25:ディオール
「で、乃里子」
結衣が居住まいを正して私に向き直る。その向こう、なづきは既に戦線離脱を決め込んで我関せず、まっすぐテニスコートを見ていた。
「その男、どこの誰なの?」
「え……っと……?」
「名前は? 幾つ? 何してる人?」
立て続けの結衣の質問に眼を瞬かせながらも私は答えた。――いや、結衣にとっては答えになっていなかったけれど。
「名前……知らない。たぶん年下だと思うんだけど。学生……?」
「乃里子、あなた……」
結衣が大きな瞳をもっと見開いて、続けた。
「まさかどこの誰ともわかんないような男と?! 何でそんな迂闊なこと――!」
「キスするのは、迂闊なこと?」
……多分。結衣が考えてることと実際私が言おうとしている彼とのかかわりは大きく違うだろう。
「キスした、だけ?」
「抱きしめられた」
「……で?」
「それだけ」
はぁ、と結衣が溜息をつく。その向こう隣のなづきは呆れたような視線を結衣に送っている。きっとなづきにもわかったんだろう、結衣の考えてることが。
「えーと……乃里子」
「うん?」
「……それ以上、は?」
いきなり抱きしめられてキスされて、それに驚いて逃げてきてしまったなんて――だけどその彼の行為が全然嫌じゃなかっただなんてこと、言えない。言いたくない。
俯いた私の様子を見て結衣は『言いたくないらしい』というところまでは私の気持ちを感じ取ってくれたものの、『どうやらそれ以上されたらしい』と違う方向に勘違いをしたようだった。
「乃里子、あなたも気をつけないと。そりゃあ男のほうが力もあるしいざってときに抵抗は出来ないけれど……でもね、そういう男についてった乃里子も乃里子よ?」
結衣の勘違いを訂正しようかと口を開きかけたき、目の前のテニス軍団がざわざわとコートを出て来る。それをきっかけになづきが立ち上がり、私たちを見下ろした。
「とりあえず、そろそろ戻りませんかね、お嬢さん方。続きは夜、ってのはどうさ?」
同意して立ち上がった私の右腕がふわりと結衣の左手に取られる。腕に絡まった細い腕と、香った甘いディオールの香りにふと、欲情ってこういうことだろうか、と考えた。
「あまり深入りしちゃ駄目よ? ね?」
耳元でそう囁いて、ピンクの唇はにっこりと笑う。