03 保健室の狂神
――こんな他愛もないやり取りから、どれくらいの時間が経ったのだろう……、パタパタとスリッパの音を響かせながら保健の先生が帰ってきた。
「おまたせ、電話してきたよ~でもね~変なのよね~つながっているのか、つながっていないのか……連絡がつかなかったのよね~」
「「「えっ!?」」」
「いや、だからね、連絡がね、つかなかったのよ」
「連絡がつかないって……警察でしょ? 警察に連絡がつかないって……そんな事あんのかよ」
「そんなこといったって事実なんだもの、仕方ないじゃない……」
沈黙と同時に全員が顔を見合わる。そしてあまりにも不自然な事が連続で起きつづけている事の違和感と不安を誰もが拭い去れなくなっていた。
「ねえ、陸、どうしよう……なんだかとても怖いわ」
「心配すんな、たまたま偶然が重なっただけさ………………」
こんな台詞が何の気休めにもならない事をわかってはいる。そして、事態はそんな単純ではない事もみんなわかっていた。
「…………ここにいても仕方がない。やっぱり各自いったん帰宅するしかないんじゃないか、幸いにも陸と詩織里は帰る方向が一緒だし、詩織里を家まで送ってやれよ」
「まぁ、そうするしかないか……感謝しろよ詩織里、俺様が家まで送って行ってやるよ」
「………………ありがとう」
俺の予想に反して何ともしおらしい言葉が返ってきた。『何を偉そうに、ばっかじゃないの!』くらいの返答を覚悟していたのに……まぁ、こんな状況だから仕方がない。俺が思っているよりも詩織里は女の子らしいようだ――。
「みんな一緒に帰るんだったら、ついでにこの娘も送って行ってあげてちょうだい。森下さん、森下さん、起きてちょうだい! 森下さん!!」
ベッドで静かに眠っている小柄な少女を保健の先生が無理やり起こし始めた。先生は大声をあげると持っていたハンカチを側にある洗面器で濡らし、眠っている少女の顔をピシッピシッとやり始め、ぞんざいに少女を扱っている……見かけとは反対の性格のようだ。
「ん~? 先生? おはようございます……」
「森下さん、起きた? おはようございます、じゃないわよ。どれだけ寝てれば気が済むの~、外を見てみなさい、あたりはもう暗いわよ」
「………………? ――!? り、陸先輩!?」
周囲を見回した後、彼女は俺を見た途端に大きな瞳をまん丸くしてパチクリしている。
「え!? なんで俺の名前を?」
「……えっと、体育祭の時からずっと見てました。あんなに運動神経がいい人を見たの初めてだったので……それでよく覚えているんです」
「陸の取り柄っていったら体育くらいだものね……よかったわね~こんなかわいい娘にモテて」
「なんだよ詩織里、そのトゲのある言い方は……ったく、まぁいいや、え~っと、森下さん? でしたっけ? とりあえず送るから集団下校と行きますか」
「はい、萌衣と書いて『もい』といいます。もいって呼んで下さい! よろしくお願いします!!」
「じゃあオレも陸に送って行ってもらおうかな」
「優馬は男だろが」
「怪我人に対しては思いやりをもって接してくれ」
「そんな大した怪我でもなかっただろ……まったく……」
「それでも怪我人は、怪我人さ」
「もういいよ、みんな帰ろうぜ」
――こうして各々が帰り支度を始めたとき、保健室の窓の外から不審な音が聞こえてきた。
「あら? 用務員のおじさんじゃないかしら、こんなところで何をやっているのかしらね……」
保健の先生が振り返り、窓の外を見て首をかしげる。
「陸……、なんか……あいつもおかしくないか」
窓際まで行き、俺は注意深く用務員さんを観察する――そして思わず、俺は叫んでしまった。
「あ、あいつ! 刃物を持ってるぞ!! 何かわかんねぇけど、なんかヤバい!?」
そんな焦りを見せる俺たちに気づいた用務員のおじさんは保健室の窓の前に立ち、いきなりガタガタと音をたて、必死に窓を開けようと荒ぶっていた。
「みんな、下がれ! あいつガチでなんかヤバいぞッ!!」
そう叫びながら俺は、凶器を持った用務員のおじさんから目を逸らせないでいた。そして、同時に詩織里の震える声が背後で聞こえたその時、俺は振り返り、言い放つ。
「詩織里ッ! 下がれって言ってるだろ!!」
用務員のおじさんから少し目を離し、叫んだ瞬間だった。俺のすぐ後ろで窓ガラスが割れる音がした――――――。
「陸! お前も早く下がれ!!」
優馬の怒号が響き渡る。言葉通り俺は下がりながら狂った用務員を再び確認する。怒号の後に続いて、さらに女たちの悲鳴が保健室にこだまする――。刃物を持った用務員のおじさんが保健室に侵入してきたのだ!!
