第5話:闇に潜むものたち
[この世界における時間単位]...24時間を1日とし、7日で1週間、4週間で1月、12ヵ月で1年となっている。基本的に1年を通して季節が存在しており、1週間はそれぞれ空、雨、土、草、花、雷、火の曜日と呼ばれ、それは女神アルカンシエルが生んだ7柱の神の名を冠している。
一切の光が閉ざされた暗闇の中、あたしたちは無言で梯子を下る。ゴードンさんの魔法かそれともなにか道具を使ったのか、この隠し通路の入口は封鎖されたということはゴードンさんがこちらに追いつくことはないということ。それがわかるからあたしもシエルも何も言えなかった。
朽ちかけた梯子は時折不穏な音を立てるけど、数十秒かけて2人とも無事に下り終えることができた。相変わらず真っ暗で伸ばした指も見えないほど。それでも隣に聞こえる息遣いでシエルがちゃんといることを確認し、背負い袋から小さな金籠を取り出し、覆いを外して強く振ると籠の隙間から白い光が漏れ出し、周囲を明るく照らし始めた。
――発光石を用いた手持照明は冒険者の標準装備のひとつだ。衝撃により一定時間光る性質を持つ発光石は消耗品ながら比較的安価で入手でき、それを隙間の細かい籠に入れて持ち歩くと一時的な光源となる。労働奴隷の中には薄給でこの鉱石をひたすら採掘する仕事もあるらしい。
ランタンの光で大まかな地形が理解できた。どうやらここは家の真下に掘られた地下道のようだ。長いこと手入れされていないため梯子は腐りかけ、道もコケやキノコが生えていて決して衛生的とは言えないけど、ゴードンさんは"来るべき何か"に備えてこの道を用意したのかな。
「それじゃ、進むよ。はぐれないように着いてきてね」
「はい...」
やはりシエルの声に元気がない。あたしもそれ以上の声はかけず着いてきていることを確認しながら先を急いだ。ゴードンさんが調整してくれた義手は前よりもさらに馴染んでいて、ほとんど違和感もなく動いてくれた。触感は機能していないのでそこだけはフォローが必要だけども毒ややけどを恐れなくていいのはあたしとしてはかなり有用だ。現にこうやって指に噛み付いてきた虫も無傷で叩き潰すことができる。
地下道をしばらく進むと微かな光が見え、シエルの握る手が僅かに強ばる。出口は積み上げられた石で塞がれていて、その隙間から月の光が差し込んでいた。地下道の臭いがそこまでキツくなかったのはここから換気ができていたからなのだろうか。
周囲に意識を巡らせるが人の気配はない。あたしはシエルに目配せしてから積み石の壁を蹴ると壁は簡単に崩れ落ち、ツンとした冷たさが鼻を突き抜ける。
外は樹木に囲われた森だった。鬱蒼と生い茂る草木が月明かりを遮っていてとても暗く、ランタンがなければ地下道とほとんど変わらないほどだ。
あたしたちがまずすべきことは、王都に向かうことだ。王都はリンデル村から北に進んだ先にあり、街道を辿れば徒歩で7日と言ったところか。ここがどの辺に位置するのかは分からないけど村の周辺ならそこまで大きな差はないはず。
シエルに「行こう」と声をかけると彼女は消沈した様子のままこくりと頷き、あたしの後に続く。
本当なら時間をかけてシエルと話し合いケアをするべきなのだろう。それでもひとまずの安全すら確保できていない以上、今はこの森を抜けることが先決のはずだ――とあたしは込み上げる無力感を無理矢理飲み込む。
がさり、がさりと茂みを掻き分ける音と虫の鳴き声だけがこの暗闇に響く。道無き道を進んでいるとシエルがぽつりと呟いた。
「ステラさん...私、冒険者になりたいです...お父さんや村のみんなの仇を討ちたいんです...!」
「シエル...」
シエルは小さい頃から冒険者に憧れていた。それは父ゴードンさんや亡き母マリアさんの影響が大きいのだろう。ゴードンさんは思い出話混じりに冒険譚をシエルに聞かせていたらしいし、そして目の前に同年代の、それも魔力なしの女性冒険者がいる。実際彼女の戦闘能力は文句なしの実力者だ。魔法のコントロール力も高く、絡繰り仕掛けの重弩弓の腕前も十分だ。単純な技術面を見れば彼女は冒険者として活躍が期待できるだろう――だけど。
