01 新世界の創造
いつもと変わらない通学途中の電車内、いつもと変わらない退屈な授業、そして、いつもと変わらない放課後を今日も只、漫然と過ごしている。いつもと変わらない日常が明日も来ると、俺は一切疑うことなく信じ切っていた――――――。
「陸、陸っ! 何ぼさぁ~っとしてるのよ」
周囲に対しては、明るく朗らかな優等生キャラとはうらはらに、俺に対してだけは口の悪い幼馴染の高咲詩織里がちゃちゃをいれてくる。
「ん? いや、ぼさぁ~っとなんかしてねぇよ」
「陸はいいわよね~何にも悩み事がなくて」
「失礼な! 悩み事くらいあるさ」
「例えば?」
「……………………………………………………………………」
俺はおもわず口を噤んでしまった。
「はぁ~、本当に陸が羨ましいわ」
別に何も考えていない訳ではなかった、みんなと同じように十七歳の高校二年生らしい悩みくらいはある、受験のことや将来のことだって考えてもいる……ただ、毎日があまりにも平凡過ぎて大きなトラブルにみまわれていないだけだ。
「まぁ夫婦喧嘩はそのくらいにして、そろそろ帰ろうぜ」
冷やかし半分に俺たちのやり取りをながめていた八女原優馬が呆れ気味に言葉をもらした。
「ちょ、ばっ! 夫婦なんかじゃないわよ!! って、あれ? そういえば突然思い出したけど優馬って今日は弓道部の練習あったわよね?」
「へへ~ん、今日は弓道部の先生が高熱出してお休みだから練習はなしさ」
「あらら……まぁでも、たまにはお休みもいいわよね」
「たまにはだけどな」
「相変わらず優馬ったらまっじめね~陸と大違いね」
「なんで俺がそこで比較されなきゃならんのだ」
「陸も少しは優馬を見習いなさい」
「ったく……」
こんなとりとめのない日常が幸せなんだと気づかない俺は、本当に愚かだった。
「さてと……あんまり遅くなると巡回さんが来ちゃうし、そろそろホントに帰りましょう」
「詩織里は一応、表向きは優等生キャラだからな」
「表向きってなによ!」
「はいはい、ストップストップ! 夫婦喧嘩はもう見飽きたよ、本当にもう帰るぞ」
いつも冷静沈着で一見冷たそうな雰囲気を持つ優馬だが、でも本当はあたたかい奴で今日も優馬の気の利いた仲裁に助けられ、俺たちは最寄りの桜専学園前駅へと向かっていた――。
「――っでさ~数学の山浦があたしのことをいやらしい目でみるのよね~」
「山浦らしいな、あいつ女子からの評判悪いしな」
「ほんと気持ち悪いのよね~死ねばいいのに、きゃはは」
「おいおい、言いすぎだろ……」
「でもさ~………………」
駅へと向かう道すがら、明日になれば全て忘れてしまうような取るに足らない会話ともいえない愚痴のような話を歩きながら続けていた――いつものように裏道を通り、駐車場を抜けて角のコンビニを曲がって駅が見えた次の瞬間、優馬が突然立ち止まりつぶやいた。
「……なんだ!?」
弓道部だけあって特別目がいい優馬が駅の異変に気付いたようだった。
「どうした優馬、突然立ち止まったりなんかして」
「いや、あれ……何かあったらしいな………………」
「ん? 本当だ……人身事故かなにかかな?」
「そんなの行ってみればわかるわよ、見にいこう~」
「まったく、そんな野次馬根性むき出しだと品がないぜ」
「陸はいつも一言多いの!」
相変わらずのなんてことないやり取りをこの時は続けていた、なぜなら俺たちはまだ事態の重大さに気が付いていなかったから………………。
「――でも本当にいったい何があったんだろう」
詩織里に制服を引っ張られ、走りながら俺は胸の内を思わず声に出していた。少しずつ確実に騒ぎの中心に近づいていく……そして、もうあと数秒走れば騒動の中心にたどり着こうかというところで突然、優馬が声を発する。
「みんな止まれッ!! 何かおかしい………………」
常に冷静な優馬が、めずらしく声を震わせている。
「陸、詩織里、落ち着いてよく見てみろ」
「は? 落ち着いてって……どうしたのよ?」
「いいからよく見てみろと言っているんだ!!」
優馬らしくもなく声を荒らげ、苛立ちをぶつけるように俺たちにいい放つ。そしてなぜ優馬がこんなにも取り乱しているのかを惨劇を目の当たりにした瞬間、俺は一瞬で理解した。
「な、なんだあれ!? ひ、人が死んでいる……のか?」
一人や二人じゃない、何人もの人間が倒れている……近くに来て初めて気が付いたが、改札の奥や自動販売機の脇などにも血だらけの『非日常』が転がっていた………………。
一呼吸置き冷静さを取り戻し、周囲を見回すと、そこいらじゅうに赤褐色を帯びた蝋人形のようなものが転がっている凄惨な光景だった。もはや人の形さえしていないものすらある。
当たり前だが俺は戦争なんかに参加したことは一度もない、でも戦場っていうのはおそらくこういうものなんじゃないかと認識させられるような、そんな光景だった――。
「な、何? なんなのよ!」
「落ち着け詩織里、ここは危険だ……すぐにここを離れよう」
「あぁ……優馬のいうとおりだな、早くここを離れたほうがよさそうだ」
よろめく詩織里を後ろから支え、ゆっくりとここから立ち去ろうとしたその時、彼女は突然叫びながら、フラフラな状態にもかかわらず走り出した。
「――!? 奈々!? 奈々ッ!!」
そう叫び、詩織里は一人の血まみれの女子高生とおぼしき死体のそばまで行き、その亡骸を抱きかかえた。
「奈々! 奈々! 奈々ッ!!」
