第6話:ブレークスルー
[Breakthrough]...[1]困難や障壁を突破すること、突破口
[2]技術的な革新
[3]限界を超えること
山賊の男の死を皮切りに、目の前の少女が緋色の髪をたなびかせて山賊たちに飛び込む。
反応できた山賊が分厚い曲剣を振るうが彼女は義手に握る短剣で弾いて軌道を逸らし、左手に抜いた小剣でその男の脇腹を切りつけつつ素早く右にステップし横から繰り出された槍を躱す。そのまま曲剣を持つ男を狙いつつさらに2人の攻撃を捌く――そんな様を私はただ呆然と見ていることしかできなかった。戦うつもりがなかった訳では無い。だが実際に向けられた悪意と彼女の放った殺気に当てられた私の体はまるで凍りついたように動けなかった。
――シエルは優しすぎる、それじゃ人は殺せない。
自分の危険も顧みず2度も命を救った彼女が放った言葉。その一言は確実に私の中にあった"弱さ"を見抜いていた。
ステラさんの放った一撃が曲剣持ちの男を仕留めた。やはり彼女は強い。魔力なしと馬鹿にされても挫けず、瞳に力強い輝きを灯す彼女は一体どれほどの戦いを経験したのだろうか私には想像もつかない。
それでもやはり多対1では分が悪かった。ステラさんが槍持ちの男の首を刎ねた直後、最後に残った棍棒持ちの男の一撃が彼女の背中を強打する。勢いよく地面に叩きつけられたステラさんの手から武器が落ちる。
「はぁ...はぁ...魔力なしの癖に調子乗りやがって...壊れるまで犯してやる!」
「ぐ...ぁ...っ」
顔面を殴られ鼻から血を垂らしたステラさんに馬乗りになった男が右手で彼女の首を絞めあげながら左手で胸当てを力任せに引き剥がし、身につけていた服を引きちぎる。
「ヘッ、貧相な体つきの割に形はイイみてぇだな!しかも下着を着けてないってのはもしかして誘ってたのか、あぁ?」
男が乱暴な手つきで憧れの人の体を弄る。
助けなきゃ。今動けるのは私しかいないのに。動け、動けとどれだけ祈っても微動だにしない自分が不甲斐なかった。ステラさんが残る力で右手を突き出すのを男は左手で押さえつける。シエルさんの顔が少しずつ赤黒くなっていく。ステラさんが殺される。
「残念だったなぁ、 てめぇが命懸けで守ろうとした女は助けてくれそうにないみたいだぜ」
「ぁ...シエ...ル...」
ステラさんが左手を私に向かって伸ばす。
――ぴしり、どこか遠くで音が鳴る。
ステラさんの目が私を映す。そこにあるはずの輝きは今まさに失われようとしている。
男の顔がステラさんの胸元に埋められ、その肌に舌を這わす。
動け、動け、動け!この一瞬でいい!3度も守られておきながらこのまま終わっていいものか!
「.........っ!」
ぴくり、と凍った右手に熱が宿る。
ステラさんの目が濁る。
動け!
1歩だけ右脚が前に出る。
「し...に、げ...」
弱々しく伸ばされた手が空を切り、落ちる。
守れなかった、助けられなかった。命の恩人を、憧れの人を、私を好きだと言ってくれた人を、私は見殺しにした、私の弱さがステラさんを殺したんだ!
瞬間、私の中で何かが砕け散った。
喉が裂けんばかりに吼える。いつの間にか体を縛る冷たさはなくなり、私の体は駆けていた。突然のことに驚き一瞬動きを止めた男が私を見る。私は落ちていたステラさんの短剣を拾い上げ、思い切り振り回すと肉を斬る感覚が手に伝わった。
「うぎゃあぁぁ!痛えぇ!」
体勢を崩し、ステラさんから転げ落ちた男が這うようにして逃げ出そうとする。私はそのまま男がしたようにのしかかり、短剣を振りかぶる。
「薄汚い手でッ、ステラさんに触るなァァァァァッ!」
振り下ろした刃が半分ほど切れていた右手首を完全に切断した。
男が何かを叫ぶ。でもステラさんは声を上げることもできなかった!自分が死にそうな時でも私に逃げろと言ってくれるくらいだったのに!お前は無様に命乞いか!お前がっお前なんかがステラさんにッ!
溢れる言葉が喉を焼きながら叫ぶようにひたすら短剣を振り下ろす。いつの間にか男の声は聞こえなくなったけど突き刺す度に体が跳ねる。ちゃんと殺しておかないとだめだ!
右胸、腹腔、喉笛、顔、左腕――一突きごとに男の体に穴が開き、溢れ出した赤色が視界を汚す。何度刺しても男は死なない、もっと、もっとしないと、確実に仕留めないと!
「シエルっ、もうやめて!」
後ろから抱きついた誰かが私の名前を呼び、私を止めようとする。でも駄目なんだ、この男はまだ生きてる。ちゃんとトドメを刺さないと何されるかわからないのに!
「シエル!もういいの!そいつはもう死んでるんだよ!」
私を抱きしめる力が強くなる。何を言ってるのだろう、この男はまだ――
「お願いシエル!落ち着いて!もう大丈夫だから!」
いつの間にかステラさんが私の目の前にいた。ぼろぼろと涙を零して、赤みの残る顔を歪めながら私の両肩を掴んでいた。
「ステラ...さん...?」
「シエル...ごめんね...もう大丈夫、大丈夫だから...!」
男の上半身は既に原型を留めてなかった。不意に目線が短剣に移る。刃はぼろぼろに欠け、柄は曲がり血糊と脂がそれを覆い尽くしていた――これを、私がやったのか。
ふと、短剣を突き刺した感触が手のひらに蘇る。わたしが、ひとを、ころした――
「す、ステラさっ...う、おぇえぇぇぇ...っ」
「し、シエル!?」
湧き上がる罪悪感に胃の中の物が込み上げ、堰き止める余裕もなく溢れ出る。喉を灼くような不快感に涙が勝手に零れ、ひくついた胃が中身全てを押し出そうとする。
「ステラ、さん...っ、ごめ、ごめんなさ...っ、うぇぇ...っ」
私は自分の汚物で汚してしまったステラさんに何度も謝りながら、胃が空になるまで嘔吐く。
どれくらいの時間がかかったのか、胃の中身を全てぶちまけた私をステラさんが優しく抱きしめる。
「よく頑張ったね、シエル。あなたのおかげで助かったよ」
「あ...っ」
まるで全てを包み込み、慈しむような優しい声に私の緊張が解かされ、私の意識が急速に霧散する。
「だ...め、ステラさん...よご...れ...」
視界が黒く染められていく。体に力が入らない。抗うこともできず意識を手放してしまった私の額に柔らかな温度が触れ、ステラさんの優しい声が染みる。
――おやすみシエル、あとは任せて。
今回はシエル視点のお話でした。
冒険者自体は別に人を殺す必要はないのですが、ステラとシエルが歩もうとする道だと人同士の戦いは避けては通れない...とステラは考えているようですね。