09:フラッシュバック
「あら乃里子、傘は? 駅まで入ってく?」
「ううん、いいの」
定時きっかりに仕事を切り上げ、いつもどおりにビルを出る。結衣がピンク色の傘を広げて少し首を傾げるけれど、
「そう、じゃ、お先ね!」
と無邪気に笑って雨の中へ出て行った。
本当に、結衣のああいうところはすごいと思う。多分自分では理解してるとかそういう深いものはないんだ。ただ、そう感じるからしてるだけで。問質されない心地よさの所為で、私は結衣が好きだ。
雨の滴る灰色の空を見上げ、それから首を伸ばして公園の方角へ向けると、ぼやけたようなピンク色の塊が見える。
しばし考えて、私はそのまま雨の中へ足を進めた。そんなに降っているわけではない。静かに泣いているようなそんな雨の中、ゆっくりと私は公園へと向かった。
彼は、いるのだろうか? いや、いたとしても――会いに行ってどうしようというのだろう。名前さえ知らない相手だ。結衣の言葉を信じれば、『彼は私を好ましく思っている』ことになるのだろうか?
そう考えて、初めて私は視線を伏せた。半年前までに付き合っていたある男性のことを思い出したからだ。
あのひとはいい人だった。初めは私の突拍子もない話にびっくりしてはいたけれど、だんだん結衣と同じように聞いてくれるようになった。……最後には、眉を顰めて溜息をつくようになってしまったけれど。
『キミの考えてること、僕には到底理解不能だ。その話を聞いて僕はどうしたらいい?』
吐き出すように言ったその言葉は、私が幼い頃から良くぶつけられたものだった。最初はあんなに楽しそうだったのに。理解を示してくれていたのに。
同じ言葉が時を経るごとにどんどん違う捉えられ方をするのは、それこそ私には『理解不能』だ。
嫌なことを思い出した。足取りが重くなる。このまま私はどこに行こうというのだろう。彼に会いに行って、どうしようというのだろう。今更また、誰かが理解してくれるかもしれないなんてそんな思いはもう――
諦めかけていたのに。