1-5 Side Y
シノとヒナコが消えた─
朝、目覚めた宿屋の一室、異変には直ぐに気が付いた。マリカと並んで寝ているはずのヒナコと、二人のベッドの下で寝ていたはずのシノの姿が見えない。シノが黙って部屋を出ていくとは考えにくい、一人ならばともかく、ヒナコまで居ないとなれば─
「…マリカ、俺はノア達の部屋に行ってくる。お前は、意識共有で呼びかけ続けてくれ。」
「…わかった。」
蒼褪めた顔で頷いたマリカを置いて、部屋を出る。
「…ノア、ブラウ、すまん。シノ達、こっちに来てないか?」
「え?」
部屋の外から声を掛ければ、中から帰ってきたのは驚いたようなノアの声。それから少しの間があって、
「シノ、部屋に居ないの?でも、あの子の反応はちゃんと…」
言いながら、足早に部屋を出てきたノアが、そのままマリカの待つ隣の部屋の扉を開ける。部屋の中、置かれたテーブルの前で固まるマリカと目が合った。
「…ユージ、これ。」
「?」
「っ!これ!シノっ!?シノはっ!?」
マリカの指差したもの。テーブルの上にあるのは、随分と縮んでしまっているが見慣れたフォルムに見慣れた水色をした─
「…シノ?」
「違う!というか、ああ!もう!シノの一部、あの子!所有紋だけ切り離してる!」
「は…?」
ノアに言われた言葉を理解するために、掌サイズのシノの半透明の身体の中を覗き込めば、確かに、そこにあったのは六つの鱗でできた紋。
「なにっ!?なんで所有紋だけ!?シノは!?これ無きゃ、シノの居場所、追えないじゃない!」
「…」
半狂乱になるノアを尻目に、目の前でプルプル揺れるシノの一部を見て考える。先ほどよりもずっと落ち着いていられるのは─横でノアがパニクってるせいもあるが─、ここに所有紋があるということは、恐らくこれはシノの意思。シノが自らここを出て行ったということ、しかも、探されることを望んでいない─?
「…ユージ、あと、これも。所有紋の下に置いてあった。」
言って、マリカが差し出したのは小さな紙片。何かの裏紙のようなそれに、日本語で書かれていたのは─
『ヒナちゃんと家出します!
一か月くらいで帰るので
心配しないで
待っててください!
シノ (^ v ^)d』
相変わらず空気を読まない顔文字つきの文章に力が抜けた。隣で恐慌をきたしているノアにもその内容をそのまま伝えてやるが、
「何で!?家出ってなに!?あの子、僕のテイムモンスターでしょ!?」
「何で、ってわれてもな…」
一つだけ、思いつくのは昨日のシノの姿。ブラウの言葉に落ち込んで、萎れていた。
(…傷心旅行?いや、けど、それにしては、なんかこう、悲壮感がねぇんだよな…)
しかも、ヒナコを連れて行っている。傷心とは違う気もする、が、それもまた、シノらしいと言えばシノらしい。何とも判断のしづらい状況に口をつぐめば、ノアの声音と視線が湿度を増した。
「…ねぇ?なんで?…なんで、シノが家出なんてするのさ。」
「それは…」
答えを躊躇った。心当たり程度のそれを口にすべきかどうか迷った、数瞬─
「…言わないつもり?」
「っ!?」
「きゃぁあっ!ユージ!?やだ、止めてよっ!」
突如、背中を襲った痛み。気づけば、壁に叩きつけられていた。身体がそのままズルズルと床に沈む。
(魔力?吹っ飛ばされた?…動けねぇ…)
ギリギリと押さえつけられるような圧を感じる。身を起こすことさえ出来ない状況に、昨日の男の姿が重なった─
「…いい度胸じゃない?僕に隠し事?」
「隠すつもりは…」
「だったら、知ってること全部さっさと吐いて。シノの居場所。早く追いかけたいから。」
