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3.傀儡


 ルイスが屋敷に戻ったのは午後八時を過ぎた頃だった。

 彼は自室の机の引き出しにヴァイオレットの髪をしまうと、着替えをすませウィリアムの部屋へ向かった。

 昼間のことについて、形だけでもウィリアムから話を聞いておかねばならなかったからである。


 ルイスがウィリアムの部屋の扉を叩くと、すぐに「入れ」と返事があった。


 中に入ると、ウィリアムがソファでうなだれていた。

 いつもはセットされている癖のない栗色ブラウンの髪は乱れ、整った横顔は後悔に苛まれているように見える。


(ああ、やはり脅されたのは間違いなさそうだ。まずはフォローから入るべきか……)


 そう考えたルイスはウィリアムの前に立つと、腰を落とし片膝をつく。

 そして、できるだけ優しく声をかけた。


「僕はウィリアム様を信じております。あなたは理由もなくあのようなことをする方ではありません」

「――っ」


 すると、ビクリと震えるウィリアムの背中。

 うなだれていた彼が、ゆっくりと頭をもたげる。


「……俺を信じるのか? あの声を聞いただろう? 俺はあの女を抱いたんだ」


 ウィリアムの深緑色フォレストグリーンの瞳に揺れる深い後悔。あるいは、自身への嫌悪だろうか。

 ともかく、ウィリアムがヴァイオレットのことを慕っていないことは明らかだ。


(ならば話は早い)


 ルイスは床に膝をついたまま、ウィリアムの顔を覗き込む。


「確かにそれは事実でしょう。過ちは過ちです。ですが、どうしようもない理由があったのではありませんか? 何か弱みを握られたとか……薬を盛られただとか」

「……ッ」

「それとも……あの女性を愛してしまわれたのですか?」


 あえて神妙な面持ちで尋ねるルイス。

 するとその瞬間、ウィリアムは勢いよく立ち上がった。


「違う! 俺が愛しているのはアメリアただ一人だ!」


 そしてこう言い放ち、再びソファにへたり込む。


「ああ、それなのに俺はなんてことを……もし彼女に知られでもしたら……。母上にもどう説明したらいいかわからない。これでは父上と同じじゃないか」


 ウィリアムは項垂れる。

 父を軽蔑していたのに、同じことをしてしまったと。母も自分を見限ったに違いない、と。

 ルイスはそんな主人を哀れに思った。


(本当にどこまでも純粋な方だ)


 だが、ウィリアムをこのように育てたのはルイス自身だ。

 悪に染まったこの家で、憎悪に満ちた社交界で、彼がまともなまま成人を迎えることができたのは、ルイスに守られていたからだ。

 そしてそれはこれからも変わることはない。

 ウィリアムには、今後も愚かでいてもらわねばならない。


「ウィリアム様。どうか教えていただけませんか。あの女性と、いったい何があったのです」

「……それは」


 ウィリアムは口ごもる。流石に簡単には言えないか。

 だが、言ってもらわねば話が進まない。


「奥様は大変嘆き悲しんでおられました。アメリア様に合わせる顔がないと……。ウィリアム様にも申し訳がないと……」

「俺に……? なぜ……」

「十年前、アメリア様との婚約をまとめられたのは奥様です。奥様は幼いウィリアム様に婚約させてしまったことを悔いておられるのです。あなたの気持ちを考えず抑圧してしまったのではと……今からでも婚約をなかったことにできないかと、深く悩んでおられます。あなたがあの女性を好いておられるのなら、今からでもその気持ちを汲んであげられないか……と」

「そんな……!」

「ああ、おかわいそうな奥様。あの気高く繊細な奥様のお心を、他の誰でもない息子のウィリアム様が苦しめていらっしゃる。――ですがまだ間に合います。今ならすべてをなかったことにできるのです」


 ルイスは甘く囁く。今ならまだ間に合う、と。

 その言葉に、いっそう瞳を揺らすウィリアム。

 どうすればいい? 彼はそう訴える。


「簡単なことです。一時の気の迷いだった、あの女性とは二度と会わない、そう口にするだけ。それですべては収まります。この屋敷の使用人は口が堅い。アメリア様に知られることは万に一つもないでしょう」

「それだけか? 本当にそれだけでいいのか?」

「ええ、それだけです。ですが誓ってください。あの女性とは二度と会ってはなりません。手紙が届いても無視をし、声をかけられても知らぬ振りを通さねばなりません。弱みを握られようと脅されようと、絶対に屈してはならない」

「だが、そんなことをしたら……」


 ウィリアムは俯く。ヴァイオレットの報復を恐れているのだろう。


 けれどルイスは知っていた。彼女の目的がウィリアムではないことを。

 同時に、ヴァイオレットがこの家の当主、ウィンチェスター侯爵に何らかの恨みを抱いているであろうことを。


「ウィリアム様、教えてください。あの女性に何と言われたのです? 旦那様が親の仇だとでも言われたのですか?」

「……ッ」


 ルイスの問いに、よりいっそう動揺を見せるウィリアム。

 その様子にルイスは確信した。


「ウィリアム様、いいですか。たとえ旦那様が人をあやめようと、それはあなたの罪ではない。あなたが旦那様を庇う必要はないのです」

「だが、父上が犯した罪はこの家の罪……それは俺の罪でもある。そう俺に教えたのはお前ではないか、ルイス」


 確かにそうだ。ルイスはそうやってウィリアムを育ててきた。

 不正は正さねばならない、そう教え込んできた。

 けれどそれはウィリアムに正しく生きてもらうためではなかった。

 ルイスはただ自らの目的のために、ウィリアムの世話をし続けたのだ。


 それなのに何という誤算。

 あのヴァイオレットとかいう女のせいで、計画に歪みが生じたではないか。


(あの女……次に会ったら必ず息の根を止めなければ) 


 ルイスの中に沸々と湧き上がる黒い感情。

 それをひた隠し、ルイスは薄く笑む。


「ウィリアム様、確かにあなたのおっしゃることは正しい。それが人のあるべき姿。だからこそ僕はあなたの傍にいる。あなたは僕に約束してくださいました。いずれ家督を継ぎ当主となった暁には、僕の首輪を外してくださると……この家のすべての罪をあなたの代で清算すると。ですが今はまだそのときではありません。あなたにはまだ力がない。正論だけでは何一つ守ることはできないのです。――ですから、どうか今は」

「……ルイス」

「大丈夫。僕はあなたの味方です。何があろうとあなたをお守りいたします。あなたに降りかかる火の粉は、すべて僕が払ってみせる。だから、何かあったらまっさきに僕に相談してください。今日のようにお一人で抱え込んではなりません。どんな些細なことでもです。――ね?」


 そう言って、ルイスは柔らかく微笑んだ。

 その笑みに、ようやく安堵した顔を見せるウィリアム。


 *


 ――こうして夜は更けていった。


 ルイスは翌日、夫人へ「シャーリー殺害」の報告をした。それはもちろん嘘だったが、夫人はルイスが献上した「ひと房の髪」が殺害の証拠であると納得を示し、献上した髪は夫人の青い炎により、瞬く間に灰と化したのだった。

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