5-8 Side Y
「た、頼む!聞いてくれ、俺は、俺だって、人の血を吸うなんて真似、本当は嫌だったんだ!したくなかったんだよ!けど、仕方なかったんだ!」
「ヴァンパイアが面白いことを言うね?でもまぁ、嫌だろうとやっちゃったことはやっちゃったことだから。」
「っ!」
揶揄するノアの言葉に、男の顔から完全に血の気が引いた。震える唇で何とか紡ごうとする言葉を、止めるべき、そうわかっているのに─
「お、俺は!元は人間だ!人間だったんだよ!それが、気が付いたらヴァンパイアに生まれ変わってて!」
「っ!?」
男の言葉に、シノが息をのんだ─
(ああ、クソッ…)
シノの、驚きと恐怖と、それから、こちらに対する怒りの感情が、意識共有にのっかって伝わってくる。
「…ユージ―、どういうこと?もしかして…」
「…」
シノは、馬鹿ではない。いつか自身が語った「あるかもしれない」可能性に、既に思い至っている。思い至って─
(俺が気付いてたってのも、バレてんな、これ…)
だから、俺に怒っている。俺が男の正体を黙っていたこと、黙ったまま、男を殺そうとしたことに。
「…こいつの名前は『セイタロウ』、種族は確かにヴァンパイア、…『不死者の王』の称号を持ってる。」
「じゃあ、やっぱり…」
「ああ。」
こちらでは聞き馴染みの無い名前、モンスターには稀だという称号持ち。何より、自分が「人間だった」という意識を持つ。それが意味するのは─
「…こいつは、多分、俺たちと同じ、だ。」
「…」
絶句したシノの視線が、男に縫い止められる。まじまじと見つめる視線。こちらのやり取りに何かを悟ったらしい男が、こちらにすがるような視線を向けてきた。
「スライムが、しゃべって…。お、同じってことはもしかして、あ、あんた達もあのバスに乗ってたってことか?あんたと、…こっちのスライムも、元人間、元日本人、ってことだよな?」
「…」
「…シノ?…ユージ、説明してくれる?」
男の言葉に、ノアが不審の言葉を向けてきた。それに対する答えをどうすべきか、本来なら、この場の勢いで決めていいようなことじゃない。
だが、この場の決定権を持つのはノア─
(…ゼロに近い可能性だとしても、万一にも、この男を救えるとしたら、それは…)
「…シノ、すまん。話す。」
「うん。」
自分の、独り善がりの危険な判断。にも関わらず、あっさりと同意したシノに、「そうだろうな」と嘆息する。
だからこそ、シノに何も気づかれない内に、目の前の男を自分の手で殺しておきたかった。そう、するべきだった。この男の命よりも、自分たちの身の安全を優先するため、過去を晒す危険など冒すべきではなかったのに─
(…シノにバレた以上、シノはこいつを切り捨てられない。)
そして、結局、シノのその考え方に自分は甘えているのだ。だから、最後の最後で覚悟もできずに、こんな風に無様を晒す。
「…ノア、俺たちには、『人間だった』という過去、…おそらく前世の記憶があるんだ。」
「…君たちってのは、君とシノ、それから外の二人も入れてってこと?」
「ああ。…そして、多分、こいつも。俺たちは、こいつの名前にも、『バス』って単語にも、思い当たるもんがある。というか、違和感がない。」
「知り合い?なの?」
「いや、知り合い、ではないが…」
言って、シノやヒナコの知り合いである可能性は残されていると気づいたが─
「やっぱり!あんたらも、あのバスに乗ってたんだな!なぁ、だったら、頼むよ。助けてくれよ。分かるだろ?俺だって、元はただの人間だったんだ。それが気がついたらこんな世界で、ヴァンパイアなんかになっちまってて…」
「気がついたらってことは、バスで何があったか、覚えてないんだな?」
「あ、ああ、そこだけは、覚えてない。けど!俺は確かにバスに乗ってたんだ!嘘じゃない!会社行く途中で、毎朝乗ってた!あの日も同じで、」
「ユージ、君達が騙されてるって可能性はない?この手の種族は人を誑かすのが得意だよ?」
「嘘じゃない!本当なんだ!信じてくれ!俺、俺の顔!見覚え無いか!?人間だった頃の面影があるんだ!あの日は、後ろの座席、二人掛けの窓際に座ってた!」
「…」
男の顔を見る。こちらの世界の人間、前世の感覚で言うと堀が深い顔立ちに、元日本人の面影を見てとるのは難しい。
朧気ながら覚えているあの日の車内、自分の周囲に居た会社員らしい男女の姿。顔まで覚えているわけではないから、そこにこの男が居たことを、否定も肯定も出来ない。
(…だが、少なくとも…)
子連れは居なかった─
その事実を持って、腹を括る。
「…あんたの境遇については同情する。突然こんな世界に放り出されたんだからな。…けど、あんたの処遇、あんたをどうするかについて、俺らに決定権は無い。」
「そんなっ!?」
「判断するのはこっちの男、俺たちはこいつの指示に従うだけだ。」
男を、切り捨てる覚悟。
強者であるノアに逆らい、「人間」に敵対してまで男を助けるという選択肢を取る強さが、俺には無い。
この男の助命に、何か出来ることが残されているとすれば、男の情状酌量をノアがどれだけ汲んでくれるか、その後押しが出来るかどうかくらいのもの。
「ノア…」
「うん?僕の判断っていうなら、答えは最初から出てるんだけど。」
ノアの視線が、シノへと向けられた─




