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その後、ヒナちゃんとは二人で話をし、安全のためにお留守番をすることを納得してもらった。あとは、ちゃんと怪我せず帰って来るという約束もして。
それから、ギルドを出たその足で、目的もなしに街をブラブラし始めたのはいいんだけれど、ギルマスが「二人つけた」という監視の人の姿は特定することさえ出来ず。それを「流石プロ」と感心するよりは、「え?本当にいるの?」という不安感に苛まされる任務、早々に疲弊して、「どこかで休憩でも」と考えたタイミングで見つけてしまった。というか、見つかってしまった。
「…おや?シノさん、今日はお一人ですか?」
「ええ、はい、まぁ。」
「昨夜は、あの後、いかがでしたか?宿の方は何も問題ありませんでしたか?」
「いえ、それはもう、快適に過ごしております。はい。」
任務中とはいえ、親切の塊みたいな笑顔で話しかけてきたカイダルさんを無下にもできず。世間話に咲きそうになる花をそれとなーくむしり取っていたつもりだったんだけど、
「シノさん、良ければ、そちらのお店でお茶でもいかがでしょう?」
「えーっと…」
「あなたとは、もっとお話をしたいと思っていたんです。」
カイダルさんが誘ってくれているのは、今まさに私が茶でもしばくつもりで入ろうとしていたお店。多分、カイダルさんも私が店に入ろうとしていたことに気づいてる。
(うー、しかも、一宿一飯のご恩があるんだよなー。)
律儀なスライムは、そういうのに弱い。ここは致し方ない、カイダルさんも巻き込もうと決めて、彼の誘いにのることにした。それでも、どこかにいらっしゃるはずの監視員さんのため、意識高い系のスライムはテラス席をチョイスする。
(ここなら、三方位丸見え。)
決して、知り合いとお茶してさぼっているわけではない、ということを分かって頂きたい。
「…シノさんは、今は何をされていらっしゃるんですか?」
「え?今、ですか?」
ナウ?この瞬間?見張られてますけど?
「はい。…この町で仕事を探すというのは大変でしょう?特に、モンスターテイマーというお仕事では。」
「あー、はい?まあ?」
絶賛、お仕事中のモンスターテイマーですが、ここは謙虚に話を合わせておく。
「そう言えば、今日はシノさんのスライムはどちらに?」
「お留守番、です。」
「なるほど。」
ちょーっとボカして曖昧な態度をとり続けていたら、優しく笑ったカイダルさんとガッツリ視線が合って─
「…シノさん、実は、私、こう見えて、モンスターなんです。」
「は…?」
「ドッペルゲンガーという種族なんですけどね?…驚かれました?」
「…」
「この姿は、かつての、…まあ、何と言いますか、雇用主とでも言いますか…、その男の姿を借りたものなんです。」
「…」
「…あまり、驚かれませんね?」
突然の、カイダルさんの告白。どこまでも穏やかに語られるそれは、多分、真実だと感じられるもので、ただ、同時に、心の奥底にある不安を掻き立てられるような気がしてくる。
「…では、もう一つ。これは、どうでしょう?」
「…」
「私には、『審美眼』というスキルがありましてね?」
言ったそばから、男の眼が眼鏡の下で淡く光った。
「私の『眼』には、最初からあなたがスライムに見えているんです。…それに、あなたのスライムは非常に可愛らしい女の子に。」
「…」
嫌な予感、なんてものじゃない。一気に膨らんだ不安感に、飲み込まれそうになる─
「私には、あらゆるものの真実の姿が見える。」
「…だから?だったら、何?私達の正体を知って、それでどうするつもり?私達を捕まえる?ギルドにつき出す?」
「まさか。そんなことはしませんよ。言ったでしょう?私はあなたと話がしてみたかったんです。」
男の口元に浮かぶ柔らかい笑みに、背筋が震えた。
「シノさん。これは、ほぼ確信に近い、私の推測なのですが、シノさんとスライム、あなた達二人とも、元は人間、ではありませんか?」
