第9話:猫の神
「僕はバステト――俗に言う"神"と呼ばれるものさ」
黒い仮面を身につけた男は、あたしたちに向けてそう言った。
バステト...その名前に聞き覚えはない。少なくともあたしたちが知っている女神アルカンシエルの伝承にその名前はなかったはず。それに本当に神様だったとして、そう易々と声をかけてくるものなのだろうか。
「あぁ、疑っているね?確かにこんな姿で信じろという方が難しいか。なら、こう言おうか――僕は異界から召喚され、"彼ら"の神に据えられた元人間族だと」
あたしの視線に気付いた男は陽気に笑い、異界の者だと言う。
情報量が多すぎる。この男の言っていることが半分もわからない。というか脳が理解を拒んでいる気がする。
「異界から喚ばれた人間はそんなに珍しくもないだろう?君の知る伝説にも、そういった人達は居たはずだよ」
「それは...そうだけど...」
男――バステトは自信げに言葉を紡ぐ。確かに今の冒険者の成り立ちには"異界"から喚ばれたと言われる勇者や"転生者"と呼ばれる英雄達が深く関わっていると聞く。
改めて男の姿を見る。仮面で顔の大半は隠れているけど声が若い、多分20半ばと言ったところか。服装は奇抜そのもので黒をベースに紫や黄、赤色が散りばめられていて目がチカチカする。スボンは深い青色のもので白く紐が縦横に走る短靴。こんな服は見たことがない。
「そりゃあ元の世界の服装だからね。こっちでは珍しいだろ?」
「っ!」
「顔に書いてあるよ。君は本心を隠すのが苦手だね――おっと、図星を突いたかな」
男はケラケラと笑いながらあたしの心中を言い当てる。正直、この男は苦手だ。
「思い出しました。バステト神――猫亜人が信仰する神...」
「そっちのお嬢さんは物知りだね。だけど訂正してもらいたいところがある」
シエルの発言をバステトが遮る。その声音はさっきまでと違いどこか冷たさを含んでいて背筋を冷たいものが駆ける。
「確かに"彼ら"は君たち人族と比べて知能も能力も劣る、それは事実だ。だけど"彼ら"にも誇りという物があり、そして僕の愛する信徒だ。愛されるもの、それが"彼ら"の名だ。人間たちの勝手で付けられた、"人族のなり損ない"という呼び名は、ここでは控えてもらおうか」
「は、はいっ...ごめんなさい」
「あはは、素直な娘は好きだよ。さて僕は名乗った。次は君たちの名前を教えてもらおうかな」
その気配をシエルも感じたようで、顔を真っ青にしながら頭を下げる。
フェリス族。彼らがそう名乗ったのか、それともバステトが与えたものなのだろうか。どちらにせよちゃんとした呼び名がある以上、敵対するつもりもないのに亜人呼びはするべきでない。
シエルの反応に機嫌を直したバステトはあたしたち――いや、あたしを見て問いかける。その貌は朗らかに笑をたたえているけど、言葉に表せない重圧があたしを包み込む。
違いない、どういう訳か彼はあたしたちの本当の名前を知っている。そしてその上でどう名乗るのかを見ているのだ。
口の中が急激に渇く。重圧はシエルには向けられていないようで、彼女は心配そうにあたしを見ている。
本名か、偽名か。彼が見定めようとしているのはどっちだ。
――否、答えは決まっている。あたしたちはあの時からそうであろうと決めたのだ。言わばこれは"覚悟"だ。ここでビビるようではあたしにその名を名乗る資格もない!
「あたしはレアハ。彼女はノーチェです」
「へぇ..."そっち"を名乗るんだ」
重圧が一段と強くなり、張り詰めた空気からひび割れた音が聞こえた気がした。
仮面越しにあたしとバステトの視線がぶつかる。恐怖から込み上げてくる吐き気を気合いで堪えながら彼の目をじっと見据える。
次の瞬間、あたしを取り巻く重圧感がすっと消え、バステトは満足そうに頷いた。
「なるほど君の覚悟はよくわかった、合格だ。いやぁ怖がらせてごめんね」
「...え?」
「これでも神様だからね、言わば"神の試練"的なものということにしておくれよ。君の予想通り、僕は君たちの名前を知っていたからね」
彼はあっけらかんとした様子で捲し立てる。
あたしはと言うと急激なテンションの変動に着いていけず、ただ困惑していた。
「さて、"試練"と言えば報酬が付き物だ。だけど僕としてはもうひとつ受けて欲しいものがあるんだけど、どうかな?」
「どうかな、と言われても...あたしたちは王都に行かなくちゃいけないのに...」
「もちろん知っているとも。だからその上での提案だ。"依頼"と言い換えてもいいかな」
「......」
「悪い話じゃないと思うよ?報酬はふたつ。少し便利な道具と、王都への近道だ」
「とりあえず話だけは聞いておきます...」
いちいち勿体つける喋り方だ。やっぱりこいつとは気が合いそうにない。
彼の"依頼"は、山賊によりここから少し離れた所に攫われたフェリス族の"王子"を救出して欲しい...というものだ。王子?
「"彼"は少し特別でね、他の子たちにはない特別な個体なんだ。彼には"進化"の兆しがある。どう"進化"するのかは僕にもわからないんだけどね」
「進化――ですか」
「然り。彼の持つ魔力は他の子たちとは一線を画すものだ。好奇心が強すぎるのが玉に瑕でね、僕も気をつけていたんだけど、ちょっとした隙に外に飛び出した所で捕まってしまったみたいなんだ」
困った子だね、とバステトは肩を竦める。言ってることは相変わらずよく分からないけど、攫われた仲間を救って欲しいということだ。ただ、それをわざわざあたしたちが来るまで待っていたのだろうか?
「訳はわかりましたが、バステト...さんは行かないんですか?あたしたちがここに来るのかもわからないじゃないですか」
「いいや、わかっていたさ。君たちが村から出たところも、そちらのお嬢さんが阿呆を滅多刺しにしたことも。そもそも、気を失った君をここに連れてくるようにしたのは僕だからね」
「...ノーチェから聞きました。あたしが倒れてすぐに"迎え"が来たって。未来が見えるんですか?」
「条件付き、だけどね。これも神通力ってやつさ」
「ジンツーリキ?」
「神様の力、と思っておくれ。この力故に僕は彼らの神たり得るんだ。その代償として僕はこの祭壇から出ることができない」
そう言って靴を脱いで見せたバステト。その足を見てあたしとシエルが息を呑む。
「これって...」
「バステトさん、その足...!」
「ああ、一切の感覚がない。すっかり衰えきっているからね、もう自力では1歩も歩けない。おっと勘違いしないでおくれよ。別に悲しくはないんだ。多少不便ではあるけど信徒は良く尽くしてくれるし、この身になってから食欲も性欲もないしまるで人間らしさは無くなったからね」
「...そんな」
彼は傍に居た猫を1匹両脇を抱えて持ち上げる。
チーズのように胴を伸ばした猫の腹に顔を埋めながら彼は話を続けた。
「まぁ、ある種の人寂しさはあったのだろうね。現に君たちに会えて実はとても楽しいんだ。それに信念も通っている。だからこそ君たちをここに招き入れたんだ。というわけで改めて"依頼"といこうか。攫われた信徒を救出して欲しい。報酬は前払いだとも。そっちの方が都合がいいからね」
あたしは言葉を無くした。目の前の軽薄そうな男は、自分が思うより遥かに"神であろう"としていた。
気がつけばあたしとシエルは静かに首を縦に振っていた。