1-1 別離と人化と旅立ちと
「あのね、シノ。僕、暫く仕事でここを離れることになったんだよね。」
「!」
「だから、君も一緒に来ない?」
主人の言葉に息をのむ。ずっと、恐れていた事態、とうとう―
いつも通り、差し入れを持って遊びに来ていたノアを洞窟の入口まで見送って、バイバイって手を振る直前、告げられた言葉。ある程度、覚悟していた事態ではあるけど、やっぱり、普通に固まった。
「シノ?どうかな?」
「…」
見下ろしてくる眼差しの優しさ。あれ?うっかり忘れてたけど、この人イケメンじゃない?
再確認しながら、紅い瞳を見上げる。
ちょっと困ったような顔で笑う人、マイマスターノアは、ブラウ曰くこれでも売れっ子冒険者、高難易度クエストを請け負っては世界各地を飛び回る多忙の身、なんだそう。今、この近くのちっさい街に長々と逗留してるのは私のせい…、私のためだったりするらしいんだけど、どうやら、それも限界、ってことみたい。けど―
「…行かない。」
「…」
行けない。ヒナちゃん達から離れることなんて、考えられないから。
「ハァー。そっか。まあ、そう言うとは思ってたけどさ。仕方ないなぁ…」
「…」
一見、マイペース変態野郎にしか見えないノアは、けどいつも、テイムモンスターでしかない私の意思を最大限考慮してくれる。本来なら命令一つで何でも言うことを聞かせられるのに、「ヒナちゃんと離れたくない」っていう私の我儘をきいて、洞窟に居続けることだって許してくれているのだ。
「…ごめんなさい。」
彼の思いが嬉しくて、心苦しくて、頭を下げた。
「うん、いいよ。シノの意思を尊重するって約束だしね?今度の依頼、ちょっと厄介そうだから、シノはここに置いてったほうが安全かもってのもあるし。今回は諦めるよ。」
「ありが、」
「だから、シノも僕との約束は、絶対、ちゃんと、必ず守ってくれるよね?」
「ハイッ!」
ウルッときてたのに。ノアから漏れ出した不穏なナニかに、なんかもう全力で、挙手で、イイお返事をした。
「うん、良かった。あとまだ何回かは遊びに来れると思うし。仕事終わればここに戻ってくるから…。あ!そうだ!」
「?」
「あのね?シノに一つだけ、お願いがあるんだけど…」
『…何だよ?何で、そんな萎びてんだ?』
『ユージーか…』
ノアのお願いを受け入れて、ノアとの結び付きがちょっと強まって、だけど結局離ればなれになる事態に、ノアが帰ってから洞窟の隅っこ、岩陰でこっそり落ち込んでたら、ユージーに見つかった。
『…ノアが、仕事で遠くに行くんだって。』
『ふーん。』
『…』
返ってきたのは完全に興味ゼロの相槌。普通に相談相手を間違えた。ユージーに背中を向けて、壁に向かって丸まれば、
『シノさん?どうしたの?大丈夫?』
『マリちゃーん。』
背後からかけられた優しい声に振り向いた。
『…マリカ、ヒナコは?』
『おやつ食べたら寝ちゃった。…それで?何で、シノさんはこんなとこにはまってるの?』
『ああ、なんか、ノアがどっかに行くらしくてな、』
『え!じゃあ、シノさんは!?シノさんも行っちゃうの?』
『行かないよー。私はお留守番…』
慌ててるマリちゃんの声にモゾモゾと這い出せば、気遣わしげな様子のマリちゃんが居て、
『そっか…。シノさん、寂しいよね?』
『っ!マリちゃーん!』
優しいこと言ってくれるマリちゃんに思わず飛び付いてスリスリしてたら、何か、隣から呆れたようなため息が聞こえてきた。イラッとした。
『…これだから、女心のわからないスライムは…』
『何だそれ。』
毒づいてみたけど、軽く流されて、
『大体、お前、アイツのこと嫌いまくってただろう?それが、何でいきなり惚れたとか、そういう話になんのかがわかんねぇ…』
うん、ユージーの言うことはごもっとも。正直、自分でもどうなの?と思うとこもあるんだけど、
『確かにね?ヒナちゃん傷つけられたことには本気で腹立ってたんだよ?けど、一応、謝ったし、ヒナちゃんがもう気にしてないみたいだから、まあ、許してやってもいいかなぁ?って。』
『…』
[『あとは、わざわざヒナちゃん好みの差し入れチョイスして持ってくる時点で好感度プラマイゼロ。命助けてもらった時点でプラスに振り切った感じかなぁ?』
『お前…、テイムされてる身で、何でそんな上から目線なんだよ…。それに、感謝するとかならまだわかるけど、それだけであんなヤバそうな奴に惚れるとか、普通ねぇだろ。…やっぱ、見た目か?顔がいいからか?』
揶揄するようなユージーの問いに答える必要は無いのだけれど、だけど、ノアの容姿に惚れたわけではないのだと、そこだけはキッチリ言っておかなくちゃ。
『「顔」じゃなくて、「強さ」だよ。』
『…』
『強いのに、圧倒的に強いのに、私が凹んで見せただけで、途端に甘くなるでしょ?…優しさとは違うかもだけど、なんか、そこにキュンときた。』
『…何だそれ。』
『うーん。「クラスの不良が、雨に打たれる子犬を拾う瞬間を見ちゃった」みたいな?』
『…余計わかんねぇ。』
首を振って答えるユージーの横で、マリちゃんが呟いた。
『…私は、少しわかるかも。』
『は!?お前も、あんな変態野郎がいいのか!?』
マリちゃんのアシストの言葉に、ユージーが驚愕してる。ざまぁって思ったら、
『はぁっ!?ちょっと止めてよ!無い!アレは、ほんっと無いから!』
『…』
マリちゃん、素で暴言。ユージーはホッとしてるけど、え?一応、私の想い人なんだけどな?
『マリちゃんが普通に、ヒドい…』
『あ!?いや!そ、そうじゃなくて!その!あの人が無いってわけじゃなくて!あの変態具合がマジ無いっていうだけで!』
『…』
抉ってくるわー。
『け、けど、シノさんの言ってた、そのシチュエーション?っていうのか、シノさんがそういう気持ちになっちゃったのはわかるっていう話で…』
『マジでか…。なに?お前、ホントわかんの?シノの言ってること。』
『うん…。何て言うか、見た目チャラそうだったり、恐そうだったりする人が、捨て猫とかの保護動画アップしてて、凄く可愛がってるの見たりしたら、何て言うか…』
『…』
『す、好きにはなんないよ?なんないけど、何か、親しみがわくっていうか…』
一生懸命説明しようとしてるマリちゃん。先ほどの暴言は聞かなかったことにして、マリちゃんの言葉にウンウン頷いて賛同する。
『ギャップだよね!そんな一面見せられたらってやつだよ!』
『はぁ?』
『…』
マジで意味わからんって様子のユージーには、その辺の機微が理解出来ないスライムには、もう共感なんて求めない。諦めた。放っておく。




