19:キス
彼に抱きしめてもらっているのは、とても幸福だった。温かく優しく、包んでもらえている感覚。まるで守ってもらえているかのような。束の間、その時間を貪る。
ふと気付いたのは、私のことじゃなく彼のこと。さっきふと見えた衝動を彼はするりと押さえ込んだ。こんな風にしてもらっていながら彼にはそれを許さないことで私は、彼を利用しているのではないか。
そう思うと居た堪れない。自分が癒される為に他人を利用する自分の汚さに自己嫌悪が走る。下唇を噛んで俯き、その温かな胸を押し戻す。そして痛いくらいの後悔と一緒に彼に背中を向けた。
「ありがと」
それだけ、素っ気無く残して。
「ちょ……!」
慌てたような声が背中で聞こえたと思うと、左手首がつかまれて足が止まる。
「……どした?」
「なんでもないの」
早口にそう否定する。
「……なんでもなくない、よな?」
「………」
「どうした?」
一刻も早くそこから逃げ出したくて、情けない自分を振り切りたくて私は顔を背けたまま頭を振る。思いのほか彼の力は強くて、そのまま手首から引っ張られ、抵抗するもほとんど歯が立たない。右手もつかまり、両腕をしっかと持たれたけれど……顔は上げられなかった。
情けなさと自己嫌悪とで涙が零れる。
「顔、上げろ、よ」
彼が掠れたような声で言うけれど応えられず、私は黙ったままだった。
「顔、見せて」
重ねて言われた言葉に、少しだけ頭を振った。
――と。
いきなり左手首が自由になったかと思うと今度は無理矢理顎を上に向けられ、涙を隠そうとする動作さえも追いつかないまま――いきなり、唇が塞がれた。
咄嗟のことで一瞬動けず、我に返ったときには身体を引こうとする私を彼が強引に抱きしめていた時だった。
混乱する思考の中、冷静に考えようと肩の力を抜く。彼の腕が、私のその仕草を安堵と捉えたように緩くなった。
反射的に私は彼の腕を振り解く。唇が離れる。彼の目に後悔と欲望と謝罪の色が見える。涙もそのままに数歩あとずさって、違う、と言おうとするけれど声が出ない。
そのまま、振り返らずに駆けた。言えばよかった。言えなかった。そんな自分がまた情けなくて涙が溢れてくる。
ただ思うのは――嫌じゃなかった。それすら私は彼に伝えることが出来なくて。