したのは二回だ。
一度目は今より二週間前、あの事件の三日後のこと。
ウィリアムはアメリアのダンスの練習に付き合うため、アメリアの屋敷――サウスウェル伯爵家を訪れた。そして三時間ほど練習に付き合った。
二度目はその数日後、招かれていた夜会にそれぞれの家族と共に参加した。
当然、その二回は事前に予定を組んでのことだ。――しかし今回は……。
(こんな早い時間に、しかもお一人で? この予感が気のせいであるといいのだが)
普通なら午前中に訪問はしないものだ。加えて、いつもなら連れている侍女もなし。
ルイスは嫌な予感を覚えつつ、応接間へ向かう足を速めた。
*
中に入ると、アメリアが暗い顔でソファに腰かけていた。
彼女はルイスの姿を見ると、ゆっくりと立ち上がる。
腰まである緩やかにカーブした金色の髪、その前髪の奥の青金石色の瞳が、泣き出しそうに揺れていた。
「ごめんなさい、こんな朝早くに。……約束もなく」
「いえ……こちらは構いませんが。ただ、ウィリアム様はただいま乗馬に出かけられておりまして、正午過ぎになりませんとお戻りには……」
「知っているわ。だからこの時間に来たの。わたし、ウィリアム様のことで、あなたにどうしても聞きたいことがあったから」
「…………」
アメリアの陰った表情。足先を見つめる視線。
そのいつになく悩まし気なアメリアの姿に、ルイスの予感が強くなる。
(まさか本当にヴァイオレットの件を知られたのか? いや、決めつけるのはまだ早い。ともかく話を聞かなければ)
ルイスはそう判断し、穏やかに微笑む。
「聞きましょう? お茶を用意させます。どうぞ、おかけください」
「……ええ」
そして自分はアメリアの反対側のソファへ腰かけると、アメリアから話を聞き始めた。
*
――それから二十分が経った。
結論、ルイスの予感は半分杞憂に終わった。
「つまり、最近ウィリアム様の様子がおかしい……その理由を知りたい。そういうことですか?」
「ええ。わたし、自分でも気付かないうちにウィリアム様に失礼をしてしまったのではと心配になって……。この前のダンスの練習のときも、夜会でも……ウィリアム様、なんだかうわの空だったから」
「…………」
「あのね、ルイス。わたし、このままだと今度の王宮での舞踏会、失敗してしまいそうで怖いの。ダンスもおしゃべりも得意じゃないし……お友達もいなくて……でも、こんな情けないこと誰にも……お母さまにも言えなくて。デピュタントのときだって、ウィリアム様が相手だったから踊れたの。お母さまはもっとたくさんの方と踊りなさいって言うけど、わたし、お父様とお兄様、ウィリアム様相手じゃないとうまく踊れないのよ。それなのに、もしウィリアム様に愛想をつかされてしまったら……わたし、どうしたらいいかわからない」
「……アメリア様」
昨年の九月に十六歳を迎えたアメリアは、先月社交界デビューを済ませたばかり。
ダンスレッスンは当然受けているが、慣れない社交界は彼女にとって大きなストレスを伴うものに違いなかった。
(僕としたことが、アメリア様のフォローをおろそかにしてしまうとは……失態だな)
ヴァイオレットとの一件から今日で二週間あまり。
結局あれ以降ヴァイオレットからの接触はなく、ようやくウィリアムが以前の落ち着きを取り戻してきたと思ったら、今度はアメリアだ。
(どうする……気のせいだと言ってしまうのは簡単だが、彼女は納得するだろうか。いや、たとえこの場で納得させても、ウィリアム様が今のままでは遅かれ早かれ……)
アメリアには白魔法の素質がある。
魔法を使える者の中でも、一万人に一人いるかどうかと言われる白魔法の使い手。攻撃力はないが、怪我や病気を治癒したり、呪いを浄化できると言われている――アメリアはそんな貴重な才能を持っている。
だがこの世界では魔法を使うと命が縮む。
だから貴族は普通魔法を使わないし、アメリアも例外ではない。
両親から、魔法は使ったらいけないと厳しく言われ育てられた。
しかしそれでも、成長するにつれ彼女の力は日々の生活の中に現れ始めた。
白魔法使いの特性ゆえだろう。怪我を負えば自覚なしに治癒してしまうし、世話した花は通常に比べずっと長く咲き誇る。
人の悪意に敏感で、無意識のうちに相手の嘘を見抜いてしまうこともあった。
だからアメリアの両親は、できるだけアメリアを人と関わらせずに育ててきた。
この国では珍しいほどの、善良な伯爵家――その父と母と兄に守られて生きてきた。
そんな彼女がどうしてウィリアムと婚約することになったのか。
そのきっかけはウィリアムの両親がアメリアの白魔法の力を欲したからだが、実際に婚約が成された理由は、アメリアがウィリアムに懐いたからだ。
(――ともかく、彼女が嘘を見抜けるのは相手に悪意がある場合だけ。ウィリアム様にはそれがないのが、せめてもの救いだな)
いずれにせよ、アメリアが傷付くのはルイスの本意ではない。
アメリアには何の罪もない――そうでなくとも、ルイスがこの世で最も大切に思っているのはアメリアに他ならないのだから。
(結局のところ僕にできることは決まっている。ウィリアム様には罪悪感をのみ込んでもらい、それ以上にアメリア様を大切に思っていただく……それ以外にない)
あるいはウィリアムの両親のように、アメリアと極力言葉を交わさず、話すとしても直接目を合わせないようにする――そうすれば悪意を悟られることはないが、婚約者という立場にあるウィリアムに、そんなことは不可能だ。
――ルイスは心を決める。
不安げに瞳を揺らすアメリアを真っすぐに見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「話はわかりました。確かにアメリア様のおっしゃるように、最近のウィリアム様には何か悩み事があるようです。その理由は僕も存じ上げませんが――しかし、これだけは断言できます。ウィリアム様はアメリア様を心から大切に思っておられる。ですから、アメリア様が心配なさることは、何もありませんよ」
そう言って、にこりと微笑んだ。
するとアメリアは、ようやく安堵の表情を見せる。
「本当に? わたし、ウィリアム様に嫌われたわけじゃないのね?」
「はい、嫌うだなんてあり得ません。誓って」
「……そう。……そうなのね。……ありがとう、ルイス。あなたに相談して、本当に良かった」
「いえ、僕の方こそ。今後も何かあれば、いつでもご相談を」
「ええ、そうさせてもらうわね。本当にありがとう、ルイス」
*
こうしてアメリアは、その後迎えに来た兄に付き添われ、自邸へと帰っていった。
ルイスは伯爵家の馬車が門の外に消えるまで見送って、ひとり溜め息をつく。
(宮廷舞踏会は十日後か。その時までにウィリアム様を平常心に戻せるか……ギリギリだな)
ルイスはそんなことを思いながら、ひとり寒空を見上げ、これ以上面倒事が起きないよう祈りを捧げるのだった。