32:ファクター
彼を見上げると、戸惑いを宿した目が一瞬私のそれとぶつかったかと思うと、すぐに逸らされた。頬が赤く染まっているのは何故だろう。
「違うの」
今の苦しさは、あの桃色の天井のせいではない。そして彼の腕のせいでもない。強いて言えば私の心の持ちようなのだ。それを彼に――どう言ったら、伝わるのだろう。
「あのさ、俺……」
私の言葉を待たずに、彼はおずおずと切り出した。しかし、目が合わない。そわそわとした仕草は今までになく不安を募らせる。
「俺……あんたに、会いたかった」
彼が目を逸らしていてくれてよかったと、私はその時思った。自分でもわかるくらいに耳が、熱い。その理由は自分でもわかっている。
「あんたに会いたかった。あんたを守ってやりたかった。あんたを泣かせたくなかった。だけど俺、こないだみたいなこと――」
彼は一気に続け、そこでふつと言葉を途切らせる。彼の言う『こないだみたいなこと』が何を指すのか、私は正確に捉えたつもりでいた。だって私もずっと、そのことを考えていたのだから。
私が顔をあげると、彼は眼を閉じて大きく肩で呼吸を整えていた。
「こないだみたいなこと、いきなりすんのは、良くないと思う。ごめん。悪かった」
彼はそう続けると、子供みたいにぴょこんと頭を下げた。私は彼のつむじを眺めながら、なぜか温かい気持ちになっているのを否めない。
「ひとつ、質問と、それから、伝えたいことがあるの」
私がゆっくりとそう言うと、彼は頭をあげてまっすぐに私を見る。酷く真面目なその表情は、どこか怒っているようにも見えるけれど、彼はそのままゆっくり頷いた。
「――身体の方に興味がある、っていうこと?」
私の質問に、彼は目をまん丸くさせて数回瞬きを繰り返すと、目を逸らして口元を手で蔽い隠した。