泣きながら何度もそう叫ぶ詩織里に対し、当然返事はなかった……よく見みるとその遺体はうちの学園と同じ制服を身に纏っている………………。
「まさか……詩織里の友達かよ………………」
遺体を抱きかかえたまま、詩織里は黙って小さく震えながら頷いた。
「こんな事が……こんな事があっていいのかよ……なんだってこんな事に……しかも、うちの学園の生徒って……現実かよ、これ………………?」
平凡過ぎる日常に慣れきってしまっていた俺は、唐突に見せ付けられた異世界のような光景をうまく受け止められないでいた。
「残念ながら現実のようだ……陸、早く詩織里を………………」
いつもの冷静な眼差しで、まるで俺に諭すように詩織里を指し示した。優馬はいつも正しい。仮に間違った判断だったとしても、優馬の物静かな佇まいで流れるようにいわれると、すべてが正しいように思えてしまう。そんな不思議な力が優馬にはあった。
「詩織里、詩織里……早くここを離れよう。騒ぎはまだ収まっていない、警察も消防も来てはいないし、ここはまだ危ない……さあ、急ごうぜ」
俺は静かに手を伸ばす。詩織里の手を握るのはガキの頃以来だな、などとこの状況にそぐわないどうしようもないことを考えながら――。
「イヤよ、ここにいるわ……救急車呼んで………………」
「バカっ! 何いってんだよ、この状況で! ここは危険だっていってるだろがッ!! それに……その娘は、もう………………」
その先は言葉にできなかった。俺だけじゃない、ここにいるみんながわかりきっていることだったから――――――。
「……詩織里、気持ちはわかる。でもここを離れよう、な? オレたちを困らせないでくれ、オレだって、陸だって、みんな気持ちは同じだ……だけど今できることをやろう、そうだろ?」
包み込むような優しい声で、優馬は詩織里をまるで導くように説いた。そしてそんな優馬の説得もあってか詩織里も少しずつ冷静さを取り戻しているように思える。小刻みに震えながらも小さくうなずき、詩織里もさすがにこの状況の異常さを認識したようだった。
優馬は詩織里の手をとった。すると、覚束ない足取りで彼女は立ち上がり、三人でこの場を離れようとした刹那、ふと見ると俺たちの眼前に虚ろな目をした中年の男が立っていた。
「――!?」
俺たちは驚いて竦むように全員、一瞬固まってしまった。
「……あの、どうかなさいましたか? 何かあったんですか?」
不気味な中年男に優馬がおそるおそる話しかける。今、何が起きているのか、俺たちの中に現状を把握している者は誰もいない。
「……あ、うぅ……神よ……」
一見、小奇麗な男だがよく見ると派手に転んだ後のように、ところどころ服が綻びている。そして不気味な男は酒と煙草が大好きなヴォーカリストのようなしゃがれた声を発していた。
「あ、あの……本当にどうなさったんですか?」
優馬もとっくに気づいている、明らかに様子がおかしい。俺たちの知らないところで本当に何かが起こっている、何かが――――――。
「うぅ……神の啓示………………」
その不気味な男は左足を引きずりながら優馬に近づいてくる。
「大丈夫ですか? お怪我をなさっているようですが……」
優馬が言葉を最後まで言い終える前に、その異様な風体の男は突如、優馬の両腕をつかみ、あろうことか肩口に噛み付いてきた。
「ッつ! 痛てぇぇぇ!!」
苦悶の表情を浮かべ、思わず優馬が声を上げる。
「――陸っ!!」
詩織里の泣きそうな、悲鳴とも咆哮ともいえないような叫び声を聞き、俺は無意識のうちに体を動かしていた。
「やめろぉぉぉぉ! 優馬を離せッ!!」
相手を気遣う事なく、初めて俺は本気で人を殴った。当然人間を殴り慣れてなどいない……鈍い痛みが右腕に走り、そして、その痛みと同時にその不気味な男はつかんでいた優馬の両腕から手を離し、前のめりに優馬へと身体を預けるように倒れこんだ。
「助かったよ、陸……しかし、一体なんなんだよ……こいつ……」
「大丈夫か、優馬? それにしても、こいつ頭イカれてるぜ……神の啓示だとかなんとか……おまけに噛みついてきやがった! ありえねえっての!!」
「ねぇ優馬、もしかしてこの事件の犯人ってこいつなんじゃないかしら?」
「いや、それはさすがになさそうだな、これだけたくさんの人間を一度に殺せるわけがない。もしこいつが犯人なら当然凶器を持っているだろうし、しかも返り血などを浴びていなければ不自然だ。一見した所そんな様子はない、その事からもこの男が殺人鬼だとは考えにくいな」
「じゃあ、こいつは一体どうして優馬に襲いかかってきたんだよ」
「……ふぅ、そんなことはオレにもわからん……ッ痛てて」
傷ついた左肩を押さえ、苦痛に顔を歪めながら優馬が深く吐息をもらした。
「とりあえずいったん学園に戻ろうぜ。多分ここよりは安全だろうし、学園の保健室に行けば優馬の肩の傷の手当てもできる」
「そ、そうね、何はともあれ傷の手当てが最優先よね、たまには陸もいいこというわね」
「たまにはってのが余計だよ、ったく……」
いつもの様におどけてみせる詩織里だったが俺は気づいていた、詩織里が俺たちを気遣って強がっていること……そして、まだ両膝が小さく震えていることを――――――。
「――よし、じゃあ行くか」
肩口を押さえながら発した優馬の合図と共に、俺たちはいつもの人通りの少ない裏道を通り桜専学園に引き返した。まるで常しえに繰り返されるかのような更なる惨劇がまだ続いていることも知らずに――――――。