「ごめん、厳しいことを言うけど今のシエルは冒険者に向いてないよ」
「そんな...!」
足を止め、シエルに振り返りながらあたしは正直な感想を告げた。断られるなんて思ってなかったのだろう、シエルは信じられないといった様子で食ってかかる。があたしは努めて冷静に、そして容赦なく彼女の"弱点"を指摘する。
「どうしてですか!私だって戦う力はあります!それはステラさんだって褒めてくれたじゃな――」
「ならシエルはそれで人を殺せるの?偶然でも事故でもなく、自分の意志で同じ人間を殺すことができる?」
「っ...!」
そう、彼女は強い。だけどそれは獣を狩る、いわば"狩猟"で機能する強さであり人間同士の殺し合いをするには彼女の心は優しすぎた。
シエルが思わず絶句する。思い当たる節があるのだろう。最初の襲撃の時も、二度目の襲撃も彼女は戦えなかった。それは"襲われているという恐怖"によるものだけでは無く、無意識のうちで"人を殺めることに対する忌避感"が彼女の体を縛り付けているのだ。
冒険者の仕事は人を殺すことではない。それでも依頼の内容やトラブルによってはその刃を人に向けて振るうこともある。現にあたしはシエルの前で4人の命を奪っている。そうしなければあたしの命や大切なものを奪われるが故の防衛であり、そのために"殺す”ことを選んだ覚悟である。
だが、村人として過ごしてきた彼女にはまだその"覚悟"が出来ていない。その状態のまま冒険者になったところで殺気に飲まれて殺されるか罪悪感に潰されるのがオチだ。
「シエルは優しすぎるんだよ。それがシエルのいいところなんだけどね」
「......」
「...ひとまず王都に向かおう。そこなら信用できる人がいるから匿ってもらおう」
シエルは俯いたままきゅ、と拳を握りしめていた。納得はまだできてないのだろう、悔しそうに歪められだ顔からは透明な雫が零れていた。
その様子があたしの胸を締め付ける。好きな人を拒絶する苦しみとその人のためという気持ちがせめぎ合い胸を掻きむしりたくなるような衝動に駆られる。
意図せずして訪れてしまった気まずい沈黙に耐えきれなくなりそうな頃――"それ"は飛来してきた。
咄嗟に短剣を抜き、"それ"を切り払う。足下に落ちたのは拳ほどの大きさの石だった。
「ちッ、いい反応しやがるな」
「だが所詮は魔力なしと混色...だがシロウトの小娘だ。大したことないさ」
「よく見りゃ中々の上玉じゃねぇか。へへっ、こいつぁ売る前に楽しめそうだな」
「物騒な得物握ってるじゃねえか。どうせなら俺のブツも握ってくれよ、ガハハハハッ」
ランタンの光が当たり、暗がりの中から複数の人影が浮き彫りになる。革製の鎧に薄汚れた布きれのコート――俗に"山賊"と呼ばれる、弱者からの略奪に味を占めた者たちの格好だ。彼らは皆一様にこちらをなめ回すような視線で値踏みし、邪な妄想で口角を吊り上げる。
村の近くに棲み着いていたのか、それとも《白の教団》に買われた犬なのか。どちらにせよこちらに手を出してくるなら容赦はしない。
「シエルは下がってて、あたしが相手するから」
「ステラさん...でも...!」
「オイオイ、魔力なし1人でどうにかしようってのかぁ?」
山賊たちのリーダーらしき男が小馬鹿にするに笑うと釣られて周りの男たちもゲラゲラと笑いだす。
正直不愉快だけど相手がこちらをナメているのなら逆に都合がいい。先手は打たせてもらう!
あたしは体を捻り、腰を深く落としながら左肩に留めた投擲ナイフを先頭のリーダー男の喉笛目掛けて投げ放つ。勢いよく接地した膝甲から発した衝撃を活かしてギリギリまで体を傾けた体勢のまま走り出すのと同時に喉からナイフを生やした男が仰向けに倒れゆくのが見えた。
――残り、3人。
ステラの容赦のない指摘がシエルを襲う。
次回、少し視点を変えて描写してみようと思います。