「――女が三人、男が二人か」
焦点の定まっていない目をしたイカれたおじさんが、ボソっと呟く。
「ちょっと! こんなに散らかして、何なんですか! 非常識にもほどがありますよ!!」
天然の先生らしい悠長な発言だ。もう既に、この空間に常識などありはしないのに……。
「……お前なかなかいい女だから、俺様の女にしてやるよ」
その狂人はふざけた事をのたまった挙句、保健の先生に刃物を突付けた。
「な、何をバカなことを……」
「うるせぇ!! 俺は神に選ばれた人間だ、光栄に思え!! もう俺は昨日までの俺じゃねえぞ、俺様こそが選ばれし人間だ! 俺様が新世界を創ってやるよ! もはや俺様が神なのだ!!」
焦点の合っていない真っ赤に充血した目で神を名乗る狂人は、そう言い放つ。
「ま、待って! あたしたちはただ家に帰りたいだけなの、お願い、乱暴しないで!!」
震える声で詩織里が懇願する。
「……お前もいい女だな、お前も俺様の女にしてやるよ」
こいつは自分が神だと信じて疑わないようだ、何をいっても一切理解を示そうとはしない。
「じゃあ、神様、ひとつお願いがあるのですが……」
優馬が敢えて謙った態度で『神』に話しかける。
「あ~ん、なんだてめぇ……やんのかゴラァ!」
「いえいえ、そんな滅相もありません。このとおり自分は怪我をしておりますし、戦える状況にはありませんから御安心ください。僕等は只、家に帰りたいだけなんです、せめて自分だけでも見逃してくれませんかね? こんな怪我をした男なんて何の使い道もないでしょう?」
優馬はこんな奴に媚びたりなんかはしない奴だ、必ず何か考えがあるのだと俺は確信した。こんな状況下でも嫌味なくらいに優馬は冷静だった――。
「………………野郎は全員殺すつもりだったがな……別にいいぜ、どうせお前みたいな手負いは俺様が始末するまでもなく、すぐに殺されちまうだろうからな」
「は? それってどういう……?」
「お前らなんにも知らねえの? もうすでに『新世界の創造』は始まってるんだぜ、お前らがぼぉ~っと学校でお勉強なんかしてる間にな! 俺様は滅ぼされたりなんかはしねぇからな、この腐った世界を浄化して俺様が新たなる創造主となってやるのさ!!」
「新世界の創造? 何を言って……」
「『神の啓示』が聞こえなかったお前ら凡人どもには何を言ってもわからねぇだろうけどな! これからは俺様のような『ウェイクラム』の時代なのだ! ひゃはは!!」
神の啓示。この不快な響きを持つ言葉を、ついさっきもどこかで聞いたような気がした……。どこで聞いたのだろう……などと物思いに茫然としていた俺に『神』は突如、刃を突付ける。
「やめなさい! 子供相手になんてことを……」
「あぁ? てめぇ……神に意見すんのか?」
「何が神よ……あなたのやっていることは犯罪よ!!」
「あぁ~あ、いい女だから生かしておいてやろうと思ってたのに……キニイラネェ」
そういうと『神』は俺に向けていた刃を保健の先生へと向けた。
「……脅したって無駄よ! 私は暴力なんかに屈しないわ!!」
狂った『神』に言葉などきっと届いていない。『神』は無言で先生との距離をつめていく――。
「や、やれるものならやってみなさい! どうせすぐに警察に捕まってあんたなんか死刑よ!!」
怯える先生に『神』は刃を突き立てる!! 一瞬、何が起きたのか、誰も理解できなかった。
「人を刺し殺すときってよ~、ただ刺すだけじゃダメなんだってな……」
信じられない事に『神』は何の躊躇もなく、先生の柔らかい脇腹に凶器をめり込ませていた。
「刺した後によ~、一回グリッとねじるのがコツなんだってよ……」
そういうとなんの迷いもなく『神』は凶器を握るその手首をひねる………………。
「本当に……刺すなんて………………」
その言葉を最後に保健の先生は力なく床に突っ伏した……。そして『神』の足元が鮮やかに真紅に染まっていく――――――。