4-2 Side Y
―シノさんに、呼ばれた気がする
狩りの途中、そう言い出したマリカの言葉に不安を覚え、大急ぎで森を出た。戻った森の入口、行きには無かった凍った地面と人間の姿、不測の事態にただただ不安が募る。
『…この人、生きてるの?』
マリカの言葉に、立ったまま凍りついている男に鑑定をかければ、レベルは6、問題なく「見る」ことが出来た男の残りHPは一桁を切っていた。鑑定では見ることが出来ないのか、男が所謂「状態異常」にあるのかどうかまでは分からない。が、少なくとも、生きてはいる。このまま放っておいた場合、どうなるかまでは不明だが―
『…コレを、シノがやったとは思えない。あいつも、コレをやったヤツに襲われたのかもしれない…』
『…』
先程からずっと意識共有で呼び続けているのだが、シノからの返事がない。最悪の事態が頭を過り始めた何度目かの呼び掛け、シノの代わりに聞こえた、微かな声。
『ユージお兄ちゃん、マリちゃん…』
『ヒナコか!?今どこに居る!?』
『洞窟の中。…あのね、この前のお兄ちゃんが、シノちゃんを、」
『!?そこに人間が居るのか!?』
『ヒナちゃん、待ってて!私たち、直ぐ行くから!』
急いで洞窟へと戻れば、いつもヒナコが居る場所、そこにある人影。ヒナコと対峙する男の姿に、全身が総毛立った。
『ヒナコ!』
「あ、仲間が帰って来たんだね、良かった。」
振り向いた男の腕の中、抱えられているのは見慣れた水色。だけど、明らかに小さくなってしまっているその身体が、ピクリとも動かない。
(っ!?やられたのか!?)
思い出す恐怖。何も出来ずに、無様に転がることしかできなかった。こんなにも直ぐ、この男と再会する羽目になるなんて。
やはり、あの時―
『っ!てめぇっ!シノを離せ!』
シノを奪い返そうと、男の腕に飛びかかろうとした寸前、
『ユージお兄ちゃん!このお兄ちゃんね、シノちゃんを連れてきてくれたの。』
『何…?』
血が上りきっていた頭に、ヒナコの言葉がうまく入って来ない。聞き返して、目の前の男を確かめれば、
「やー、やっぱ、壮観だねぇ。茶色に緑に水色か。あれ?茶色の子、ひょっとして、この前より大きくなってない?」
『…ユージお兄ちゃん、「大きくなった?」って。』
『は?』
見上げる男の満面の笑み。左腕に抱えたシノの身体を空いた右手で撫で続けている、その意図が読めずに困惑する。
(…なんなんだ、こいつ…。危険、ではない、のか?)
こちらを見下ろした男が、困ったように笑って、
「この子は…、ごめんね?テイム失敗しちゃって。回復してあげたかったんだけど、気絶させちゃった。」
『…』
苦笑しながらも、休むことなくシノを撫で続ける男は、何と言うか、こう、端的に言って、非常に―
『…ヒナコ、こいつ、何て言ってる?』
『「てえむ」失敗してごめんねって。シノちゃんは気絶だって。』
ヒナコの舌足らずな言葉に、正解を探す。
(「てえむ」?「テイム」か?)
シノをテイムしようとして失敗したということだろうか?失敗したせいで、シノが気絶した?では、やはり、シノが縮んでいるのはこの男のせいなのだろうか?よくある、テイム前提の攻撃でやり過ぎて気絶させてしまった?
男の真意を探して、シノを見つめる男の表情をうかがう。
男の手は、ずっと、シノを撫でたまま―
「…」
『…』
(ってか、しつけぇなっ!?)
無心でシノを撫で続ける姿を何も言えずに見守る中、男の手が漸く止まって、
「ああ!もう!本当、何なの、この手触り!?最高なんだけど!?」
『…』
(…やっぱ、こいつヤバイ。)
感極まってシノを見つめていた男のぎらついた視線、それがヒナコの方へと向けられ、一瞬で、温度を失った。
「…この子達は、お前が育ててるの?」
「…」
『…ヒナコ?大丈夫か?何て言われた?』
硬質な視線で、明らかにヒナコに向けられた言葉の意味を問えば、
『ヒナが、「ユージお兄ちゃん達を育ててるの?」って…』
『は…?何だそれ、どういう…』
意味がわからず困惑する。それでも、不穏なままの男の気配に、ヒナコを背後に庇うように動いた。
「お前、まだ幼体?弱そうだもんねぇ。」
「…」
こちらの動きに、ヒナコに向けられる男の言葉が鋭さを増した気がする。背後で身体を震わせたヒナコ。守るように、マリカが側へと寄り添った。
「…ふーん?この子達を盾にして、群れのボスでも気取ってるの?この子も、お前を守るためにこんな目に遭ったんだよね?」
『…』
「僕はね、この子達は好きだけど、お前には全く興味が無いんだよ。いや、むしろ邪魔なくらいかな?…ねぇ、『スライム擬き』?」
『っ!』
男の声の響き、威圧に、否応なしに身体が反応した。硬直しそうになった一瞬、それでも、背後、ぶるぶると震えだしたヒナコの気配を感じて、
『ヒナ!ヒナコ!もういい、何も聞くな!目ぇ閉じて、耳塞いでろ!』
ガチガチと、歯を鳴らす音まで聞こえてきたヒナコの様子に、舌打ちしたい気分になる。
(くそっ!失敗した!)
男の真意を知るため、唯一言葉の分かるヒナコに頼ってしまった。攻撃してこない男に危険は無いだろうと油断して、男の言葉の前に、ヒナコを無防備に晒してしまった。言葉が分からないからこそ、注意を払うべきだったのに―
(シノなら、きっと、もっと上手くやれた…。)
後悔に襲われる中、男が再び口を開いた。
「でも、まあ、この子達が君を仲間と認識してるみたいだから、手は出さない。せいぜいこの子達を大切にするんだね。」
言って、笑った男。
「…食うなよ?…僕に、消されたくなけりゃ。」
『っ!』
その凄絶な笑みに、こちらまで身体の震えが止まらなくなる。
(っ!なんっで、俺には攻撃手段が無いんだよ!?)
今ほど、これほど、悔しいと思ったことは無い。絶対的な強者の存在に抗えない、子ども一人守れない自分の弱さが―
『こっの、クソ野郎が!さっさと失せろ!』
結局また、思いっきり体当たりするしかなかった男への攻撃は、今度は簡単に躱されてしまい、
「ああ、ごめんごめん。君達に危害を加えるつもりはないんだよ?この子も、ちゃんと返すから。」
(クソクソクソッ!)
困ったように笑うだけの男が、シノを、石の上へと降ろした。
(ああ、クソッ、やっぱ、小せぇ…)
猫程度の大きさにまで縮んでしまったシノの姿に、恐怖が募る。そんなこちらの思いなど気づきもしないのだろう、男はまた、満面の笑みを浮かべて、
「脅えさせちゃったよね?お詫びに、はい!これ!置いてくね?こういうの好きなんでしょう?」
シノの横に何かの本を置いた。
「じゃあ、また来るね?この子の様子も見に。ギルドの方にも、もう今回みたいなことが無いよう、念押ししておくから。」
ヒラヒラと手を振り、飄々とした態度で洞窟を後にする姿。成す術もなく、男の金髪を見送った。




