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2.それは脅しか、甘言か


 ルイスが部屋を訪れたとき、夫人はティータイムの真っ最中だった。彼女は窓の側の丸テーブルの椅子に腰かけ、ティーカップを口に運んでいた。

 けれどその優雅な所作とは対照的に、彼女の全身に漂う殺気。それは火属性魔法の素質を持つ彼女の怒りの強さを表す、青い炎。



「――呼ばれた理由はわかってるわね?」


 夫人はティーカップをソーサーへ置くと、いつもなら決して合わせないであろう視線をルイスへ向ける。


「わたしはあなたに、あの子の交友関係をすべて報告するよう命じたわ。忘れたわけじゃないわよね?」

「決して、そのようなことは」

「ではこの状況をどう説明するつもり? あのような恥知らずな娘について、わたしは一言も聞かされていないけど」

「申し訳ございません」

「あの子は春に結婚を控えているの。あなた、このわたしに恥をかかせたいの?」

「まさか、滅相もございません」


(この方は相変わらずだな。自分の息子に非がある可能性を少しも考えないとは)


 ルイスは夫人の言葉と態度に、諦めに似た気持ちを感じていた。

 夫人は今年で三十八歳になるとは思えない美貌の持ち主だが、その心根は正反対だ。見栄が強く、自己中心的。

 産まれも育ちも侯爵家――嫁ぎ先も、となれば当然かもしれないが、気に入らない者に対して厭味いやみったらしく罵るさまは、ルイスにとって軽蔑に値した。

 けれどそれでも、夫人は自分が仕える主人の一人である。反論は許されない。


「いいこと? 今日中にあの娘を処分なさい。二度とこの家の敷居を跨ぐことのないように」


 ――威圧的な声と、視線。

 それは紛れもなく口封じの命令だった。

 これには流石のルイスも返事を躊躇う。


「今日中……でございますか。せめてウィリアム様にお話を聞かれてからにされては」

「あら、それであの子が抵抗したらどうするの? わたしはいい母親でいたいのよ。――ああ、今が冬で良かったわ。夏だったらあなたの氷魔法、使い物にならないものね」

「…………」

「わかったら出て行きなさい。報告は明日聞くわ」


 夫人はそう言って、ルイスから視線を反らす。これ以上は聞かない、という意思表示だ。

 ルイスは仕方なく目礼し、黙って部屋を後にした。


 *


 ウィリアムの部屋から女が一人で出てきたのは、ルイスが部屋を監視し始めて二時間が経った、午後六時過ぎのことだった。窓の外はすっかり暗くなっている。


 女はどういうわけかメイドの装いをしていた。だが、歩き方から若い女性、それも貴族であることがわかる。後ろ姿で顔は見えないが、結っていてもわかるほど美しいプラチナブロンドの髪をしていた。


(面倒だな。平民の娘であれば難しくなかったが) 


 とは言え上級貴族ではないだろう。もしそうであれば、自分が知らないはずがない。


 女は堂々と使用人用の談話室に入ると、サイズの合いそうな外套(がいとう)を見繕い、それを羽織って外に出る。

 ルイスもフード付きの真っ黒な外套を羽織り、女を追いかけた。


 外は雪が降り始めていた。これから深夜にかけてもっと冷え込むだろう。


(今夜は凍死者が多く出るな)

 ルイスはそんな風に思った。


 女は表に出ると辻馬車に乗った。ルイスも馬車を掴まえ、前の馬車を追うよう指示を出す。


 そして束の間の休息を取った。

 辻馬車に乗るということは、ある程度の距離を移動するということ。それにこの雪では馬車はゆっくりとしか進まない。到着までは猶予がある。


 ルイスは外套の下からワインの入った革製の水筒を取り出すと、栓を開けて一口含んだ。

 氷魔法の使い手とはいえこの寒さは身に堪える。酒でも飲まねばやっていられない。


(……にしても、部屋から出てきたのは女一人。ウィリアム様の見送りはなかった。あの二人、やはり恋仲ではないな)


