27:ブラックコーヒー
結衣に言われた言葉を、私はそれから数日ずっと反芻している。
もう一度会ったほうがいい、と結衣は言った。――けれど、どうやって? 私たちはお互い名前も連絡先も知らない。あの公園で偶然に任せて会っただけだ。そう、たった三回会っただけ。
その事実は私を軽く打ちのめした。三回会っただけの人間。名前も知らない。どこに住んで何をしているのかも。そんな相手が忘れられないなんておかしいかもしれない。
結衣はあれきり、私に言った科白なんて忘れてしまったかのようにいつもどおりだ。結衣にとってはもしかしたら普通のことなのかもしれない。
なづきは翌週、「随分酔っ払ってたね、おふたりさん」と苦笑気味に言っただけ。そんな彼女に結衣が言ったことを覚えているかと問うのは憚られた。なづきは敢然たる現実主義者だからだ。
「おや珍しい、残業?」
デスクで書類を触るのに飽きが来て、うろうろと給湯室を通りかかるとなづきに声をかけられる。愛用の黒いマグカップの中はブラックコーヒー。香りが立ち込めている。
「うん、ちょっと昼間ミスっちゃって」
黙って私のマグを取り出してインスタントコーヒーをいれて手渡してくれる。受け取ってポットのお湯を注ぎながら答えると、タイミングよく牛乳のパックも差し出される。――こういうところ、なづきはよく気がつくんだ。
「今日はいい」
「へぇ。悩んでるワケ?」
ストレートに指摘されて、私は答えずにコーヒーを啜る。口内に苦味が広がって眉を顰める私を見て、パックを冷蔵庫に戻しながらなづきが笑う。
「あんた、悩んでるとブラックで飲んでる」
「……そう?」
「そーオ」
しばらく流し台に寄りかかってマグを見つめてると、なづきが軽く訊ねる。
「何、こないだ結衣が言ってたコト?」
「……」
コーヒー、苦い。
「あれは結衣の考え方だからね、そいつをなぞるかどうかはお前さん次第だよ」
「なづきなら?」
眼をあげてなづきを見ると、彼女はにやりと笑ってマグの中身を飲み干した。そしてカップを手早く洗いながら答えてくれる。
「あたしなら、とか結衣なら、は関係ないっしょ。要はあんたが―――乃里子がどーするか、ってコト」
「でも、普通なら……」
「普通? 普通って何さ?」
マグを洗い上げ、手を拭きつつなづきが鋭く切り返す。