20:ブレイクダウン
風邪で休みます、の電話は案外スムーズに受け入れられた。寝起きの声が風邪声に聞こえたらしい。
昨夜、どこをどう帰って来たのかわからない。気がついたら自分のアパートの前だった。あの公園から真っ直ぐ帰れば五十分で着く筈が、時計はゆうに三時間の経過を示していた。顔さえもろくに洗わずにベッドにもぐりこんで眠った。あの一瞬を思い出したくなくて。
でももう一方では彼の温もりを呼び起こそうとしている。嫌じゃなかった、ともう一度思い返す。彼の腕と唇と。
ごそごそとベッドを這い出してユニットバスにお湯を落とし始めると、まだ踝までしか溜まっていないお湯の中に蹲って膝を抱える。ざあざあというお湯の落ちる音だけが耳に響き、他の何もかもを消し去ってくれる。じんわりと温かい湯が確実に身体を温めてくれる。そんなことが嬉しくて膝に顔を埋め、深く溜息をついた。
いつもより多めに使ったシャンプーとボディソープで体中を泡だらけにすると少しだけ気持ちは晴れた。どうせならバブルバスにすればよかった、とお湯を抜きながら考えた。
髪を簡単にタオルドライしたあとでお湯を沸かし、コーヒーを入れる。立ち上るその香りでまた少し、慰められる。
天気のいい平日に風呂に入り、洗濯もせずにぼんやりとコーヒーを飲んでいる自分が急に客観的に見えて私は苦笑した。
彼は……どうしているんだろう。逃げてしまった私が彼を傷つけていなければいいと願うばかりだ。あんな場面で逃げ出すなんて――随分臆病になったものだ。十代の若い女の子だってあのくらい。
嫌じゃなかった、と思い出す。そして自分で自分をぎゅっと抱きしめてみる。自分の身体の温もりはわからない。彼を抱きしめた時は――とても温かかった。そう、唇も。
結衣だったらきっと、『乃里子、その人に恋したの?』なんて言うんだろう。でもそう聞かれてノウと即答できる自信はなかった。返って言葉に詰まってしまうだろう、と思う。
じゃあ? じゃあ本当に私は彼に恋をしたのだろうか? 彼を好きなのか? 彼に欲情するのだろうか? その答えもまたノウだ。
雨戸のない窓は、カーテンの隙間から陽光をちらつかせる。彼はまたあの場所にいるんだろうか。もしいるのなら私は――彼に会いに行くのだろうか。