 ルイスの仕えるウィリアムは今年十八歳。ルイスより二つ年下だ。

 ウィリアムは三ヵ月前に寄宿学校(パブリックスクールを卒業したばかりで、ルイスは時折戦地に送られる以外は、留年までしてウィリアムの側に居続けた。

 つまり、ほとんどの時間をウィリアムと共に過ごしてきたのである。

 そんなルイスがウィリアムの交友関係を把握していないはずがなかった。


(つまり、知り合ったのは卒業後のこの三ヵ月の間ということになるが……相手が貴族であることを考えると、可能性が高いのは夜会か?)


 けれど、ルイスが夜会でウィリアムの側を離れたのはほんの数回だ。それも、グラスを取りにいくほんの短い間だけ。


(いったいどこで知り合った?)


 ルイスは悶々と考える。


 するとしばらくして前の馬車が停まり、女が降りてきた。


 ――そこは貧民街だった。

 この寒さでも煙が上がる家は一軒もない。薪を買うお金どころか、食べ物を用意することすらままならない。

 この街に住むのはそういう者たちだ。


(なぜこんな場所に? 彼女は貴族ではなかったのか?)


 ルイスは少し離れたところに馬車を停める。

 そして再び女を追い、いくつ目かの灯りのない路地を曲がった。――そのときだった。


 なんと、目の前にいたはずの女が突如姿を消したのだ。

 その代わり、すぐ背後から囁かれる甘美な声。



「ああ、やっとお会いできましたわ。ルイス様」

「――ッ!?」


 瞬間、ルイスは振り向いた。

 そして――振り向いた自分のすぐ目の前にあった女の存在に驚き――背後に飛び退いた。


(今、何が起きた? この僕が後ろを取られたのか? 移動魔法か? それとも幻術か? それにこの女、僕の名前を呼んだのか?)


 ルイスは頭から外套をすっぽりと被っている。加えてこの暗闇となれば、ルイスの特徴である黒目黒髪は見えないはず。

 それなのに女は自分の名を呼んだ。


(この女……何者だ。魔法を使うことは間違いないが……)


 ルイスは警戒心を募らせる。


 この暗闇の中で猫の目のように煌々と輝く青色の瞳。ねっとりと絡みつくような視線。

 歳は自分と同じくらいだろうか。けれど、それにしては雰囲気があまりに異様だ。


 ――この女は危険だ。本能でそう感じた。


(今すぐ殺すか? いや、殺せるのか? もしさっきまで見ていた女が幻影だったとしたら、目の前の女が実体である可能性は低い。――だがそもそも、この時代にそんな魔法は存在しないはずだ)


 ルイスはさらに一歩後ずさる。

 女を怖いと思ったのは数百年ぶりだった。


「どうして僕を知っている? シャーリーとは偽名だな。名を名乗れ」


 すると女はニコリと微笑む。


「ヴァイオレットと申します。こんなところまで追いかけてくださって、本当に光栄ですわ」


 ――ヴァイオレット。だがその名にも聞き覚えはない。

 とは言えルイスは確信した。メイドに扮していたこともそうだが、名前を偽るなどまともな相手ではない。ウィリアムはきっと騙されたのだ。


「お前のような女は知らないな。いったい何が目的だ。何のためにウィリアム様に近づいた?」

「それはもちろん、あなたにお会いするためですわ。こうでもしないとあなたは、わたくしに興味を持ってくださらないと思ったから」

「――ハッ! 僕に会うためにこんな回りくどいことをしたと? 信じると思うか?」

「でも、それが事実ですもの」


 ――馬鹿げてる、とルイスは思った。


 悪びれもせずに微笑む目の前の女も、息子の醜聞を隠したいがためだけに人殺しを命令する夫人も、そんな夫人の行動を諫めるどころか、愛人の元へ通い詰める侯爵も――。


(ああ……もういい。面倒だ)