「!?」
「私には、あなた方の真の姿だけでなく、銘が見えるんです。ヒナコという名は、こちらの世界ではとても珍しい。」
「…」
(まさか…)
男の「こちらの世界」という言い方に、浮かんだ可能性は一つ─
「それにですね、シノさん。スライムでありながら、あなたは非常に人間くさい。…シノさんは、地球、日本、ああ、そう、太山駅でもいい、聞き覚えはありませんか?」
「!?」
「やはり、そうですか…。あなたも、あの日、バスに乗っていた。そうなんですね?」
確信めいた男の言葉に、何と答えるべきかを逡巡する。恐らく、彼は同じ世界から来た、仲間、のようなもの。だけど何故か、男の問いに頷くことが出来ない。この男の何かが、恐い。警鐘が鳴り止まない。
「そんなに警戒しないでください。お気づきでしょうが、あの日、私もバスに乗っていた、元人間、元日本人です。」
「…」
「それに実は、以前にも同じようにあちらの世界から『転生』してきたという女性にも会ったことがあるんです。…まぁ、女性と言っても彼女もモンスター、ハーピーでしたが…」
男の口元から、笑みが消えた。
「あなたに、お尋ねしたいことがあったんです。…この世界からの帰り方を、何かご存じありませんか?」
「帰、る…?」
言われた言葉に、今まであまりその事について考えたことが無いことに気づいた。
(帰る?出来るの…?)
初めてみんなと出会った日、取り乱したマリちゃんに、ユージーは「帰るのは無理だ」という反応を示していたし、それ以来、そういう話はしてこなかった。
だから、今まで─
「…やはり、ご存じではありませんか?」
「…知らない。」
「そう、ですか…」
フッと息を吐いた男の、恐いくらい真剣な眼差しがこちらを見つめる。
「あなたは、元の世界に帰りたいとは思わないのですか?…帰れないことを悲観していないように見えますが。」
(どう、だろう…?)
もし、帰れるとしたら?私は、帰りたい─?
「…私はね、あちらの世界では画廊を経営しておりまして、そこそこに順調な人生を歩んでいたわけですよ。」
身体の力を抜いた男が、椅子の背に身を預けた。
「それが、気づけばこんな世界で、実体のない影のようなモンスター。いやぁ、色々と苦労しました。」
「…」
「…苦労した結果、この私の姿の元になった男、この町の、まあ、何というか顔役のような男だったんですけどね?そいつに出会ってからは、少しだけマシになってきたわけです、こちらの私の人生も。それでも…」
「…」
それでも、元の世界に帰ることを諦めきれない─
暗く淀んだ目に、男のそんな妄執が伝わってきた。
「…すみません、長々と話をしてしまいましたね。お話したかったというのは、このことなんです。」
「それじゃあ…」
話はもうおしまいだろうと腰を上げた。男が同時に立ち上がり、
「シノさん、良ければ、私のお店に遊びに来ませんか?」
「いえ、行かないです。」
「そうですか、それは残念です。…ですが、きっと直ぐに、遊びに来たくなると思いますよ?」
「え?」
「ああ、但し、遊びに来る時はどうぞお一人で。」
男が、背を向けた。その背がどこか霞んで見えると気づいた瞬間、男が振り返り─
「…ヒナコちゃん、とても可愛らしいお嬢さんですね?」
「っ!?」
「それでは。」
「待って!」
制止の声が男に届く前、男の姿が霞のように霧散した。
(っ!ヒナちゃんっ!)
考えるより早く、ギルドに向かって走り出していた。色々、考えるべきことはあるのに、恐怖で頭が回らない。たどり着いたギルドで、カウンターの中に見つけたその人に走り寄った。
「あら、お帰りなさ、」
「ヒナちゃんはっ!?」
「え?二階に。」
『ヒナちゃん!ヒナちゃん!』
意識共有で呼びかけながら、二階への階段を駆け上がる。飛び込んだ部屋の中、そこに、確かにあるピンクスライムの姿。だけど─
『…ヒナ、ちゃん?』
応える声がない。
近づいて、伸ばした手、触れたと思った瞬間に、ヒナちゃんの姿をしていた影が霧散した。