「居場所までは、分かんねぇ…」
「…へぇ?」
「グッ!」
増した圧力に、身体がきしんだ。思わず漏らしたうめき声に、マリカの悲鳴が重なる。
「イヤァアッ!?やめてよ!本当にやめなさいよ!シノさんがどこにいるのかなんて、私達だって本当にわからないんだからっ!!」
「…」
「シノさんが出て行った理由も!知りたいなら、ユージじゃなくてブラウに聞けばいいでしょうっ!?」
「…ブラウ…?」
ノアの視線が、─いつからそこに居たのか─部屋の入口に佇んでいるブラウへと向けられた。
「責めるんだったら、ブラウを責めなさいよっ!!シノさんが出て行ったの、その人のせいなんだから!早くユージを放してっ!!」
「…」
マリカの叫びに、かけられていた圧がゆっくりと解けていく。何とか身を起こせば、既にこちらへの興味を失ったらしいノアがブラウへと歩み寄って行くのが見えた。
「…ねぇ、ブラウ、どういうこと?本当に、ブラウがシノに何かしたの?」
「まぁ、そうなるであろうな。我の言葉がシノを追い詰めたのは間違いない。」
「…昨日は、そんな話、してなかったよね?」
「ふむ。…語るほどのことでもないと思っておったのだ。」
「そう…」
(っ!?)
一瞬、何が起こったのかわからなかった。ドラゴンであるはずのブラウが青い炎に包まれた。それが、ノアの魔法攻撃なのだと気づいたのは、ブラウの身体が床に沈むようにして崩れ落ちていったから。床を焼かない炎は、ブラウの身体だけを焼き尽くし─
「ッキャァアァア!?」
(っなんだ、これ…!?)
焼け落ちたと思ったブラウの身体が、徐々に元の身体を取り戻し始めた。
(再生!?いや、でも、これじゃ…)
間に合わない。消えない炎が、再生されたそばからブラウの肌を焼いていく。
「いや…、イヤイヤイヤイヤイヤーッ!?」
「っ!?」
マリカの悲痛な叫び声に我に返る。
「っ!ノア!止めろ!お前、何考えてんだっ!?」
「…」
制止の声に振り返ろうともしないノア。何とか、その気を引くために─
「シノが!こんなん、シノが知ったら絶対泣くぞ!絶対、凹むからな!」
「…」
「シノ」という言葉に反応したのか、青い炎が徐々に勢いを失っていく。その中で再生していくブラウの姿。だが、その肌には痛々しいほどの火傷の痕。そのまま床に倒れ伏したブラウを、だけど、ノアは一顧だにしないまま─
「…シノを、探しに行くから。ついて来て。」
「俺たち、か…?」
「うん。…同じ群れから発生したスライムは集いやすい。…あの子がどこに行ったのか見当もつかないから。君たちが考えて行動して、協力して。」
「…分かった。」
有無を言わせぬノアの態度に頷くことしか出来ない。こちらの了承を見てとったノアが、そのまま部屋を出ていこうとするから、慌てて呼び止める。
「おい!ちょっと待て、ノア!ブラウを、…このままじゃ流石にまずいだろう?」
「…」
まさに、虫の息といった状態のブラウに視線を落としたノアが、耳につけていたリングを指先で弾いた、かと思うと─
「…ああ、エスカ?君、今どこに居る?…そう、じゃあ、ブラウを迎えに来てよ。ランウッドの宿に居るから。…うん、…ああでも、早くしないと死んじゃうかもね。」
「…」
一方的にどこかとの通話らしきものを終えたノアが一つ、大きくため息をついた。その視線がテーブルの上、置かれた水色の塊に向けられる。
「…」
伸ばされる右手─
「…」
「っ!?」
握りつぶれ、グシャリと音を立てて飛び散った水色の飛沫は、やがて跡形も無く消え去った─
「…じゃ、行こうか。」