 すべてが面倒で仕方ない。わずらわしくてイライラする。

 なぜこの国には、こうもまともな人間がいないのか。


 ああ、こんな女さっさと殺して湖に捨ててしまえばいい。――この寒さだ。明朝には水面に厚い氷が張り、死体はしばらく見つからない。見つかるころには、魔法の残滓(ざんし)はすっかり消え失せているだろう。


 だが、そんなルイスの心を知ってか知らずか、ヴァイオレットは恍惚と笑む。


「そう。その目ですわ」――と。


「……何?」

「わたくしがあなたを初めて見た時もそんな目をしていましたわ。兄の代わりに送り込まれた戦地で、魔物も人も全てを無慈悲に氷漬けにする殺意に満ちた漆黒の瞳……日の光に反射し白銀に輝く氷結魔法。あの日の光景は一日たりと忘れたことはありませんわ。だって、とても美しかったんですもの」

「…………」

「三度も前線に送られながら、その身体には傷一つついていない。あなたは紛れもなくこの国最強の魔法使い。――それなのに、いまだにあんな男に飼われているなんて」

「あんな男?」

「ウィンチェスター侯に決まってるでしょう。あの男の元に生まれるだなんて、ウィリアムも可哀そう。あの男の子供だからもっと酷い男かと思っていたけれど、あまりに純粋で拍子抜けしちゃったわ。あなたに守られてきたせいかしら」

「…………」

「ねぇ、教えてくださらない? どうしてあなたは今なおそこに居続けるの? ウィリアムがそんなに可愛い?」


 顔に笑みを張り付け、ヴァイオレットは静かに責め立てる。

 あなたの居場所はそこではない、と。


「それとも、ウィリアムの婚約者――アメリア様といったかしら。彼女のせい?」

「――っ」

「あら、図星なのね。彼女を愛しているの?」

「……黙れ。その汚い口で彼女の名を呼ぶな」


 確かにヴァイオレットの言葉は正しかった。

 ルイスがあの家に居続けるのは、ウィリアムの婚約者であるアメリアが理由だ。

 けれどルイスが彼女に抱く感情はただの恋慕の情ではない。それはもっと大きく、深く、崇高な愛だ。


「そんなに愛しているのなら、あんな家にはさっさと見切りをつけて、彼女を攫ってどこへでも逃げたらいいんじゃありませんこと? あなたになら、それくらいの力はあると思うのだけれど」

「お前には関係のないことだ」

「あら、ありますわ。わたくし、どうしてもあなたが欲しいんですの。そのためならなんだっていたしますわ。彼女の誘拐にも手を貸します。だから、わたくしを抱いてくださらない?」

「――は」


 ルイスは今度こそ絶句した。

 ヴァイオレットの言葉が理解の範疇を超えていたからだ。


「ふふっ。別に結婚してくれと言っているわけじゃありませんのよ。週に一度か二度、外で会ってくださればいいだけ。簡単でしょう?」


(……何だ? この女は、いったい何を言っている?)


「別に断ってもいいんですよの。この場でわたくしの心臓を凍らせてくださっても構いませんわ。ただ、そのときはわたくしの友人が侯爵家の秘密を世間に暴露する手筈になっていますから、受け入れるのが賢明だと思いますけれど。――あぁ、ウィリアムのことは安心なさって。あなたがわたくしに付き合ってくださるのなら、彼にも、もちろん侯爵家にも、今後一切関わらないことを誓いますから」


 ヴァイオレットはそう言って、呆然と立ち尽くすルイスへ歩み寄る。

 そして両手でルイスの頬をそっと包み込むと、その唇に口づけた。――ルイスの両目が、大きく見開く。


「では、今宵こよいはこれで失礼いたしますわ。――わたくしの髪をひと房差し上げますから、夫人に献上なさるとよいでしょう」


 最後にこう言い残し、ヴァイオレットは背を向けた。

 ルイスの右手に、金色の髪をひと房残して――。

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