08:リビドー
翌日、お約束のように「眠れなかった」なんてことはなく、私はいつもの時間に眠っていつもの時間に起き出した。いつもと違うことといえば……微かに雨が降っていることだろうか。
「残念ねぇ、これで散っちゃわないかなー」
長い髪からいい香りをさせて、結衣が私の耳に唇を寄せる。そのピンク色にどきりとするのはきっと、私だけじゃないはず。
でもその視線の先は窓から見える公園のピンク色に注がれたままだ。
「まだヘーキっしょ。それよか乃里子、昨日残業だったんだって? お疲れさん」
なづきが言って軽く肩に触れる。そういえば彼女はスキンシップが好きなのか、よく小突いたり掴んだり、飲んだあとは私を抱きしめて喚いたりする。
「ねぇ、どういうときに抱きしめる?」
唐突な私の質問に、なづきは一瞬瞠目する。まだ慣れていないのだ。結衣は逆に待ってましたとばかりににっこりと微笑んで頬杖をついた。
「そうね、相手がいとおしくなったときかしら?」
「いとおしいって? 性欲ってこと?」
「……ストレートだねぇ」
前髪をかきあげながらなづきがちらりと私を見た。
「違うの?」
そう訊ね返すと、なづきはぐっと顎を引いてそれから視線だけで結衣に助けを求めた。結衣が困った子供をあやすように溜息をつき、首を振る。髪も揺れる。
「そればっかりじゃないわ。だってなづきもよく乃里子のこと、抱きしめるじゃない?」
「ちょ……!」
慌てたなづきが口を挟もうとするのを気にせず、うんうん、と私は頷いて真面目な顔で聞き入った。
「つまり、親愛の情ってことよ。あなたを好ましく思っています、っていう、ね」
「ふうん……」
彼はあの時私を好ましく思っていたのだろうか。会ったばかりで何を話したとも言えないような私を。
じゃあ私は彼をどう思っていたのだろう? 突然そうやって親愛を示した彼を。
答えは出なかった。ただ、嫌ではなかったことだけを思い出していただけで。